【転】





「最近、よくやっているじゃないか」
「なにが?」

 ノーバディのマークがプリントされたマグカップにコーヒーを注ぎながら、ルクソードがいきなり褒めてきた。

「君がサイクスから説教される姿を見なくなった」

 付け足すように言われ、ああ、と頷きながらカップを受け取る。

「まぁね。デミックスは、今日も叱られていたっけ」
「説教仲間が減ったことを、ずいぶんと嘆いていたよ」
「デミックスだって、真面目にやればちゃんとできると思うんだけどな」

 私の小さな変化に一番最初に気づけたのだから、鋭い洞察力を持っていると思う。
 カップの水面を覆い隠す湯気をふぅと吹き飛ばして口をつける。ルクソードに協力してもらい、コーヒーを毎日飲んだ成果。ブラックでも、カップ一杯分くらいならばなんとか飲めるようになった。

「あぁ、しまったな……」

 私と同じくコーヒーを飲もうとカップへ手を伸ばそうとしたルクソードが、手を引っ込める。

「どうしたの?」
「今日は、モーグリとポーカーの勝負する約束をしていたんだ。もう行かなくては。そのコーヒーも、飲んでしまってかまわない」

 ルクソードは止める間もなく回廊を開いて、さっさとその中へ行ってしまった。残ったのは私とほかほかのカップが二つ。さすがにブラック二杯はムリだが、捨ててしまうのはもったいない。そして、急がないと冷めてしまう。
 唸りながら考える十秒間。こういうときに思い浮かぶ顔はたったひとり。

「…………サイクス、部屋にいるのかな?」

 








 コーヒーふたつを載せた盆を片手で持ちながら、サイクスの部屋の前で手鏡を覗いていた。唇のグロスも髪留めの位置も完璧なのに、前髪の向きが気に入らない。指先でごしごし撫で付ける。

「こんなところで何してるんだ?」

 突然の声にビクッと鏡をしまいながら後ろを向き、そしてがっかりする。

「な、なんだ……シグバールか」
「なんだとはご挨拶だな」

 片目を眼帯で隠したこの人は、スナイパーである職業柄か、よく他人を観察している。私もその例に漏れず、頭から靴先まで舐めまわすように見られることを非常に不愉快だと思っている。
 シグバールは私の後ろの扉を見やり、ふぅん、と笑う。

「ここはサイクスの部屋の前だぜ?」
「知ってる。報告書の書き方を教えてもらうの」

 我ながら良い口実だった。サイクスはいきなり「一緒にコーヒー飲まない?」なんて誘いに乗ってくれるほど気安く社交的な性格じゃない。けれど、任務が絡めば一転して熱心に教えてくれることも知っている。

「書き方なら、俺が教えてやってもいいぞ」
「せっかくだけど。サイクスに提出するんだから、彼から教えてもらうのが一番だわ」
「なーんでサイクスにこだわるんだ? あいつはいつも忙しいから、邪魔者扱いされるだけだぜ?」
「……」

 隠そうともせず、堂々と探りを入れられている。むっとした顔をしても、彼は全く動じなかった。
 一歩、シグバールが近づいてくる。

「おまえ――いきなり色っぽくなったなぁ」
「は……?」
「前はもっとお子ちゃまだったってハナシ。いったい何がおまえをそうさせたのかねぇ?」

 シグバールが顎を掴んできて、首が痛むほど上へ向けさせられる。必要以上の近距離でニヤリと釣り上がる口元を見て背筋あたりががぞわりと粟立った。本能的に危機を感じ、慌ててその手を甲で払う。

「私がどう変わろうと、シグバールには関係ないでしょ!」

 数歩後ろへ離れながら睨みつけるも、シグバールは嫌味ったらしく笑うだけ。

「おいおい。この程度でビクついてたら、あの堅物は落とせないぜ?」
「お、お、おとっ!?」
「心がないノーバディも、恋の真似事をするか……」
「え――?」
「何をしている」

 シグバールの呟きを聞き返す前に、冷たい声が登場した。今度こそ、書類を抱えたサイクスが呆れ顔で立っている。

「別にぃ? かわいい後輩と、楽しくおハナシしてただけさ」
「それなら、俺の部屋の前以外の場所でするんだな」
「あっ、私はサイクスに用があるの!」

 シグバールから逃げるため、そそくさとサイクスの側まで小走りする。すると、それ以上の追求を諦めてくれたのか、はたまた興味をなくしたのか、シグバールは「せいぜい頑張れよ」などと言葉を残し、ニヤニヤとした顔のまま自室の方へ去っていった。

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