マスター・エラクゥスは、広間のイスに腰かけていた。
「二人とも、戻ってきたのか。まだ日が高い。今日くらい、もっと遊んできてよいのだぞ?」
機嫌が良いのか、エラクゥスの声はいつもより穏やかだ。私はヴェントゥスと頷き合った。
「マスター。私たち、山頂でお昼寝をしていたら、心が入れ替わっちゃったんです」
「なに……?」
「本当なんだ、マスター」
「……」
笑顔だったのが一転、エラクゥスの表情が険しくなった。眉間の皺が、一気に三本。
「フィリア、ヴェントゥス。口調で遊び、私をからかっているのではないのだな?」
エラクゥスが量るようにこちらを見る。その視線に、少し緊張してしまう。
「うん。キーブレードで証明できるよ」
アクアとテラの時と同じように、ヴェントゥスがエラクゥスにキーブレードを見せた。それを見ると、エラクゥスは片手で目元を覆う。
「……なんということだ」
ため息雑じりに呟き、エラクゥスがイスから立ち上がった。
「何か、思い当たる原因はないのか?」
「それが……さっぱり」
「先に私が目を覚ました時には、もうヴェンと入れ替わった後でした」
「そうか。眠っていただけで心が入れ替わってしまうなど、本来、決してありえぬことだ……しばし待て」
そう言うと、私たちに背を向けて、エラクゥスが他のマスターとの交信を開始した。期待と緊張――これで元に戻る方法が分からなければ、本当にお手上げになってしまう。
「……うむ……そうか、感謝する」
しばらくして、交信を終えたエラクゥスがこちらを見た。表情は暗くない。何か、良い解決策が見つかったのだろうか?
「私の兄弟子である、マスター・ゼアノートと連絡がついた。事態を聞き、ここへ駆けつけてくれるそうだ。常に世界を巡っているゼアノートならば、何か知っているかもしれん」
そのマスター・ゼアノートがこの地に着いたのは、それから三十分後のことだった。
「…………実に、興味深い」
まるで実験動物を見るかのような目つきで、ゼアノートが私とヴェントゥスを診察する。正直、かなり居心地が悪い。
「ゼアノート。何かわかったか?」
私たちの背後に立つエラクゥスが、ゼアノートに話しかけた。ゼアノートは私たちから目を離さずにそれに答える。
「詳しいことは、まだわからん。しかし、心を取り換え、ましてや定着し合うなど、極めて珍しい事例だろう」
「定着……では、自然には戻らぬと?」
「おそらくな」
「そんな……!」
「どうにもならないの!?」
私とヴェントゥスが悲鳴を上げると、ゼアノートが「慌てるな」と低く笑った。
「心を戻すだけならば方法はある――安全は保障できんがな」
言いながら、ゼアノートがキーブレードを呼び出した。鈍く銀に光るキーブレード。その切っ先が、私とヴェントゥスに向けられる。
「エラクゥス。お前も、この方法はすぐに思い浮かんだはず。我々のキーブレードで、二人の心を取り出すのだ」
その言葉を聞くと、ゼアノートから庇うように、エラクゥスが私たちの前に割り込んだ。
「それはならん、危険すぎる!」
「では、このままで良いと言うのか?」
「それは……しかし」
「心が定着したばかりの今ならば、引き剥がしやすいはずだ」
「心を傷つける可能性がある以上、承諾できん」
「フン。その程度のことを恐れていたら、この問題は解決できんぞ?」
「解決したら、後はどうなっても良いと言うのか!」
エラクゥスの怒声が、会話を重ねるごとに大きくなる。ここまで怒るエラクゥスを見るのは滅多にない。元に戻れる可能性の難しさと、目の前で激しくなってゆく大人たちの言い争いに、私は恐怖を感じずにはいられなかった。
「……ぁ」
不意に片手を強く握られた。見ると、隣にいた私の体、ヴェントゥスの手と繋がれている。表情が硬いその様子から察するに、私と同じくヴェントゥスも不安なのだろう。私は、すぐにその手を握り返した。
「本人たちの心は、元の体に戻りたがっている。どちらが勝手なことを言っているのか、よく考えてみるといい」
「なんだと……!」
「それとも、己の手を汚すのことが怖いのか? それならば、私が一人でやってもいい」
「ゼアノートッ!」
遂に、エラクゥスがキーブレードをゼアノートに向けて構えた。止める間もなくエラクゥスが走り出し、振り上げられたキーブレードをゼアノートのものが受け止める。大きな力の衝突に、建物の柱が壊れ、天井が崩れ始めた。
「フィリア、ここは危険だ。行こう!」
「でも、マスターが……」
「いいから、早く!」
マスターたちの戦いは止まるどころか激しさを増してゆき……その場にいられなくなった私たちは、再び山に向かって駆け出した。