穴の先は口の中へと繋がっていた。先に落ちたフィリアを掴み、なんとか地に着く前に抱えて着地する。ピノキオの方もちょうど出っ張った木の板に服を引っかけて、地に叩きつけられずに済んだようだ。
腕の中のフィリアを見た。息はしているものの、先ほどまで笑顔を浮かべていたのが嘘のように青白い顔で気絶している。これではいまのカイリのよう――。
「フィリア!」
呼びかけてみるも反応がない。
物音に気づいたゼペットがゆったりこちらをのぞき見にやってきた。「おや、キミたちは」と話しかけられたので、一度フィリアを床に寝かせ、沈黙しているピノキオを降ろしてやった。
「ピノキオ! そんなにぐったりしてどうしたんだ?」
ピノキオに気づきゼペットが駆け寄ってくる。側に来られる前にピノキオを脇に抱え、フィリアを肩に担ぎなおして高所に配してある通路へと飛び移った。老体のゼペットがおたおたと見上げてくる。
「ピノキオ、ピノキオー!! お願いだ、ピノキオを返しておくれ!」
哀れな懇願に心が痛まないといったら嘘になるが、自分の大切な者を救うためなら犠牲も手段も選んでなんかいられない。船首から叫んでくるゼペットを見下ろすと、その後ろではやっとソラたちが穴から降りてきた。
「悪いけど、それはできないね。この人形にはまだ用があるんだ」
「人形じゃない。ピノキオはわしの息子だ!」
「心ある人形なんて、滅多にないからな。心を無くした者を復活させるのに役に立つかもしれない」
ソラにも聞こえるように言ってやると、珍しく表情を消し真顔で見上げてくる。
「それ、カイリのことを言ってるのか?」
「おまえにはもう関係ないことだろ?」
ソラの瞳にカッと怒りが宿るのが見えたが、これ以上話すつもりはない。何か言われる前に奥への通路に走った。
たどり着いた先は胃だった。黄色い胃酸が臭い泡をポコポコと作り出している。安全な一角に二人を降ろし、様子を探った。
あれほど騒がしかったピノキオは、ただの人形に戻ったかのように沈黙している。しかし、これでも十分何かの役には立つだろう。
フィリアも未だ昏睡していた。どうにかフィリアを目覚めさせられないか――こんな時に限ってマレフィセントは現れない。とにかく何度も名を繰り返し呼び続ける。
「フィリア、フィリア。目を開けてくれ……」
まるで死人のように反応がなくて、だんだんと気持ちが落ちこんでゆく。やはり、もうダメなのか? 祈るような気持ちでフィリアの肩を掴んでいると、ピクリとフィリアのまつ毛が揺れた。
「……だれ……?」
「フィリア! 良かった――!」
「リク? ここは――?」
激しく疲労しているフィリアは、だるそうに視線だけを動かしてピノキオを見つけると、僅かに目を見開いて、彼に手を伸ばした。
「ピノキオ。私のせいで……」
「フィリアのせいじゃない」
「リク。おねがい。ピノキオを助けて」
「……ハートレスに心を喰われたんだ」
「そんな――」
首を横に振って答えると、フィリアは泣きそうな顔でピノキオにケアルを唱え始めた。しかし、少しもしないうちに魔力も尽きて癒しの輝きは消え失せる。せっかく目覚めたのにまた気絶しそうなフィリアを支え、顔にかかった髪を払ってやった。
「無理をするな。安静にしているんだ」
フックの船をここに呼び寄せる間に、ソラは必ず追いつくだろう。闇の力で移動するべきか――しかし、フィリアには耐えられないとマレフィセントが言っていた。あの魔女を信頼してはいないが、そういう読みは信用できる。
そうして、予想していたよりもずっと早く、ソラたちが追いついてきた。
「ピノキオをゼペットじいさんに返すんだ。リク」
フィリアが「ソラ」と喜ぶ声につまらない気持ちになる。
強い意志を宿した瞳。勇者らしい発言をするソラは、島で見ていた呑気な表情とはだいぶ面構えが違っていた。
「ハートレスに心を喰われた人形――カイリを助ける鍵になるかもしれない。どうだソラ。一緒にカイリを助けよう。俺とおまえなら、やれるさ」
カイリの名を出せば、いくら単純なソラでも少しは迷うと思っていた。しかしソラはすぐに無言でキーブレードを構え、まっすぐにこちらを見据えてくる。
「戦うのか、俺と? 心をなくした人形のために?」
向けているのはおもちゃの木の剣ではなく武器だ。余裕ぶって笑ってみせるも、やはり動揺を隠せない。どうあっても、自分たちより勇者の使命を選ぶのか。
ソラは言った。
「ピノキオの心は残ってる。“良心”がね」
「良心?」
なんのことだ。ふと、ソラの足元から正装した小さなコオロギがピノキオへ走っていることに気づく。
「良心の声は小さいけど、でも俺にはハッキリ聞こえる。リク、それは“良くないこと”だってな」
「それがおまえの答えか――!」
胸中の怒りが炎のように猛る。自分たちに万能な力などない。善悪なんかにこだわって、カイリを助けられなくてもいいというのか。
「ピノキオ! ピノキオ!」
小さな歩幅で必死に走ってきたコオロギが、ついにピノキオの元へたどりついた。彼が呼びかけると、沈黙していたピノキオが薄っすら目を開ける。
「ジミニー。僕、もうだめだよ――」
その瞬間、光が灯ってピノキオの鼻が伸びた。彼は己の鼻を見て希望を得た笑顔になる。
「あれ? だめじゃないみたい」
途端に元気を取り戻し、しっかりとした様子で立ち上がる。フィリアも回復したのか、つられるように立ち上がった。
「ピノキオ。よかった――」
自分以外が喜んでいる空気のなか、こいつまで追いかけてきたらしい。再びパラサイトケイジが現れて部屋の中央に陣取った。
もう一度ソラと共闘などする気はなく、できればフィリアを連れてこの世界を去ろうと思ったが、彼女はとっさにピノキオを守りハートレスを警戒している。
時間ぎれだ。フィリアにピノキオを利用することを含め、同行を説得できる状況ではなくなった――しかし、フィリアに強硬手段はとりたくない。
ハートレスに狙われているのなら、ハートレスを操れるマレフィセントと取引できる自分の傍にいる方が絶対に安全だ。
こちらの視線に気づいたのかフィリアがこちらを向いた。悲しそうな表情が驚愕に変わってゆく。
「リク――!」
やや心配ではあるが、もうしばらくだけソラに預ける。次は船で迎えに来よう。
目を見開いている顔を見つめながら、闇の力を使ってこの世界から脱出した。