椿時雨


2


迂闊としか言いようがない。背後から呼ばれた名前に、素直に振り返ってしまった。人通りの少ない道で、聞き間違いでしたを許してくれる相手ではなかった。

「やっと、見つけた」

そう言って私の手首をガッチリ掴んだのは、ガラル地方ポケモンリーグチャンピオンだった。

「ダ…ダンデ」

ぜーぜーと荒い息をしている。掴まれた手が熱い。テレビ越しで見るのとは違う、明らかな熱と迫力。これが、ガラル最強の男。思わず気圧されて後ずさると、ぐいっと腕を引っ張られた。抵抗する間も無く抱きしめられて、厚い胸板に顔が押しつけられる。

「ずっと探してたんだぜ…10年前から」

10年。10年か。もうそんなに経ってしまったのか。たしかにだいぶ背も伸びたようだし、体も立派になっている。

「会いたかった」

密着していた体が離されて、小麦色の瞳がわたしを見下ろした。ああ、懐かしい。きらきらしたこの瞳、バトルの時はそれこそ眩しいくらいに輝く瞳。少し緊張して、それでいて興奮を押さえられないといった様子。まさしく10年前、あの日もそうだった。

「どこに行ってたんだ…君が居なくなって、かなり焦ったし、落ち込んだんだぜ?ガラル中を探し回って、だけど見つからなくて…」

悲しそうに目が伏せられる。なんだか悪いことをした気分だ。

「だが、ようやくこうして君を見つけることができて。オレは本当に嬉しい」

彼はそう言って本当に嬉しそうに笑う。

「これからはどうかまた、オレと一緒に」
「ダ、ダンデ」

ぴたと口が止まる。言わないと。いつか来るかもしれないこの日のために、こっそり頭の中で用意していた言葉。

「わたし、もうバトルはしてないの」
「…、なぜ」

信じられないと言いたげな目をしている。予想はついていたけれど。だからこそ彼の前から姿を消したのに。こうして見つけ出してしまうくらい、彼は執念深さがあったんだなあと今更知った。一緒にいたのに、知らないことの方が多いんだろう。きっとお互いに。

「父も今はライモンシティにいる。私達に構っても時間の無駄だよ」

離れていたのなら尚更だと思う。もうお互いにあの頃とは違うんだから。
そう告げて、ショックを受けた様子のダンデだけど、すぐに復活していいやと首を横に振った。

「俺はバトルがしたかったわけじゃない…いや、バトルもしたかったが、それだけのために君を探していた訳じゃないんだ」

じゃあなに?私たちの間にバトル以外の共通点なんて何かあったかな。今更あの頃はなんて懐かしむ気持ちにはなれないのはわたしの反応を見て察してほしいところなんだけどなあ。

「俺は、チャンピオンとして…誰にも負けるわけにはいかない。誰にも負けない、最強のチャンピオンになって、俺は結婚を申し込みたいんだ」

…結婚?
知らないよ。わたしが過去チャンピオンに2回勝ったことあるって言いふらすとでも?最強じゃないんだよって?そんなことするわけない。誰も得しないし、実際今現在の彼には敵わないだろう。
結婚だってそんなの、勝手にやればいいじゃないか。最強の男として結婚申し込みたいならどうぞご自由に、水さしたりなんて絶対にしませんから。

「負けたまま結婚なんて申し込めない」
「お相手知らないけどそんなの気にしないよ、今のガラル最強の男は名実ともに貴方なんだから。貴方に求婚されて断る人なんていないよ」

半分お世辞、半分本音だ。大部分はだから早く帰ってくれという本音だけど。とにかく建前を告げればダンデは何故かかなり驚いた顔をした。なに?何かおかしなこと言った?

「こと、わらない?」
「え…、まあ、よっぽどの変わり者でなければね。ガラルの英雄を嫌う人なんている?」

だから、わたしのことなんて気にしないで、さっさとその恋人だか婚約者だかのところに行ってくれーーーそう思った矢先。伏せていた顔をがっと上げたダンデは、そのままの勢いでがしっとわたしの肩を鷲掴んだ。あまりの気迫に思わずひっと悲鳴が上がる。なに、なんなの。瞳孔開いてる、怖い。びびっていると、けれどすぐさま彼は恭しく地に片膝をついて、わたしを見上げた。

「日向」
「な、なに?」
「俺は君がずっと好きだった」
「え」
「結婚してくれ」

差し出された手を凝視する。けっ、こん?なに、言ってるの?

「サ、サーナイト!」

わたしの行動を予見したらしいダンデが恐ろしい勢いでこちらに手を伸ばす。わたしは縋る思いで叫んだ。紙一重、まさにダンデの手がわたしの腕に触れる瞬間発動したテレポートで、その場に取り残されたのはチャンピオンと摘みたてきのみが入ったバスケット。自宅に戻ってぜーぜーと息をつくわたしは、なんとか逃げ切れたと安堵していた。自分が今ここで彼の手から逃げたことが、後々さらに自分の首を締めることになるなどとはこの時微塵も思っていなかった。

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