憧憬にも足りない
昨日、衝動的に髪を染めた。私にはすこしばかり明るい色で、落ち着かなかった。友達には、似合ってる、だとか、ちょっと明るすぎない? とか、あとは、そうだ、意外だね、とか。そんなことを言われた。私は笑ってごまかした。知ってるよ、とは言わずに。
今日は午後からポアロでバイトだった。
ショコラ色よりも明るく、けれど金や薄茶には到底届かない私の髪の色。それをみたバイト仲間の梓ちゃんは、目をまんまるにして驚いた。
「髪、染めたの?」
くるんと丸まった毛先が梓ちゃんの頬の横で柔らかく揺れる。
「うん。ちょっと、明るすぎちゃったかな」
「うーん……。なまえちゃんにはちょっと明るい感じがするけど、その色、すっごくきれい!」
笑顔で肯定した梓ちゃんは、じゃあ先に行ってるね、とお店の方へ足を向ける。さらさらの髪が背中で波打った。明るすぎちゃったけど、本当はもう少し暗い色が好きだけど、どうしようもなくなってしまった。ほんとうはもっと、明るい色になりたかった。
私は髪をまとめてからエプロンをつけて、梓ちゃんの後を追いかける。
彼に近づきたい。その一心だった。私と彼を、安室さんを隔てる壁は、透明で、美しくて、冷たい。ひどく薄いのに、果てしなく高い。私にはその壁を飛び越えることはできないのだ、決して。
安室さん。安室さん。私はあなたに、もっと近づきたいのに。知らない世界があるのは仕方がないけど、知らないことばかりなんてつらいだけだ。彼が私に個人的なことを話さないのは踏み込ませないためなのだろう。意識的であれ、無意識であれ。
私の気持ちは気づかれてはいけない。適切な距離を保たなければいけない。線を引いてわかっているというポーズをとらなくてはいけない。
ほんとうは、私の気持ちは自分がいちばん知っている。
あの明るい色に憧れた。髪色を彼のようにしてみたかった。けれど、たとえ同じ色に染まったって、気持ちまで近づくことなどできやしない。今と同じように、
「なまえさん、髪染めたんですか? その色も似合いますね」
そうやって笑顔を向けられて終わりだ。私はちゃんと知っている。昨日の夜、遣る瀬なさで埋まった気持ちのまま、なんとなくドラッグストアに入り、目についた明るい髪色の女の子が笑いかけてくるパッケージを手にレジへ向かったのは私だ。けれど迷わずに手に取った色は、どうやったって彼には届かないブラウンだった。そうやって私は結局冷静さを打ち消しきれず、けれど傷つくことで安心を得ている。
「本当ですか? ありがとうございます」
私は少し照れたように笑う。梓ちゃんに向けるのと変わらない表情で、声のトーンで、安室さんと微笑み合う。ほーらね、大丈夫。微かな痛みと切なさと安心感を抱えて、私はいつもと変わらない。大丈夫。私はこんなにも平気だ。
私にいちばん似合うのはもう少し抑えた色味だし、私と安室さんの距離は、頑張ってもこれ以上には縮まらない。
私は年相応に大人らしくふるまえて、どこか子どもっぽくて、恋に必死で、少し胸が痛んで、切ないと思えることができて、そして同時にとても冷静だった。
残酷なくらい、私は溺れきれさせてもらえない。近づけないくらいなら、溺れきってしまえなくていいと思わされてしまう。
私の中で明るすぎる色だけがアンバランスで滑稽で、目立ちたがりの残像のようだった。