約束

「日向、そろそろ昼食ですね」
「…」

じとりとこちらを見上げる視線はお世辞にも好意的とは言えない。先日の風俗での一件以来、彼女の態度は硬化の一方だった。休憩室からリード刑事が面白そうにこちらを観察しているのが見えたが、見なかったことにしよう。


「今日は天気がいいですから、昼食は外で食べませんか」
「…あなたはお昼食べないでしょ」
「あなたの心情の問題です。外で食べた方が気持ちも明るくなる」

暗くて悪かったわね、その原因はどこにあるのかわかっている?そう彼女の目が雄弁に語っていた。しかし敢えてそれをスルーして、行きましょうと踵を返す。後ろから大きなため息が聞こえたが気にしない。

「…よくめげずに話しかけてくるね」
「あなたは私のパートナーですから。コミュニケーションは必要不可欠でしょう」
「必要最低限のね」

彼女はうんざりといった表情を浮かべた。けれど嫌がりながらも私の後をついてくる、実はかなりのお人好しだ。


公園広場の日当たりの良いベンチ。日向はそこに腰を下ろしてランチボックスを広げた。覗き込めば色とりどりの料理が詰められている。

「あなたのお昼はいつも美味しそうですね」
「…」

ちら、と一瞬こっちを見てから彼女は黙々と食べ始めた。彼女が毎日自分で作っているらしいそれは、栄養バランスを考えた上で見た目や味付けにも気を使っている力作だ。僕が褒めても大した反応はないが、少しだけ口元が緩むことは指摘せずにいた。指摘すれば彼女はまた怒るだろうから。素直な感想だけを伝えるようにする。

「アンドロイドが摂食可能になれば、私も食べてみたいです」
「…え」

ぱちくりと日向の目が僕に向けられる。こんな風に見つめられたのは出会いの日以来だ。何か変なことを言っただろうか?会話を振り返ってもおかしな言動は見当たらなかったと思うが。

「どうかしましたか?」
「え…あ、ううん…なんでも」

彼女は取り繕うように首を振ったが、じっと見つめ返すと居心地悪そうに俯いた。なお見つめ続けると視線に耐えきれなくなったようだった。ふうと溜息をついてからポツリと呟く。

「…食べたいなんて言うから、変わってるなって」

その言葉の意味を噛み砕くため、きゅる、とLEDが点滅する。…ああ、成る程。彼女は自分の欲求を言葉にしたことに驚いたらしい。確かにアンドロイドは、こうしたい、ああしたいと自らの欲求を表に出すことはない。変異体とあまり接触したことがないというのなら納得できる反応だ。

「あなた…変異体なんだって?」
「ええ、そうですが」

まさか知らなかったと言うのか。革命の日以来、不本意ながら僕は変異体として結構な知名度となったと認識していたが。尋ねてみると「さっき、あなたに関するファイルを読んだの」と。コンビ結成から実に二週間目の新事実というわけか。それほどまでに自分に興味がないということに若干のショックを受けつつ、僕に関する情報を何らかの意図をもって目を通してくれたということには喜びも感じる。下手をしたらこの先も知らなかった可能性も高かっただろう。

「私の情報を参照していただいたんですね」
「…ハンクがそれくらい見ておけっていうから」

ぽつぽつと呟かれる言葉には少しばかり羞恥が感じ取れる。嬉しいですと素直に笑って見せれば、また彼女は驚いた表情をした。

「…いつも、機械っぽいから。ちょっと驚いただけ」

そう言って僕が言葉を返すより早く彼女は箸を持ち直した。そしてまたぱくぱくと昼食を食べ始める。…先程よりも不自然に速いペースで。それが彼女の動揺であり照れ隠しだとわかったが、やはり何も言わずに黙っておいた。


「ん、外に出てたのか」
「ハンク」

署に戻ると相棒が声を掛けてきた。日向は嬉しそうに駆け寄る。犬のように駆け寄る日向を見て、ハンクとの仲をとり持つ、というのも一つ有効なアプローチ方法かもしれないな、と思いながら2人の元へ向かう。連れ立って入ってきた我々を見てハンクはふむと考え込んだ。

「昼飯一緒に食うくらいには仲良くなったんだな」
「あ…あー、…そう、かな」

仲良しという言葉が当てはまるか否かで言えば間違いなく後者であろうが、日向は珍しく即答せず、曖昧に答える。ちらりとこちらを振り返り、目が合うと慌てて逸らされた。

「ハンクはハンバーガー?」
「ああ、いつものな」
「またですか…何度も言っていますがあれは控えた方がよろしいかと」
「うるせぇなあ、食事くらい好きなもん選ばせろよ」

食事「くらい」という割には勤務態度も生活態度もお世辞にも我慢しているとは言えないと思うが。相棒になったばかりの頃から感じている彼の自堕落さは口には出さずにメモリの奥の方にしまっておく。
ふと、日向の持っているランチボックスが目に入った。料理が上手いということは、男性へのアピールになるだろう。

「警部補、彼女はいつも手作りのランチボックスを持参しているんです」
「手作り?」

日向がぎょっとした顔で振り向く。何を言い出すんだこのアンドロイドは、と顔に書いてあるがスルーしよう。

「アンドロイドが接触可能になった際には、僕にも作ってくれると約束したんですよ」
「は!?」

さらに日向の顔が面白いことになる。

「ちょっと、そんな約束」
「ほー、日向お前、料理できたのか」
「え…あの、上手ではないけど」

気恥ずかしいようでもじもじと俯く。彼から褒められることには不慣れらしい。だがハンクと接点ができるかもしれないという好機に心なしか表情は明るい。後押しとばかりにハンクに笑顔を向ける。

「彼女の料理は見た目も栄養バランスも良い。警部補、あなたも作ってもらったらどうです。ハンバーガーなんかより余程健康的ですよ」
「余計なお世話だ。俺はいい」

うざったそうに手を振られ、僅かだが彼女の眉が下がる。だが、とハンクが笑った。

「食べられるようになるのが楽しみだな」

うまいの作ってやってくれよとぽんと日向の肩を叩く。そう言い残してハンクは去って行った。残された我々はオフィスの廊下に突っ立ってその後ろ姿を見送る。そしてその背中が見えなくなると、日向はがくりと肩を落とした。

「…勝手に何言い出すの」
「…私の誘導が上手くいけば、あなたと警部補の仲に良い影響があるのではないかとシミュレーションしたのですが」

ご期待に添えずすみませんと付け加えれば別に頼んでないよと冷静な声が返ってきた。

「…元々期待してないし」

諦めたような声音で日向はデスクに戻る。怒っていいんですよと伝えれば日向は複雑な顔になる。

「怒られたいの?」
「愚痴を吐き出すことであなたのストレスレベルを軽減できます」
「あなたの方こそストレスでしょ」
「私は自分でストレスレベルを下げることができますから、お気になさらず」
「あなたも気にしないでいいよ」
「言いたいことがあるのでは?」

この際何でも吐き出させた方がいいかもしれない。今後の関係構築のためだ。

「…文句はあるけど」
「どうぞ、言ってください」
「勝手な約束しないで」
「約束?」
「あなたにお弁当作るってやつ」
「ああ、すみません、会話の進行上必要な演出でした」
「演出って…」
「ただ食べたいと思ったのは本当です。私の勝手な願望ですが」

本心も素直に告げると、その言葉に日向が僕を見上げる。ぽかんとした顔で数秒間僕を見つめた後、彼女は見たことのない表情で呟いた。

「…あなた、本当に変わってるね」

ため息をついた彼女の口元は僅かに緩んでいて、所謂苦笑いという表情を初めて目にしたソフトウェアがエラーを起こす。判断不能な感情の認識、一体なんだ?処理中、

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