一章[01]
マリッサという少女は完全に憤怒の形相だった。
あれから小一時間――というほどは経っていないとは思うが、なんとか目の前の精霊だという少女の機嫌を取りつつ僕は説明を終えた、つもりだった。言い終わって彼女の顔を見るとこれだ。
「……女神様達の封印が解かれたかもしれない、ですって?」
さっきの体験から予想するに殴りかかられるかもしれないと思っていたけれど、実際のところ彼女は静かに口を開いた。ただし、その声は明らかに怒っている、気がする。
「言いなさい、封印を解いたのは一体誰なの!?」
「い、いや、それは……」
正直僕たちにもわからないというか、ぶっちゃけまだ何が起きたのかさえよくわかっていない。どう説明しようかと思っていると、何故か不自然に首をこくこくさせている筋肉が目に入った。――こいつ、寝てやがる。
「そこの馬鹿が限りなく黒に近いです」
「へえ」
「んっ!?なんだ!?俺!?」
彼女の向けた視線に込められた殺気に気付いたのか筋肉は飛び起きた。野生動物かこいつは。
「えっ何急に、ちょ、ラシア!?」
「あなたが戦犯と聞いたのだけど」
「いやそれ違、冤罪!おいラシア!俺たちの友情はどこに行ってしまったんだ!」
「むしろどこにあったんだ!?」
人にばかり弁護させといて自分は寝てるってどういうことだよ!そしてなぜか熱い友情認定されているのも納得いかない。とりあえずあいつは一度痛い目を見るべきだ。
「とりあえず軽く焼かれるのと炙られるのどっちがいい?」
僕から離れたマリッサは筋肉に歩み寄ってにこにこ物騒な質問をぶつけた。超怖い。
ちなみに筋肉は「調理されるのは嫌だ!」と叫んでいる。多分そうじゃないと思うんだけど。
「……どうしても嫌っていうなら、殴る」
「いやだから俺に罪はな――」
「もうどっちでもいいから殴らせなさい」
「趣旨!変わってませんか!」
なんか一周回って楽しそうに見えてきたぞ、あいつら。意外といいコンビなのかもしれない。
マリッサが大きく拳を振りかぶる――が、それは筋肉に当たることなく、すり抜けた。
「あ」
マリッサがぽかんとした顔をする。筋肉も同様だ。
「……そっか、私実体化してないから殴れないんだ」
「おっ?俺、助かった?」
彼女は自分の手を見つめて、しばらく黙っていた。筋肉はまさに喉元過ぎればなんとやら、という風で息をついている。どうなるんだろう、と見つめていると突然マリッサの視線がこちらに向けられた。
「ちょっと」
「は、はい?」
「そこのあんた、手を出しなさい。切るから」
「はい!?」
唐突にこっちに矛が向けられた――いや、本当に、短刀がこちらを向いていた。
「……契約、しなさい。私と」
「えっ、それって……」
「いずれにせよ貴方は私の力が必要なんでしょう。それで、私はいまあいつを殴りたい。利害の一致よ。契約には十分だと思うけれど?」
「十分なの!?」
筋肉なんかを殴るために実体化を望む精霊が居るとは。それほどムカつくのか、あいつ。でも理解はできる。
――でもどちらにしろ、かなり変わり者の精霊ではあるらしい。
「……ほら、手を出して。血によって契約は成立するようこの世界はできてる。――そういう風に、女神様達がお創りになったから」
「……」
覚悟を決めて、右手を差し出した。マリッサの持つ短刀が小指の上を滑り、赤い血が滲み出る。不思議と痛みはなかった。
彼女のほうも同じように刃を滑らせ、血を流す。痛みもなく滴ったそれは魔法陣のように広がり、僕たちの周りを囲む。彼女は何かを呟いていたが、僕にはわからない言葉だった。
……やがて広がった赤は一本の糸のように纏まり、僕たちの小指に巻き付いていく。はっと気が付いた時、僕の小指にはツタのような赤い模様が浮き出ていた。
「これで契約、完了よ」
「……これで……」
終わってしまえば案外あっさりしたものだな、と思いつつ、それでもまだ現実味のないふわふわした気分で僕は彼女に手を差し出した。
「そういえば自己紹介をしていなかったよね。僕はラシア・ティーイング。よろしく、マリッサ」
「あら、そうだったわね。……ええ、これからよろしく、ラシア」
マリッサが僕の手に触れる。今度はすり抜けなかった。僕たちは夜明けの中で、握手を交わした。
「で、あっちが何?」
「ああ、あれは――」
「はは、よくぞ聞いてくれたな!俺様は――っと、おお、握手か?いいぞ」
紹介しようとした瞬間筋肉が胸を張り始めた。どうも聞かれるのを待っていたらしい。
それに対して最後まで聞かずにマリッサが歩いていく。妙に笑顔だ。あ、嫌な予感がする。
風を切って拳を振りかぶる音が聞こえた。
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あと1センチ