before words 3

あの夜から、店の電話は沈黙したまま、勿論事務所の扉だって音を立てることはなかった。やってくるのはピザ屋くらい、あの女が姿を見せることはなかった。
見たことのないタイプだった、少なくとも俺の周りにいる女とは全く違う。レディのように強さを前面に出しているわけでもなく、かといってそこらのか弱く甘い匂いのする女たちとも違う。東洋人はミステリアスというが、日向もつかみ所のない女だった。だからこそ興味を持ったのだが。

「…あてが外れたか」

アパートの部屋ぐらい聞いておけばよかったと後悔して、だがあの女はきっとそうやすやすと自分の家を教えたりはしないだろう。そこまで考えて、急に自分がバカバカしくなった。やめだやめ、こんなこと考えるのは俺らしくない。にしてもどうしてあの女がこんなに気になっているのか。明確な答えが出ないまま、気晴らしに一曲かけようとジュークボックスに向かうがうんともすんとも言わない。 最近調子が狂うことばかりだ。

「全部あいつのせいだ」
「あいつって?」

ばっと振り返る。開かれないはずの扉からひょっこり顔だけ覗かせているのは、今まさに、いやここ最近ずっと頭の中を独占していた人物だった。




待ちに待った来客は、あの夜と同じように控えめに笑って失礼しますと事務所に入ってきた。これ、お土産とデスクに白い箱を置く。俺より年上だろうに、いちいち律儀な様子で接するものだからそれもまた可笑しく思ってしまう。

「…あのバーが行きつけなのも納得できる」

日向はくるりと店の中を見回して笑った。

「居心地は悪くない」
「ダンテだけだよ、きっと」

掃除用具ないの?と尋ねられ、長らく使われていない掃除機やら雑巾やら、あるとすれば奥の物置だろうか。およそ掃除なんかとは無縁な俺が記憶もないほど昔に捨てていなければの話だが。

「あんたなにしにきたんだよ」
「何って。呼んだのはダンテでしょ」
「そうだっけ?」
「待ってたくせに」

指摘されてむっと押し黙る。日向はそれを揶揄うことなくただ微笑むと、ぐいと腕まくりをした。

「わたしもまた会いたいと思ってた。でもまずは掃除しよう。この前はご馳走になったから、そのお礼も兼ねて」
「気にすんな。それに客に掃除させる趣味はない」
「わたしが気になるの」

デスクの上片付けていい?ダンテは掃除機を持ってきて、言いながらピザの空き箱やら古雑誌やらをまとめ始めた。途中、いくつも出てきた如何わしい本やら請求書やらに顔を顰めもするが、それらは手際よく種類ごとに分別されて行く。止まる様子がないので仕方なく物置を探し、長らく日の目を見ていなかった掃除機を引っ張り出して事務所に戻ると、すでにデスクの上は粗方片付いていた。どこからか雑巾とバケツを持ってきたらしい日向は、慣れた様子で窓を拭いている。

「せっかく透かし擦りなのに、勿体ない」
「気にしたことがないもんで」
「ダンテは床を掃除してね」

じぐざくじゃなくて、真っ直ぐね。向こうまで行ったら折り返してまた真っ直ぐ。初めて掃除する子供にやり方を教える母親のようにそう伝えると日向はまた窓拭きに専念する。

「掃除が趣味?」
「趣味ってほどじゃないよ。最低限」
「最低以下ってことか」
「掃除しがいがあるってこと」

ガーガーとけたたましい音を立てる掃除機に負けないように声を張り上げながら、俺は初めて事務所を掃除することになった。今まで気にも止めていなかっただけあって、かなり汚れていた。が、日向の丁寧な掃除と俺の大抵なんでも器用にこなす才能のおかげで想像以上に綺麗になった。

「落ち着かないな」
「ずっといいよ」

捲っていたシャツの裾を直す日向は、自分の仕事に満足気だ。

「コーヒーで?」
「うん、ありがとう」

土産の箱を開けると中にはショートケーキが2つ。艶々した苺が乗っかっている。

「これ好きだ」
「やっぱり?ダンテが好きそうだなって思って」
「へえ。よくわかったな」
「この前のバーでもストロベリーサンデーあるかって聞いてたでしょ」

覚えてたのか。少しだけ胸が浮つくのを感じて、柔らかいケーキにフォークを入れる。甘くて柔らかいクリームと、瑞々しい苺。美味い。

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