舳丸くんの話


放っておけない人だと思った。はじめこそ怪しさしかない出で立ちに警戒したものの、彼女の様子を見るに歳上と思えない危なっかしさや子どもらしさを感じることは何度もあった。かと思えばあの重と仲良くなったり、と、驚くこともやってみせる。海で溺れた時は本当に驚いたが、その後兄貴達に怒られ笑われる姿を見ていたら何故だが自分がしっかりと面倒を見てやらねば、そう思うようになったのだった。
およそ歳上に抱く思いとは思えないが、とにかく放っておくとなにか面倒ごとに巻き込まれる、そんな印象だった。

義丸の兄貴にちょっかいを出されていた時もそうだ。やめておけばいいのにやすやすと誘いに乗って、挙句酔い果て普段からは想像つかない姿を見せていたな。彼女は呑気に楽しんでいたようだが、義丸の兄貴の酔いが回っていなければ、どうなっていたかわからないだろうと俺は思っている。何より手が早い人だから、そのまま部屋に連れ込まれていたっておかしくない。現に、彼女が水軍に来たその日、宴会で迫っていたところを鬼蜘蛛丸の兄貴に止められたという話も聞いている。

町で男に絡まれていたこともあった。見知らぬ長身の男に嫁だと言われた時はさすがに否定していたが、その言葉を耳にした瞬間、己のうちに込み上げてきたのは紛れもなく怒りだった。どうして自分が怒りを抱いたのか、はっきりとはわからないが、その怒りのままどこで知り合った男なのだと問えば餅まきが…だの、煎餅が…だのと宣うものだから腹減ってるんですか?と切り返すと違うよ!!と逆ギレされた。おい、俺が悪いのか?知り合ったのがどこだろうがどうでもよかったが、何処の馬の骨とも知れない男と日向さんが夫婦になるということはどうしても許せず、聞かずにはいられなかった。
水軍に戻った後も結婚するだのしないだのと轟々と議論は続き、最後には自分は尼になると酔った日向さんが宣言して一応の収束を見せた。

彼女がきてから、わけのわからない感情に振り回されることが増えたと思う。だから、俺はそれを重たち弟分のように、手のかかる者の世話に付随する感情だと考えることでなんとかやり過ごすようにしていた。

けれど、あの日、浪人に追われて逃げ込んだ廃れた御堂の中で、自分が口にした言葉に一番驚いたのは、他の誰でもない俺自身だった。日向さんだって驚いた顔はしていたが、言葉にして初めて自分の彼女に対する思いを知った。家族だと、別れるのが惜しいと思う。自分は彼女のことをそう思っていたのだと、口にして初めて気がついた。母とも姉とも違う、この名前の付け難い感情を、いつの間に抱いていたのか。わからぬまま、それでも己の中で彼女の存在が大切なものになっていることを自覚して、俺は彼女を浪人から守ろうとした。けれど、結果守られたのは俺の方だった。意識朦朧とする俺を庇い抱きしめる彼女を見て、男は下卑た笑いを携える。絶対に殺してやる。振り下ろされる刃を見ながら誓った。けれど、終わらせたのは俺ではなく、得体の知れない男。事も無さげに浪人の首を一突きした男は、そのまま俺の首にも手刀を叩き込んだ。消えゆく意識の中で、日向さんが俺を呼ぶ声を聞いた。




俺には、力がない。無力だ。




「…」

死んだのかと思った。けれど、目が覚めたとき、見慣れた天井と喧騒に、ああ、生きていたかとぼんやり思った。意識が覚醒するのと同時に鋭い痛みが襲う。肋骨と、腕、それから頬。いずれも心当たりがある。あの男にやられたものだろう。そこまで思い出して反射的に体を起こした。

「日向さんっ…!」

痛みを噛み殺して起き上がると、ふと掌に違和感。はっとそちらを見ると、思い浮かべていた人物の姿。布団の横で、座ったまま船を漕いでいる。その手は俺の手のひらに重ねられていた。こくりこくりと揺れる体、その姿はあまりに無防備で。けれど、大きな怪我もしていないようで。しばらく呆然と彼女を見ていたが、気抜けするような寝顔に、やがて体から力が抜けた。

「…ん?」

ごしごしと眼をさすりながら「しまった、寝てた…」と呟くのは紛れもなく彼女だった。静かにその姿を見上げていると、不意にぱちりと目が合う。その瞬間の彼女の顔ときたら、筆舌尽くしがたいもので。

「み、舳丸くん…!!」

返事をする前にがばっと抱きつかれて、負傷した体が悲鳴をあげる。けれど、引き剥がす気にもなれなくて成すがままになっていると、彼女の叫びを聞いたらしい足音がどすどすと迫ってきた。

「舳!!」
「舳丸!!!」

襖から雪崩れ込んできたのは想像通り兄貴たち。皆一様に泣きそうな顔をしている。察するに、俺は相当重傷だったんだろう。

「良かった、気がついたか!」
「兄ぃ…俺は…」
「3日目が覚めなかったんだ、心配させやがって…!!」

疾風兄ぃが目頭を擦る。大分心配をかけたらしい。親方もおいおい泣いているし、義兄ぃに抱えられた重などさっきから大泣きだ。苦笑いすると笑い事じゃねぇぞと鬼蜘蛛丸の兄貴に小突かれた。加減されたその力に胸が痛くなる。

「…すみません、迷惑をかけました」
「全くだ…いやだがな、お前のお陰で日向さんも無事だったんだ。よくやった」

胸元に伏せる彼女を見る。名を呼ぶとばっと体を起こした。その瞳からぼたぼたと涙を零す姿に、俺はぎょっとした。なんで、あんたがそんなに泣いているんだ。

「ごめっ、ごめんね、舳丸くん」
「え?」
「わだっ…しが…私のせいでっ…こんな怪我させてっごめんねぇ…!」

鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔、日向さんはでも生きててよかったあぁあ…とさらに泣いた。つられて重もますます泣き喚き、兄貴たちも目頭を抑える。
守れなかったというのに、なんでそんなことを言う。俺が不甲斐ないせいで危ない目にあわせてしまったのだ。罵られてもおかしくないと思っていただけに、予想外の反応に戸惑う。

「俺…は…」
「ぇっ、うう…?」

泣きながら日向さんが耳を傾ける。

「あなたを、守れなかった…」

無力だったんだ、俺は。他の兄貴たちならもっとうまくやっただろう。でも、俺じゃだめだった。ぽつりと呟いた言葉は情けなく震えた。

「何言ってんだ舳!お前がいたから日向は無事だったんだぞ!」
「そうだぞ、話は日向から聞いた。お前はよくやったさ」

怒ったように告げるのは兄貴たち。決して責めようとしない心遣いが胸に刺さる。

「舳丸くんがいなかったら、私、ここにいなかったよ」

ぎゅうと握られた掌にまたぽとりと雫が落ちた。日向さんの瞳から溢れる暖かい涙に、柄にもなく俺の視界も揺らぐ。ぐっと奥歯を噛みしめてなんとか堪えると同時に、どんっとなにかが体当たりしてきた。驚いて見れば、重。いよいよ我慢の効かなくなったらしい、日向さんに負けず劣らず涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして泣きついている。

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