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「すみません」
「え」

館の近く。洗濯物を干していたら不意に声をかけられた。振り返ると笠を被った男の人。…どちら様?

「日向さんですね」
「え、あの、どなたですか?」

水軍の人達以外にわたしの名前知ってる人なんてこの時代にはいないと思うんだけど、わたしこの人とどこかで出会ってたっけ。覚えはないけれど確かな確信を持って呼ばれた名前に、首を傾げる。その瞬間、本当に突然、いきなり距離を詰めてきた男は脇に差していた短刀を喉元に突きつけた。えっなにそれ、人斬り?通り魔?突然の出来事に体を硬直させると、すかさず口元を布で塞がれる。慌てて抵抗しようとするにも、突き付けられた短刀が目に入ればその抵抗も力ないものになってしまう。頭の中で警鐘がなるけれど、やがて意識が遠のいていき、ああ、これ、ダメなやつだ。そう思ったのを最後に視界はブラックアウトした。

「………迎えにきましたよ」







「日向さんがいない」
「またか」

どこ行ったかなーときょろきょろしている義丸の兄貴。また団子でも食べに行ってんだろ、と返すのは疾風兄ぃ。

「洗濯籠置きっ放しだぜ?仕事の途中でいなくなる人じゃないだろ」

たしかに日向さんは寄り道をしたり道草食ったりすることもあるが、仕事を放り出してどこかに行くことはしない人だ。それが籠放りっぱなしとは、何かひっかかるものを感じる。それもそうだなと疾風兄ぃも合点するが、義丸の兄貴が探してきますと館を出るのと一緒に俺も外へ向かう。

「なんだ舳、お前も探しに来たのか」
「人手があった方がいいでしょう」
「ん、まーな。あの人のことだから、また溺れでもしてないといいんだが」

俺は町の方を見てくるから、舳は海の方を頼む。義丸の兄貴はそう言って足早に去って行った。軽口を叩きながら兄貴も心配しているんだろう。
さて、どこに行ったのか。日向さんのことだから、本当にまた溺れているのかもしれない。念のため海岸を注視しながら探していると、不意に足元に何かが当たった。…これ、日向さんの部屋に置いてあった地蔵じゃないか?なんでここに…?大シケが来る前のような、落ち着かない、胸騒ぎがする。思わず辺りを見回すと、 ふと目に留まったのは壊れかけた船小屋だった。普段は気にも留めない存在だが、何故だか今は嫌に目について、嫌な予感ばかりが巡るのはどうしてなのだろうか。まさか、いるはずはない。俺たち水軍だって普段は寄り付かない場所だ。そう思いながらも誘われるように俺は小屋に近づいて行った。

「…日向さん?」

小屋は外も中もかなり酷い状態だ。壊れかけた戸がぎぎっと音を立てる。声をかけてみるも反応は返ってこない、当然のことだが少しだけ安堵して、考える。本当にどこに行ってしまったんだ、また町で団子でも買っているのだろうか。さっきのは仕事しているときにでも落としたんだろう。今頃、義兄ぃが見つけ出しているかもしれない。一度、館に戻ろう、そう踵を返そうとしたときだった。

ガチャっ…

「!」

…なんだ?再び嫌な予感が胸を占める。水を打ったようにしんと静まり返った小屋の中で、音がした奥の暗がりを見つめる。無意識に脇差に手を伸ばしながら、足音を立てぬようにそっと歩みを進める。ネズミか猫かだろう、こんなところに人がいるわけない。そう頭ではわかっているのに、胸騒ぎが止まらない。

「!」

縛られた手足。猿轡。横たえられているのは紛れもなく探していた人物…日向さんだった。何故そんなことに。慌てて近寄ると、必死でぶんぶんと首を振る。

「んんっ!」
「今外しますから」
「んっ!!んんん!!」

泣きそうな顔をしながら何かを訴える日向さんに、ふと気配を感じた。しまったと振り返った時には遅く、硬い棒のようなものが振り下ろされた。咄嗟に患部を庇う間も無く幾度も打ち付けられて、ぐらりと体が傾く。埃っぽい地面に倒れてもなお攻撃は止まない。駄目だとわかっているのに意識が遠くなっていく。

「んんっ!!」

虫の息の俺に何とか日向さんが覆い被さると、漸く攻撃が止まった。なんとか目を開けると、赤く染まっていて、頭部から流血しているらしい。最悪だ、ぐらぐらと揺れる頭の中、日向さんが必死に俺に声をかける。

「ひ、なた…さん」
「んっ、んんっ!」

畜生、油断したせいで、こんな…。途切れそうになる意識を無理やり引き起こして、棍棒を持ったまま立ち尽くす男を睨みあげた。視界が悪くよく見えないが、その顔には覚えがあった。町に流れてきた浪人だ。だが一体どうして。

「ガキが…邪魔しないでくれるかな」

俺がもう動けないことを悟ったのか、血飛沫のついた棍棒が投げ捨てられる。言葉に不釣り合いなほど笑みを浮かべた男は、日向さんと俺を引き離した。

「ん、ん!」
「とんだ邪魔が入りましたが…日向さん、お待たせしましたね」

するりと猿轡が外される。げほげほと咳き込んだ後、

「舳丸くん!」

一番に呼ばれた名前にどうしようもない気持ちが込み上げてくる。男は面白くなさそうに眉を寄せた。

「日向さん、そうじゃないでしょう」
「や、触らないで!」
「あなたは俺の妻になるんですから。他の男なんか見ないでくださいよ」
「舳丸くん!」

男の言葉も聞く耳持たずで、不自由な体をなんとか動かしてこちらに這いずってくる。俺の体は全く動かない。指を動かすのが精一杯だ。

「ほら、逃げないでって」
「あ!」

日向さんの足首を男が鷲掴んだ。そのまま引きずり戻されて、近づいた距離がまた離れる。

「日向さんは子供が好きなの?じゃあ頑張らないといけないね」
「離して!!」
「…あんまり暴れると、そいつ、殺すよ」

ぴたりと日向さんの動きが止まる。顎で示された先に転がる俺を見て、また日向さんが泣きそうな顔をする。

「や、めて…」
「じゃあどうすればいいかわかるよね」
「な、なんで…こんなこと」
「…覚えてない?」

男はうっとりと目を瞑り、つらつらと語り始めた。

一月前、往来ですれ違ったとき、俺は一目で君に恋をしたんだよ。それから毎日、君が町に来るのを待ち伏せて、時々はすれ違ったりもしてたんだけど…本当は気づいてたんでしょ?君があの水軍のところにいるって聞いたから、助けてあげようと思って。本当は嫌だったんだよね、あんなところ。だから町によく来てたんでしょ?バレると何されるかわからないから、俺の視線にも気がつかないふりをしてたんだ。でももう安心してね。助け出すお礼として、俺の妻にしてあげるよ。嬉しい?俺も嬉しいよ。これからずっと一緒に居られるんだから。

…こいつ、頭がトんでやがる。日向さんも絶句している。だが男はその様子を歯牙にもかけずに、恍惚といった顔で日向さんに近づく。どうする、どうすればいい。


畜生、畜生、畜生!ざわりと、血が沸騰するようだった。

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