息を弾ませながら、やっと戻ってきた人魚の入江。岸壁に行きつ戻りつ踊る白波に、やはり人魚たちの姿はなかった。道中、ピーター・パンから聞いた話によると「今日はフックの海賊船が近くにいるので、嫌がって海底から出てこないのだろう」とのこと。ティンカー・ベルを攫ったことといい、フックへ怒りがつのる一方だ。
 ヴェントゥスは睨むように、目印である大きな羽帽子をジロジロ探した。しかし、

「……誰もいない?」

 フックどころか、水兵の老人もティンカー・ベルもない。

「隠れているのか?」
「高みの見物を決め込んで、あとから大笑いして現れる……フック船長ならやりそうだけど」

 ピーター・パンが淡々と言う。プライドが高そうに思えたが、小汚い手も辞さないらしい。
 もう一度入江の端から端まで目を凝らしていると、ふと、空からヒュルルルーなる音がして、いきなり真後ろが爆発した。

「うわぁ!」

 フィリアのデトネスクエア同等の威力、爆音、衝撃。耳鳴りに顔を顰めながら、転んだフィリアの側に寄り、キーブレードを握りしめた。
 攻撃があったのに、未だ敵の姿は見えない。

「大砲? いったいどこから」
「海だ! あれを見ろ!」

 人魚の入江を越えた先の海に、黒い帆に骸骨のマークを描いた海賊船が浮かんでいた。そこから大砲の玉が、こちら目がけて容赦なく発射されている。その精度は高く、反撃できないこちらはただ入江を右往左往するばかり。

「──ティンク!」

 何発目かの大砲を避けたとき、ピーター・パンが声をあげる。彼を見上げると、金色の輝きが彼の前に浮かんでいた。

「ティンク、無事でよかった」

 頬を嬉しそうに染めながら、ティンカー・ベルがピーター・パンに音なき声で何かを言う。

「え? 大きな剣を持った男に──」

 ──ひゅるるるる、とまた音が。

「二人とも、危ない!」
「おっと」

 フィリアの叫びで大砲を避けたピーター・パンたちが、高度を下げて近づいてきた。

「フックはこの先の岬にいるらしい。僕は海賊船の大砲を止めてくる! これ以上、ここを壊されるわけにはいかないからね」

 彼があちらへ行くならば、こちらの役割は決まっている。

「俺たちはフックのところへ行く」
「うん。ティンク、頼む」

 すると、ティンカー・ベルが一際輝きながら周囲を飛んだ。彼女の光が全身にふりかけられて消えてゆく。フィリアがひとつ、くしゃみした。

「これは?」
「妖精の粉だ。体が軽くなった感じがしないかい?」

 言って、ピーター・パンたちは飛んでいってしまった。大砲の玉がピーター・パンを追いかけてゆく。
 フィリアが弱ったように小首を傾げた。

「体が軽くなった感じ、する?」

 正直、何も変わったように思えない。けれど、思い浮かぶ可能性がひとつ。

「もしかしたら、俺たちも飛べるようになったのかも」
「そんなまさ、か……」

 苦笑したフィリアの表情が、みるみる驚愕に塗り替えられる。──自分だけ、体が浮き始めていたのだ。

「ヴェン!」

 フィリアが両手を掴み止めてきたので、まるで風船みたいな状態になってしまう。

「飛べた! フィリア、俺たちも飛べるんだ!」

 一緒に喜んでくれるかと思いきや、フィリアはかなりの困り顔。怯えているようにすら見えた。

「本当に? 私にもできるの?」
「きっとできるよ。飛べるって信じるんだ」

 おそらく、魔法と同じように意思の力が重要なのだろう。それなら、魔法が得意なフィリアもすぐにできるはず。

「わかった……」

 不安いっぱいの顔をしてひとつ深呼吸すると、フィリアは目を瞑り集中しはじめた。こちらは両手を掴まれたままなので、ぷかぷか宙に浮かんだまま待機するだけ。成功するまで頑張るフィリアの顔を見放題で、その無防備さに悪戯心まで芽生えてくる。加えてこの状況、まるでキスを催促されているみたいだ──なんて。
 好き勝手考えていると、いきなり浮力が強まった。フィリアが小さな悲鳴と共にしがみついてくる。自分の心臓もびっくり叫んだ。

「ヴェン、飛べた、飛べたよ……!」
「うん。それじゃあ、行こう」

 喜び溢れる笑顔が眩しい。
 浮遊したまま、とりあえず片手を離すと、途端にフィリアの浮力がガクンと落ちた。

「え」

 目で合図しながら、恐る恐るもう片方も離してみる。綿毛のように落ちてゆく。地面ギリギリで拾い上げ、着地した。

「ど、どうして……」

 ワナワナ震えながら落ち込むフィリア。フィリアの状態は“飛んでいる”というより“浮かべている”といったほうが正しいかった。
 コツは教えたし、妖精の粉は平等に降りかかった。いったい何が問題なのだろう?……まぁ、自分が手を貸せば飛行に問題はなさそうだが。

「ヴェン。飛ぶ練習する時間……」
「こうしてる間にも、フックが逃げちゃうかもしれないよ」
「……」

 こく、と頷く姿は切なそうだったが、フィリアに素直に頼ってもらえるのはこちらにとっては喜ばしい。笑顔になりそうだったので、必死に真面目な顔をして手を差し出した。

「ごめんね。……お願いします」

 だから、謝らなくていいのに。
 貝のように重ねる手。自分の手に比べ、白くて小さくて滑らかだ。力加減を間違えると壊してしまいそうで怖いが、可愛い。風の抵抗を少なくするため自分がフィリアのマントのように背後に立つと、甘そうな香りの髪に気持ちが惹かれた。このまま抱きしめたくなる。

「…………」
「ヴェン?」

 心奪われていると、フィリアが振り返りながら見上げてきた。ずっとこちらを見ていてほしいなんて考えまで浮かんでくる。言えないけれども。

「いくよ。しっかり掴まって」
「ん」

 膝をたわませてから地を蹴って、波打つ海面の上を飛び始めた。

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