一章[02]


「……さて、準備運動も済んだし、なんだかすっきりしたし行きましょうか」
「今のアレ準備運動だったのかよ!?」

 結局一発殴って落ち着いたのか、マリッサの機嫌は多少良くなっていた。
 なんだ一発だけか、と思ってはいけない。
 マリッサの一撃はなんというか――強烈だった。正直精霊を舐めていた。筋肉のほうも少女のパンチくらいと思っていたらしく、まともに食らって飛んで行った。文字通り、飛んで行った。具体的に言うと家一軒分ぐらい。あれを連打で食らったらかなりの重傷になるだろう。というか多分、さっきの一発でさえ僕が食らったら大けがだと思う。
まあしかしそれでもぴんぴん立って文句を言っているあたりがボドゴリッツァ・リータという男である。――貴族ってことで命を狙われることもあったけど何度も掻い潜ってきたんだぜ、俺様凄くね?と以前言っていたのは伊達じゃないらしい。……まったくうらやましくないけどその能力。

「ねえ、ラシア。それであなた、これからどこに行くつもりなの?」

 さっき筋肉を殴った右腕をぐるぐると回しながら彼女が言う。どこに行くつもり……と言われても、正直僕たちの旅は手探り状態だ。村長は僕たちに完全丸投げ態勢のようだし。

「……とりあえず、この先の町かな」
「町?」
「うちの村の周りって特に何もないから。しばらく林が続くけど、月が真上に来るまでには街に出る。そこには駅もあるし、まずは町に行くところからかなって」

 空を確認する。それは相変わらず褪せた紙のような妙な色がかかっているけれど、夕暮れの終わり際のはずだった。そんなおかしな空の中でも、月だけははっきりと見える。林の中の道はある程度整備されているし、月明かりがあるなら夜であってもそう危険はない、と思う。このあたりにはあまり大型の動物はいないと言われているし。

「……なあ、ラシア」
「なんだよ」

 唐突に筋肉に声をかけられる――そのトーンは暗く沈んでいる。奴を見ると、露骨にテンションが低いのが見て分かった。何か問題でもあったんだろうか。

「もしかして今日夜更かししないといけないやつ?」
「……は?」
「いやだって、今から歩いて街行ったら夜遅いだろ?で、お前そっから列車乗るだろ?ほら」
「何がほらだよ!?」

 睡眠時間の心配をしている場合じゃないだろ、というか夜更かし云々っていくつだよお前。

「日が沈んでしばらくしたら眠くなって寝るんだよ。だから夜更かしは苦手なんだ」
「お前は野生動物か子どもか!?」

 全力で突っ込みを入れる――というか、それでもなんとしてでもついてきてもらわないと困る。大体寝るもなにも、半分村を追い出されたようなこの状況下で移動前に寝ようという話になるならそれは野宿の提案と同義だ。さすがにそれはダメだろう。

「ふふ、大丈夫よ」

 こうなったらできないながらに引きずってでもと考えていると、マリッサが微笑みながら前に出てきた。

「寝そうになっていたら私が起こすから」
「……我儘言ってすみませんでした行きます!」

 驚くべき速さで筋肉が頭を下げた。さっきのパンチで完全に上下関係が生まれたような気がする。……というか、意外とこの二人は組ませると良いのかもしれない。


 怒りを収めたあとのマリッサは(失礼かもしれないけれど)かなりしっかりした精霊のようだった。続きの話は歩きながらで構わないかしら、という彼女の問にうなずいて、僕たちは町へと歩き出した。確かに、ずいぶん長い間立ち話をしていた。

 林に入ってからは僕が先導してマリッサがついてくる。一応筋肉もついてきている。……一番歩みが遅いのが気になるけれど。
 先導、とは言っても整備された道なので迷うということは無い。入り組んでいるわけでも、道がたくさんあるわけでもなく、一本の曲がりくねった線のような道を辿れば良いからだ。
 
「女神の封印の仕組みについての話は聞いたかしら?」

 しばらく歩いてから、マリッサが切り出した。話の続きだろう、とは思うものの急に難しい話になったようで僕は戸惑う。

「いや、軽くしか……」
「そう、じゃあ説明するわね」

 マリッサはあくまで前を見ながら説明をつづけた。だから僕も、前を見ながらそれに相槌をうつ。月明かりがあるとはいえ普段ならもっと薄暗いはずの夜道は、何故かいやに明るかった。道に転がっている石さえもはっきりと見える。

「彼女たちの力は本来人間にも精霊にも、時には彼女たち自身にも扱えるようなものじゃないのよ。まあだからこそ、彼女たちは自分たちごと眠りに就かせるしかなかったわけね。つまりどういうことかっていうと、解かれた封印はそう簡単に戻せるようなものじゃないの」
「……うん、だよね」

 うすうすそんな気はしていた。ならもっと封印を解けにくくしておいてくれよ、と悪態をつきたくなる。けれど、それもやっぱり力の限界というのが関係しているのだろう。

「そんなわけだから、もともと欠陥のある機構ではあったのよ。……まあ、気休め程度にしかならないとはいえ誰もこんな最悪の状態に至るなんて思わなかったでしょうけれど」
「……最悪の事態?」
「貴方の話では、封印が解けているかいないかわからないってことだったわよね。多分、今も皆調べているんじゃないかしら。でもこの空気、この空、封印が解けていないにしてはおかしいと思わない?そして、解けているにしては何もなさすぎると、思わない?」

 ……確かに。
 マリッサの先の話の通りなら女神様たちさえも扱えない力が解放されたならそれこそ世界は滅んでいてもおかしくない。でも、解放されていないにしては何もかもがおかしすぎる。

「私の推測になるけれど、多分封印は解けきってはいないのよ」
「半々ってこと?解けかけ、みたいな」
「まあ、そんな感じね。ただ事態はもっと深刻だわ。――女神が封じた力は解放されかけているのに、それを抑えている女神の封印が解けていない、ってところかしら」
「……え?」

 いまいち理解できていない僕に、マリッサが人差し指を立てて説明してくれる。彼女が言うには、本来「正常に時が来て」封印がほころぶときには封印の楔となっている女神様も解放されるはずらしい。だから力が溢れだしてもそれが世界を滅ぼす前に女神様たち自身が再び封じ直すなり、別の対策をするなりできるはずだった。ところが今は「正常じゃない状態で」封印にひびが入ってしまい、それが機能しなかったのだと彼女は言った。

「だから女神たちに助けを請うことはできない。むしろ私たちが彼女たちを助けなければいけない。そういう状況にあるんだってことよ」
「……なんだか、女神様を助けるなんて言われてもわからないな」
「まあ、普通はそうでしょうね。でも、今はそういう状況なのよ。一つ幸いなのは封印が壊れるまで行かなかったことね。まだなんとか猶予はある――ここから数日で世界が滅ぶわけじゃない。今何も起きていないってことは漏れだした力が何かの偶然で止まってくれているんでしょう」
「偶然……」
「そう、偶然。水路を流れる水がたまたま落ちている枝や葉の集まりにせき止められているみたいな、そんな偶然よ。やがて水が溜まって限界を迎えたら、そんな堰はすぐに壊れてまた水が流れ出す。そして今度は、せき止められていた分強い流れでね」

 彼女の方をちらりと見ると、前を向いたままずいぶんと深刻そうな顔をしていた。実際深刻なのだろう。人間の僕にはいまいち実感がわかないけれど、精霊は女神に近い存在で長い時を生きるという。僕よりもずっと、今の状況を理解している。

「そんなわけだから、急ぎつつも焦らずになんとかしましょう。限界って言っても、今回の貴方たちみたいな事件が相次ぎでもしない限り来るわけじゃないから」

 そう言って、マリッサは微笑み交じりにこっちを向いた。さっきと同じような笑顔だけれど、さっきと違って怖くはない。むしろ、頼もしい。……もしかすると、彼女は彼女なりに僕たちを励まそうとしてくれたのかもしれない。

「とりあえず私たちは女神のもとに向かって封印の補強でもすることにして――」
「ま、待って待って、マリッサ。封印の補強って、さっき僕たちじゃ太刀打ちできないみたいなことを言っていなかった?」

 さて、と息をついてそんなことを言い出したマリッサに慌てて訊く。いやそれ、さっきと矛盾してませんか。

「ええ、したわね。そして私たちはそれでもやらなければならない。……そこの、えーとなんだっけ、ボド……ボドリン……」
「ボドゴリッツァだ!さっき自己紹介しただろ!!」
「覚えにくいのよアンタの名前。半分ぐらいの短さにしなさいよ」

 存在を忘れていた――喋らないし歩きも遅いから仕方ないと思う――というより、多分歩きながら寝ていたんだろう筋肉が名前を間違われた瞬間ものすごい速さで至近距離まですっ飛んできた。こいつの耳はどういう構造をしているのか。

「で、ボ何とか。あんたなら、自分の百倍ぐらい強い相手にどうしても勝たないといけなかったらどうする?手段は任せるわ」
「名前略しすぎだろ!……って、俺の百倍?そんな奴いないだろう?」
「灰になりたくなかったら真面目に答えなさい?」
「すみませんでした」

 一瞬いつものように調子に乗りかけた筋肉が直角お辞儀の態勢になる。完全なる謝罪の構えだ。マリッサ凄い。そしてそれ以上に直角の姿勢のまま歩く筋肉がキモい。

「百倍強くて俺一人じゃ敵わないなら、百人以上の人を応援で呼んだらいいんじゃないのか?」

 直角の姿勢から少し顔を上げて、けろっとした顔で筋肉は答えた。いや、どんな回答だよ。

「それ反則じゃないの……?」
「いいえ、いいのよそれで。ラシアはこいつが戦うって聞いて格闘技大会か何かを想像したでしょう。確かに大会ならルールだってあるけれど、実際の戦いならそんなものないわ。手段を選ばず、ただ勝つことならその答えが一番正しい。ま、いわゆる数の暴力ね」
 「……つまり、できるだけたくさんの精霊を集めて手伝ってもらえば封印の補強とか、かけ直しとかができるってこと?」

 この話の流れで突然こんな仮定を持ち出すのには、意味があるはずだった。それはきっと、僕たちがするべきことに関する誘導だ。僕の推測に、マリッサは小さく口角を上げた。

「ええ、なかなか話が分かるじゃない。その通りよ」
「じゃあ……!」
「でもたくさんの精霊を一か所に集めるなんて、常識的に考えて難しいわよね。場所だって限られているわけだし」
「うん、確かにね」
「でも、その問題を解決する方法があるわ。……まあ正直、私もあんまり乗り気じゃないのだけれど、火急時だし仕方ないわね」

 マリッサに僕と筋肉の視線が集中する。彼女は数秒焦らして、次の言葉を紡いだ。



「注目すべきは――“鍵の精霊”よ」
 


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