ヴァニタスが旅を始めてから、いくつかの世界を超えて、いくばくかの時が過ぎた。
裁縫をしても、絆創膏を巻くことがなくなった。最近はアクアから料理を学び始めたようだ。裁縫よりは向いているようで、味付けはアクアのものとよく似ている。攻撃魔法はサンダーが一番得意らしい。でも、一番上手なのはケアルかも──。
「うるさい……!」
これらは全てヴェントゥスから得た情報だ。別に自分から望んで得たのではない。いつからだったか、フィリアのことだけは勝手に流れてくるようになっていた。本人はそのことに全く気がついていないようだが、それほどフィリアに関心を寄せているということだろう。
ヴェントゥスが誰をどう想おうと関係ないが、厄介なことに、ヴェントゥスに影響され、自分までフィリアのことをよく考えるようになっていた。
キーブレード使いでもないし、戦闘で優れているようにも見えない者に、理由もわからないままいつも意識を囚われている……本来の自分ならば、屈辱に激昂しているはずだろう。それなのに……。
心地よさと共に締められるような苦しみがあった。やめようと何度思っても、やめることができないまま──回数を重ねるごとに、自分の中の何かがギシギシと音をたてて軋んでゆく。
『ヴェン、おつかれさま。右足、だいじょうぶ?』
『ダメみたいだ……いてっ!』
『わっ……今、ケアルするから』
『──ふぅ、もう大丈夫だ。ありがとう』
『今日は惜しかったね』
『うん。あーあ……いつになったらテラに勝てるんだろう?』
『きっともうすぐだよ。ヴェン、とっても強くなったもの!』
『──よし、明日こそ絶対テラに勝つぞ!』
『がんばって。でも、無茶はしないでね』
『ああ!』
二人が笑いあう声が耳障りで癇に障る。
燃えたぎる溶岩のような気持ちの原因がわからないまま──ヴァニタスは新たに見つけた世界へと降りていった。
★ ★ ★
“どうして?”
フィリアはむっとした気持ちのままに、雷の魔法をぶら下がっているリングにぶつけた。
アクアほどではないが、自分も得意だと言えるほどには魔法の扱いが上達してきた。
しかし、ただ魔法を撃つだけなら大砲と同じ。実戦では敵との攻防が必ずある。
闇との戦いを望む自分としては、いい加減実践を想定した修行をやってみたかったのだけれど――思い切って、テラとアクアに手合わせを願ったところ「マスターに禁止されているからダメ」と断られた。
現在、エラクゥスはヴェントゥスと修行をしている真っ最中。それが終わるのを待ちながら「どうして」という気持ちを抱え、フィリアはリングに八つ当たりという名の自主トレーニングを行っていた。
「フィリアーっ!」
「ヴェン! マスターとの修行は終わったの?」
「うん。今、終わった……ん?」
山下から駆けて来たヴェントゥスはフィリアの微妙な変化に気付いたのか、少し表情を強張らせた。
「フィリア、もしかして怒ってる?」
「……マスターったらね、テラとアクアに私とだけ手合わせ禁止って言ってたの!」
「ああ、それか。俺も理由は知らないけれどフィリアとだけは手合わせ禁止って言われてる」
ヴェントゥスまでそう答えたので、フィリアはますます腹をたてた。
「私、マスターに理由を聞いてくるっ!」
「あっ、フィリア──!」
ヴェントゥスをその場に残し、フィリアは頬を紅潮させながらエラクゥスのいる大広間に向かって走り出した。
「魔法の勝負は、キーブレードかリフレクが使えなければ危険なのだ」
「身のこなしならば光の玉で修行すればいい」
「実践を行うには、まずは力の扱いだ」
「急くな。お前はまだその段階ではない」
フィリアが大広間から出てすぐ前の階段で膝を抱えて座っていると、山からヴェントゥスが戻ってきた。
ヴェントゥスはフィリアが頬を膨らませたままなのを見て、結果を聞かずともすぐに察したようだった。
「……しばらくはリフレクをもっと早く唱える練習と、光の玉で修行だって……」
「そっか」
キーブレードが使えないからそういうことはまだやっちゃダメ。正論に聞こえるが、大人の言い訳に聞こえてしまう。
……もしかすると、エラクゥスはまだ自分を認めてくれてはいないのだろうか。弟子の証のものだって自分だけ持っていない。
エラクゥスのことは大好きなのに、気持ちが拗ねてしまっているせいで嫌な考えまで浮かんでしまう。
むーっとしていると、困り顔をしたヴェントゥスが隣に座った。
「俺は、フィリアと手合わせ禁止でよかったって思ってる」
「どうして?」
「だって、失敗すると相手に痛い思いさせちゃうし……俺はフィリアにそんなことできないよ」
「……」
確かに相手を傷つけるようなことは嫌だし怖い。ヴェントゥスの気持ちはよくわかるし、優しさは嬉しくもあったのだが……自分にだけできないと言われるのは弱い者扱いをされているようで面白くない──魔法の扱いだけならば、ヴェントゥスにだって負けないのに!
「ケアルもできるし、私、怪我くらい平気だよ」
「フィリアが良くても俺が嫌だ」
「私は手合わせをしたいの!」
「俺はフィリアが手合わせするのは嫌だ!」
「私、そんなに弱くないよ!」
「弱いとか、そうじゃなくて……」
「それじゃあどうして?」
「どうしてって……えっと……それは……」
顔を近づけて問質すと、少し後ずさりながらヴェントゥスが口ごもった。そこで答えられないということは肯定するのと同じだ。
「ヴェン。やっぱり私のこと弱いって思ってるんでしょ……!」
「だから、それは違うって──」
「違うなら手合わせして!」
「えっ!?……ごめんっ!」
「あっ! ヴェン──!?」
ヴェントゥスはパッと立ち上がると山の方へ逃げてしまった。ヴェントゥスの足の速さには敵わない。
山道に消えてゆくヴェントゥスの背を見送りながら、フィリアは「もう!」と更に頬を膨らませた。