失敗

「日向、お疲れ様です」
「ああ、疲れた」
「終業時刻は過ぎていますが、まだ作業していきますか?」
「今日はここまでにしておこうかな…あ、ハンク!」

目に留めるなり駆け寄る後ろ姿を見送り、彼女の纏めていたファイルをスキャンする。ここ最近の事件のものだ。後でファイリングしておこうとタスクに追加して、彼女たちのもとに向かう。

「お前らもう帰るのか?」
「ええ、ちょうど終わったところです」
「いいバディになってきたな」

ハンクにそう評され誇らしい気分になる。あの日以来確かに僕たちは相棒として互いに協力し、捜査でも結果を積み重ねていた。
彼女も同じ気分だったようで、笑みを浮かべている。それから少し緊張した様子で口を開いた。

「ハンク、あの、夕食は?」
「家で適当に済ますつもりだ」
「あ、じゃ、じゃあよかったら、一緒にどう?イタリアンレストランなんだけど、サーモンのカプレーゼがおいしくて」
「あー…悪いな。カプチーノだかなんだかわからないが、そういう洒落たとこは苦手なんだよ」
「あ…じゃあハンバーガーは?ハラペーニョバーガーが有名なお店を知ってるの」
「生憎だが行きつけがある」

ありがとよと頭に手を置かれ、日向は何も言えなくなる。ハンクはどこか困った顔でこちらを一瞥すると苦笑いを浮かべ、オフィスから出て行ってしまった。

「…僕でよければ付き合いますよ」

彼女は肩を落としたまま長く溜息をついた。


やってきたのはお洒落なイタリアンレストランでもバーガーショップでもなく、大衆的なカフェ。こういうところの方がハンクも気負わなくて良いのではないかと推察するが、思い詰めた様子の彼女に進言するのは控えておいた。
彼女はハンクに様々なアプローチをしている。オフィスでの雑談だけではなく食事や休日の誘い、ドライブなど。だがハンクがそれに良い反応を示すことはほとんどなかった。悪いな、と言うばかりで、彼女を宥めて終いだ。それはまるで遊び相手がほしい子どもを軽くいなしている様子にも似ているが、そんなこと彼女には言えるはずもない。ハンクの好みを教えてと聞かれたことも通算23回だ。

「犬が好きですね」
「うん…でもドッグランは断られた。ハンクもスモウもそんな元気ないって」
「バスケットボールにも興味があります」
「最近調子が良くないみたいで、話題に出したら不機嫌になっちゃった…」
「ヘヴィメタとジャズは?」
「ヘヴィメタはあんまり…でもジャズはいいかもしれない。ジャズバー誘ってみようかな」
「ああ、けれど確か、あなたはお酒に弱かったのでは」
「あ…あー…」

前途多難だ。音楽の趣味も酒の好みも合わないらしい。
どうしてそこまでハンクのことを?と尋ねても日向は曖昧に答えるだけで詳しく話そうとはしなかった。僕も追及はしないが、ハンクと日向の間に自分の知らない特別な繋がりがあるということを考えると、僅かにソフトウェアが異常を確認するのだった。




「日向とはうまくやってるんだな」
「警部補」
「休憩中だ、ハンクでいい」

コーヒーを片手にしたハンクはやれやれと息を吐く。日向はミーティング中だ。ちらりとミーティングルームを見て、困ったもんだとハンクは口を開いた。

「雛鳥みたいについてきやがる。誰かと一緒だ」

ふっと笑われ、肩を竦める。

「僕から見れば、あなたと彼女の方が似ていますよ」
「どこらへんが?」
「アンドロイド嫌いで頑固、照れ屋、素直じゃない」
「おいおい…」

今度はハンクが心外だと言わんばかりに肩を竦めた。その様子を見て少し口元が緩む。

「けれど、人間やアンドロイドに対して誰よりも優しく、理解しようという思いをもっている。あなた方に出会えて僕は幸せだと言えるのでしょうね」

一瞬驚いた顔をして、それからよせよと照れた顔をしてコーヒーを煽った。そういうところもよく似ていた。ハンクは表情を緩めたまま話し始める。

「初めて会った時はまだガキだった」
「日向が?」
「俺が担当した事件の被害者の娘なんだ。事件の後、暫く通って話し相手になった」

そんな繋がりがあったのか。ハンクは遠くを見る目をしてから一瞬目を瞑る。

「可愛いやつだとは思う。だが恋だ愛だなんてのとは違う。少なくとも俺はな」

日向はそうは思っていないのだろう。

「なんにせよ俺は答えられねぇ。あいつには悪いが」

言いながらまたミーティングルームの方を見るハンクの眼差しは慈愛の篭ったものだった。推察するに父親が愛しい娘を見るような。そして同時にどこか哀しげなのは、彼女の思いに答えられない罪悪感からか、それとも。

「コナー、午後は…ハンク!」

戻ってきた日向がハンクの姿を確認してぱっと表情を明るくする。こちらに目配せしたハンクはおう、と手を上げて答えた。

「何話してたの?」
「昔話だよ」
「誰の?」
「俺の」
「聞きたい!」
「また今度な」

子どものように目を輝かせる日向とぽんぽんと頭を撫でるハンク。まさに親子のそれだ。微笑ましく見守る一方、またソフトウェアの異常が感知される。きゅる、とLEDが点滅したのを日向は見逃さなかった。

「コナー?」
「ああ、なんでもありません」
「最近、調子が悪い?」
「自己診断では問題はありませんが」
「メンテナンス行ってるか?」

定期メンテナンスは済んだばかりだ。特段不調やエラー原因も見当たらない。異常検知プログラムの誤作動だろうか?こちらの様子を窺う二人に大丈夫だと笑ってみせるが納得した様子はない。

「午後は聞き込みに回るから、コナーは署で待機。不調なら早めにサイバーライフにメンテナンスの予約を入れて」
「私は平気です。午後も一緒に」
「オリバーさんのところに行くだけだから。あの人アンドロイド嫌いだから丁度いいでしょ」

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