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「ボガート?」
「懐かしいね」

「ニュートは事務机だったっけ」
「日向はカボチャ」
「ジャック・オ・ランタン。もう克服したよ」

笑いながらカタカタと震える箪笥に近づくと、一瞬音が収まった。くる、そう感じたその瞬間、想像通りばっと飛び出してきたボガートに、私もニュートも反射的に杖を構える。きゅるきゅると音を立てて、それから、姿を変えて、

「…えっ?」

思わず素っ頓狂な声が上がる。なぜなら目の前に現れたのは、紛れもなくニュート・スキャマンダーその人。こちらに向けて杖を構えたその姿は、今まさに私の隣にいる人物と全く同じ。


なんで?


「リディクラス」


どかんとけたたましい音がして、それから次の瞬間にはニュート、正確にはボガートは跳ね回るドラゴンの人形になっていた。ハッと我に帰って横を見れば、本物のニュートが杖を静かに降ろすところで。

「…あ、あの、ニュート?」

声を掛けても、返事がない。どきりと胸がなる。さっきのボガート、ニュートに変身した。それって、つまり。慌てて口を開く。

「あの、あの」
「……帰ろう」
「あ、待って!」

ぽつりと呟かれた言葉の意味を咀嚼するより早く、ニュートは杖を仕舞うとくるりと踵を返して出口に向かって行った。私も慌てて後を追う。

「ごめん、ごめんなさいニュート」
「…なんで謝るの?」
「だって、ボガートが変身したのって、その…私の方がニュートよりボガートに近かったんだから」
「だから?」
「だから、つまり…ボガートは、私の怖いものは」

そこまで言いかけて言葉に詰まる。振り向かないでいたニュートの歩みもピタリと止まり、くるりとこちらを振り向く。見上げてみて目に入った、初めて見る彼の表情に、喉で言葉が凍りつく。

「…君の怖いものは、なに?」

穏やかな声だ、顔も笑っている。でもその目は感情が抜け落ちたような。よく見知った親友の、今まで見たことのない様子に私は何も言えなくなる。
何かの間違いだ、ニュートを恐ろしいと思ったことなんて一度もないのだから。優しくて穏やかな彼が恐怖の対象になることなんて、少なくともわたしの記憶の中ではそんなことはなかった。それよりもっと怖いものはたくさんあるのだ、なのにどうして。混乱した頭でなんとか誤解を解こうと自身を奮い立たせるが、うまく言葉にならない。

「違うの、本当に、わたし…」

けれどそんな言い訳、ニュートは認めてくれないだろう。嫌な思いをしたのは私ではなくニュートの方だ。少なからずニュートも私のことを友人だと思ってくれていただろうに、恐ろしいものとして認識されていたんだなんて目の前で知らしめられたのだから。たとえ誤解だとしても相当ショックだろう。

「ごめん…ごめんなさい」
「日向」

名前を呼ばれて反射的に顔を上げる。思ったよりも近くに迫っていたニュートに驚き思わず後ずさると、また彼が一歩間を詰めてくるものだから、そのままずるずると後退して気づけば背後は壁。冷たいレンガに背中を預けると、こつりと爪先がニュートのそれとぶつかった。

「ニュ、ニュート…」

ごくりと息を飲む。逆光、彼の表情は伺えない。顔の横に手を突かれて逃げ場もなくなる。不意にニュートが笑った気配がした。

「僕が、怖いの?」

落とされた言葉に涙が滲む。必死で首を振るけれど、ニュートはただ見下ろすだけ。これ以上何を言っても言い訳にしかならない。自分が心のどこかで彼のことをそう思っていたかもしれないことが悲しくてやり切れなくて、それが彼を傷つけたことが申し訳なくてとうとう涙がこぼれた。

「ごめん、なさ…」
「えっ…日向?」

ぽとりと落ちた雫は地面にシミを作る。それを見たニュートは慌てたようにわたしの顔を覗き込んだ。

「日向っ泣い…」
「ごめん、ごめんね」
「え、あ、あー…ちがう、ちがうんだ日向」

肩に手を添え、頬を撫でられた。

「ごめん、意地悪しすぎた」
「ニュート、ごめんなさい」
「日向、いいんだ、大丈夫。わかってるから」

涙が止まらないまま彼を見上げると、ニュートは困ったように頬をかいた。それからごめんねと眉を下げる。

「わかってるよ、君が僕のことを怖いなんて思ってないことくらい」
「ニュート、わたし本当に」
「わかってる。僕の方こそごめん、ちょっと意地悪したくなっちゃったんだ。だからそんなに深刻に受け止めないで」

怖いものがない相手には、相手の姿そのままを真似る性質があるんだ、ニュートはそう説明した。そんな性質初めて聞いた。さすが魔法動物学者。ということはさっきのボガートはわたしの怖いものじゃなくて、ニュートに反応したってこと?

「多分そうだと思う」
「怖いもの、ないの?」
「今はね」

ほっと力が抜ける。壁に背を預けたままずるずると腰を下ろすと、また慌てたようにニュートが大丈夫?と声をかけてきた。

「ニュートのこと、心のどこかでそう思ってたのかもしれないって思ったら、悲しくて、申し訳なくて…」
「思ってないの?」
「当たり前だよ!」

ぱっと顔を上げて力強く宣言する。

「大切な友達だもの…そんなこと思うわけないよ」
「…そっか。嬉しいよ」

照れ臭さそうな、でも嬉しそうな顔のニュートを見てほっと心が温かくなる。この大切な友人を、私は失いたくない。慰めるように頭を撫でられて、安心感からそっと目を閉じる。その時、優しい手のひらの持ち主がどんな表情をしているかなんて、私は考えもしなかった。

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