「きて……起きて、ヴェン」
ふわふわとフィリアの声が聞こえてくる。
起きなくちゃと思うものの、もう少しだけ寝させてほしいという気持ちの方が強くて瞼を開くことができなかった。今日の枕が格別に抱き心地がよく、甘い香りがし、あったかいからだろう。
頬を触れるように叩かれた。まだ、やだよ。
「……ううん……」
「わっ……!」
寝返りをうつと、フィリアは諦めたのか手を引いた。再び意識が深い眠りに落ちてゆく。
「動かないよ」
「ティンカー・ベル!」
知らない声に騒がれて、ちょっと不機嫌に思いながらも薄らと目を開ける。すると、太陽を直視するみたいに眩しかった。──人。羽のある金に輝く女の子が眼前に浮かんでいて、今にもこちらへ蹴りかかろうとしている。
「えっ? うわ!」
容赦なく顔面狙って振り下ろされる小さな足。とっさに転がって避けた。転がっている最中、背中は硬くでこぼことした感触に痛みを覚えたが、腕の中の柔らかなものからは絶妙な弾力と「きゃっ」という音が…………きゃっ?
「フィリア……?」
の、声だ。抱いていたものを見ると、沸騰したような顔色のフィリアが胸元にぴったりくっついていた。
「お、おはよう。ヴェン」
「…………おは、よう」
驚愕と納得が頭の中で衝突し、フリーズする。
「あの、ヴェン……」
「え?」
フィリアは困惑しきったようにそわそわと視線を体の方に泳がせた。
「その……手が……」
──まさか!?
ハッと両掌を確認し、ちゃんと背中と腰に回っていたことに安堵する。無意識でも変な箇所に触れて、嫌われてしまったら最悪だ。
……あ、抱きしめているから、起き上がれないのか。
「おまえたち、誰だ?」
知らない声がポカンと訊ねてくる。
見上げるとキツネの格好とクマの格好をした少年がいて、どちらもきょとんとした顔で自分たちを見下ろしていた。ぎょっとして腕の力が弱めると、フィリアが小動物のような素早さで起き上がる。
体の前面と腕の内側がスースーするのを感じながら、地面に両手をついて起き上がった。
「俺はヴェントゥス。みんなからはヴェンって呼ばれてる」
「私、フィリア」
心なしか、フィリアがいつもより離れて立つ。
普段なら気にしない距離に気を取られつつ、軽く左右を見回してみた。広くない崖道、知らない植物──ここへはたぶん初めて来る。最後の記憶は、異空の回廊でキーブレイドライドから落ちたところまで。
「えっと……そっか。少し休むつもりが、すっかり寝ちゃってたみたい」
「どこから来たの?」
クマの格好をした少年に訊ねられる。なんて答えようか。
「俺たちは──」
そこで、さっき顔を蹴飛ばしかけた妖精の少女が目の前まで降りてきて、少年のキツネ耳を急かすように引っ張った。キツネの少年が嫌そうに顔を歪めて妖精に言う。
「わかってるよ。すぐ行くから」
「じゃあね、ヴェン、フィリア」
質問の途中だというのに、二人が妖精と共にどこかへ向かい歩き始める。
「なぁ、どこへ行くんだ?」
「ティンクが見つけた、流れ星を探しに行くんだよ」
「流れ星!」
「流れ星があるの?」
期待に胸躍らせながらフィリアと一緒に訊ねれば、クマの少年がにこやかに言う。
「昨日の夜、流れ星がこの島に落ちたのをティンクが見たんだ」
「俺たちもいっしょに行っていいかな?」
言うと、キツネの少年がニヤリと笑った。
「もちろんだよ! 俺たちについてこられるならね」
「流れ星は、えっと──あっちの集落の方だね」
二人が島の内陸、木々が生い茂っている方角を見る。自分もつられてそちらを見ようとしたとき、フィリアが何かに気がついたように、真逆の方向へ顔を向けた。
「わぁ……!」
「どうかした、あっ!?」
フィリアの視線を辿り、同じように驚いた。先ほどからずっとざんざん鳴っていたものの正体――果てなく続く青い水と、その際をさまよう白い泡、薄黄色のなだらかな砂浜がそこにあったのだ。
なぜか、とても懐かしいと感じる風景。
フィリアがおそるおそる二人に訊いた。
「ねぇ、あそこにあるのってまさか──海?」
「そうだよ」
キツネの格好をした少年が当然じゃない、という面持ちで言う。
「あれが海……!」
フィリアが頬を紅潮させ、唇を半開きにしたまま名を繰り返した。その熱心な眼差しは、砂浜に打ち上げられている貝殻から水平線に盛りつけられた入道雲まで隅々を余さず見つめてゆく。前に見たいと言っていたし、感動もひとしおなのだろう。
「絵本で見た海とおんなじだな」
隣に立ちながら、自分も海を眺める。
視覚的特徴は絵本の挿絵から教えられたことどおりだったが、それだけでは知り得なかったこともたくさんあった。肌に吹くのは海風で、鳴きながら飛んでいるのは海鳥か。
「すごい──ヴェン、海ってすごいね!」
フィリアが海面のように瞳を輝かせてこちらを見上げた。
「あの動いている泡の集まりが白波で、しょっぱいのが潮の香り。あの青い水の中に、貝や魚や人魚たちがたくさんたくさん住んでるなんて!」
「ああ。だけど、ちょっとだけ落ち着いて、フィリア」
珍しく、我を忘れるほどにはしゃぐ姿はかわいいけれど、この世界の住人の前でそういう発言は疑問を招きかねない。
「人魚なら、よくこの先の入江にいるよ」
「本当!?」
「今ならちょうど、日光浴してるんじゃないかなぁ」
のんびりとしたクマの格好をした少年の言葉にフィリアの瞳の輝きが増すのを見て、金色の妖精が拗ねた顔をした。
「もう。今は流れ星を探すんだってば!」
キツネの格好をした少年が彼女の叫びを代弁し、じれったく叱ってくる。みるみる、フィリアがしゅんとした。
「ごめん。つい、嬉しくて……」
「まぁ、道の途中だし、見るくらいならいいけど……」
フィリアの落ち込みように罪悪感を覚えたのか、キツネの格好をした少年がバツの悪そうな顔でもごもごと付け加える。
「ありがとう。人魚かぁ、きっとすごく綺麗なんだろうなぁ」
「楽しみだな」
「あっ……うん……」
菓子の焼き上がりを待つように微笑んでいたフィリアが、急に視線を逸らし困ったようにもごもごする。接続区画の時もそうだったけれど、最近、そういう反応をされることが増えた気がする。なぜだろう。
「ふたりとも、準備はいい? 前へ進め!」
「あ──おう!」
そこでキツネの格好をした少年の合図がしたので、ヴェントゥスたちは集落目指して歩き始めた。