不思議の部屋に戻ってくると、薬瓶のテーブルの上にチシャ猫が待ち構えていた。こちらを見下ろし、悠然と尻尾をふる。
「そんなところでいいのかい? 高いところで見物しようよ」
部屋の空気がピリピリとしていて、自然と呼吸が浅くなった。なにかがこちらを見つめている――。
「初めて来たときと、なんだか雰囲気が違うような気がするよ」
「そう? 気のせいじゃない」
グーフィーに同意しようと思ったが、ドナルドの言葉でそれを飲み込む。しかしそれで不安は消せるはずもなく、ソラの側を離れないようにした。
いよいよテーブルの上に立ち、チシャ猫の側に着く。いつも彼はこちらから距離をとって現れていたので、毛艶が良いことが見てとれるほどに近寄れたことに驚いた。
「さあて、いよいよ影が来る。心の準備はできてるかい? できてないなら……お気の毒!」
チシャ猫がひょっこり後ろ足で立ち上がり、司会者のように振る舞うと、天井から巨大な影が降ってきた。
「えええぇっ!?」
ソラが目を白黒させながらキーブレードを構える。
トリックマスター。赤と紫の顔が交互に五つ縦に積み重なっていて、紙のようなペラペラな黒い腕はよく伸び縮みできそうだ。腕にふさわしく長い指にはそれぞれ紫の棍棒を握っている。鉄筋みたいな長い足は、つま先が尖った靴をごきげんに動かし、ガシャガシャ音を立てていた。
ドナルドが杖を振り上げグワグワ叫んだ。
「だから、騙されてるって言ったじゃないか!」
「今、そんな話をしてる場合じゃないだろ!」
喧嘩を始めそうな二人の横で、グーフィーがうわーぉ、とハートレスを見上げる。
「すっごく大きいねぇ」
「こんなの、倒せるのかな……?」
トリックマスターが十の目でジッと見つめてくる。次の瞬間には棍棒で横凪ぎにしてきて、さすがのグーフィーも防御はしたが、圧倒的体格差による力に負けて吹っ飛ばされた。
「グーフィー!」
「痛いなぁ、もう」
普段ぼんやりしていても、さすが騎士。上手く受け身をとったらしくケロッとしていた。けれど、自分が同じ目に遭ったらとても無事にすみそうにない。
再度、棍棒が振り上げられた。間違いなくこちらを狙っている。
オロオロしていると、トリックマスターとの間にサッとソラが割り込んでくれた。
「やい、ハートレス! 俺が相手だ!」
トリックマスターは少し動きを止め後、素直にソラを狙い始める。ソラは棍棒をドッヂロールで避けたり、キーブレードで弾いたりした。
「グーフィー、僕たちも行くぞ!」
「待ってよぉ」
グーフィーに活を入れたドナルドがトリックマスターへ向かっていく。自分も遅れまいと駆けだした。
「脚に魔法が効かないよ!」
トリックマスターの足へファイアをぶつけながらドナルドが唸る。
「腕もダメみたい」
盾を武器にして腕を攻撃するも、手応えがないのかグーフィーが首をかしげた。
「腹が弱点だ。けど、高くて――うわぁっ」
一番狙われているソラがジャンプ斬りするが、キーブレードはむなしく空振りに終わる。仕返しに棍棒でポカリとされていたのでケアルを飛ばした。
「元の大きさに戻れたら……」
「それだ!」
「大きくなれば、楽勝だよな!」
つぶやきがドナルドとソラに届き、いっせいにテーブルの上へ戻ったのがまずかった。全員がビンのもとへ集まれば、当然トリックマスターも机の上を狙う。哀れ、ビンは棍棒攻撃に巻き込まれてしまい、みんなであんぐり口を開き、部屋の隅へ転がってゆく姿を見送った。
「えぇと……どうしよう?」
「このまま、いくしかない!」
グーフィーに答え、ソラがテーブルからトリックマスターへ斬りかかる。応戦しようとしたらしい棍棒は、ソラに当たらずテーブルを叩きつけた。不思議なテーブルはそのまま床に吸い込まれるように消えてしまう。
「き、消えちゃった!?」
ちょうどよい足場であったテーブルがすっかり床のアートになってしまい戸惑っていると、トリックマスターの足が寄ってきた。相手の足の方が何倍も長いので、十歩逃げてもたった一歩で縮められてしまう。ソラやグーフィーが一生懸命ジャンプして腹に攻撃を加えているが、無視してこちらばかり来る。いやだ、来ないで――願いながら走り続けるも叶わない。
「凍れ!」
ドナルドのブリザドがトリックマスターの足元に唱えられた。冷たい風が床までもツルツルに凍らせて、若干トリックマスターの速度が落ちる。
「フィリア、今のうちに逃げて!」
「うん!――わっ……」
ドナルドに感謝したとたん、自分までツルンと足が滑ってしまった。後ろへ倒れて行く間の視界がスローモーションに流れて行く。
大きい――床の氷、転んだ――魔法――――隣に誰か……
受け身をとる暇もなく、強かに頭を打ち付ける。ゴチンッ! といい音までした。あまりの傷みに声もなく、しばし頭を抱えて悶絶。後頭部に生まれたタンコブが、ジンジン熱を発している。
うずくまっている間にトリックマスターの足踏みが止まり、ガンッと大きな音がした。グーフィーが棍棒を防いでくれた音だと分かったのは、ソラに声をかけてもらった後だった。
「フィリア! だいじょうぶか?」
「ソラ……」
駆け寄ってきたソラの声を聞き、やっとの思いで顔を上げる。グーフィーがもう一撃、棍棒を受け止めた。
「立てる?」
「……へいき」
こんな時なのに優しくしてもらって嬉しく、タンコブの傷みなど言っている場合ではない。
「あいつから見えないところにいて」
「わかった」
自分よりも傷だらけで頑張っている彼らにケアルを送り、イスの下に隠れた後、ドナルドの真似をして攻撃魔法を試みた。トリックマスターは再び一番回避が上手なソラを集中的に狙い始め、こちらにとって安定した状態を取り戻す。
「あ――やった!」
何分経っただろう。四人がかりの攻撃が功を成し、ついにトリックマスターをガックリ脱力させるまでに至った。しかし、ハートが飛び出た様子はなく、代わりに触れると癒しの効果があるボールが落ちてくる。触れると光になって消えるそれは、ひとつでも頭の痛みを大分忘れることができた。
「このまま倒せればいいのだけれど……」
やはり、そこまで甘くなかった。トリックマスターがふっと意識を取り戻し、ソラたちを振り払ったのだ。
「やったなぁ〜〜! ファイア!!」
先ほどの自分のように、大きなたんこぶを作ったドナルドがファイアを唱える。その炎はトリックマスターではなく、その手にある棍棒の先にぶつかった。
「グワッ?」
「なんだか、嫌な予感……」
グーフィーの予感は当たっていた。棍棒は松明のように燃え盛り、こちらにとってより厄介な武器へと豹変したのだ。
トリックマスターが立ち上がり、棍棒を振るったとたん、宿っていた炎はこちらを狙うファイアとなって戻ってきた。
「うわわわわっ!」
床に撃ち込まれたそれは、速度も加わって威力が数倍増している。こちらのすぐ横に焦げた落とし穴が即席で出来上がった。
「ドナルドォ!」
「ぼくだって、ワザとじゃない!」
ついに喧嘩を始めてしまった二人。言い合っている最中も炎の玉は飛んでくる。
「二人とも、今はケンカしてる場合じゃ……」
「聞いてないねぇ」
棍棒に宿っていた炎がすべて使い切ると、トリックマスターはしばしキョトンと棍棒を見つめ、思い立ったように部屋の簡易キッチンの方へ歩き出した。そして、今まで出会ったどのハートレスよりも賢い彼(?)はコンロを点けて再び燃え盛る棍棒を手に入れる。
「そんなのあり!?」
喧嘩をしながら反撃しようとしていたソラとドナルドも、顔を青くして逃げに徹する。気がつけば、四人バラバラで部屋の中を走り回っていた。炎の牽制に近寄れず、強力な反撃の手だてが見つからない。
頭の傷みはともかく、魔法も唱えすぎたらしい、ついに体力の限界がきて足元がふらついた。物陰もなく、周囲に隠れられる場所がない。
「あ……」
立ち止まったせいで狙われてしまった。ごうごうと燃え盛る炎が近づいてくる。逃げきれない。身を固くして、痛みと苦しみを覚悟した。
「フィリアが!」
「グーフィー! 俺を投げて!」
「ほいっ!」
ソラがグーフィーの盾に足をかけ、彼が投げる力を利用してこちらの前まで飛んでくる。床を転がって威力を消し無事着地、そのまま襲ってくるファイアをバットさながらキーブレードでフルスイングさせて、トリックマスターに命中させた。
「こんなもの、レオンのほうが速かったぞ!」
最後の一回り大きなファイラまで跳ね返されると、トリックマスターは仰向けに倒れ、青く大きな心を吐き出して消滅した。