chapter:おちこぼれ妖狐。 真尋は意識を戻すと周囲の気配を探り、他に人間はいるかどうかを探る。 どうやらここに居るのはあの人間だけのようだ。人の気配はこの広い屋敷からは感じられない。 食欲を満たすには今しかない。 真尋はすかさず懐からナイフを取り出すと男が居る縁側へと走り込んだ。 恐ろしい速度をもって男の間合いに滑り込む。妖しく光る切っ先を男の首筋に突きつけた。 「物の怪(け)か?」 男の薄い唇が開き、夜気に溶けるような澄んだ低い声が真尋に問うた。 つい先ほどまで満ちた月を見ていた悲壮感が漂う目は、今は閉じている。 男の雰囲気は臆しているようではなく、真尋の正体を探っているように見える。 真尋は今、男の首筋に鋭い切っ先を突きつけている。――にもかかわらず、緊張感というものがまるでないのはどういうわけだろうか。男はとても冷静だった。 もしかすると、真尋が男を傷つけるつもりがないということを察知しているのかもしれない。 なにせ真尋は目つきが悪く、一見すると暴れん坊のように見えるが、その実は血を見るのが大の苦手なのだ。 だから暴力なんて生まれてこの方振るったことがない。 相手が誰であろうと本当は他人に刃物を突きつけるような真似をしたくないと思っている。けれども今は背に腹は代えられない。空腹を訴える腹は背中と引っ付きそうだ。自分が生きるためだ。やむを得ない。 けれども傷つけたくはない。なんとかしてこの男に傷を負わすことなく食い物に有り付く方法はないだろうか。 真尋はひんやりとした切っ先を男の肌に突きつけたまま考える。しかし男は真尋の考えを知ってか知らずか、それ以上何も話すことがない。 そうこうしている間にも空腹のあまりに意識は朦朧としてくる。飢え死にしそうだ。 そこで口を開け、犬歯を剥き出しにして威嚇してみることにした。 これで少しは男も自分の命の危機にあることを理解するに違いない。真尋は確信していたものの――しかし事は自分の思うようには運ばない。 ぐるぐるぐるる。 なんと必死に緊迫した雰囲気を作ろうとしている真尋の行為をものの見事にぶち壊したのは自分の腹だった。 これでは緊張感も何もあったものではない。 |