chapter:陰陽師は好敵手に牙を剥く だだっ広い屋敷には庭があり、季節多様な植物たちが植えられている。 白の狩衣(かりぎぬ)に身を包み、夏だというのに涼しそうに、薄い口元にうっすらと笑みを浮かべ簀の子に座している男と向かい合い、庭で仁王立ちをしている俺――潮 由基(うしお ゆうき)はビシッと人差し指を向けた。 「今回は、俺の負けだが、今度こそ負けない!!」 時代は平安。 鬼や魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)しているこの時代。 俺たち陰陽師は、帝から奇怪な者たちを静めるよう命じられている。 そして昨夜は、最近巷を騒がせている奇妙な虫が森に巣くうているということで、出かけたのだが、まんまとこの男に、先を越され、その場に足を踏み入れた時には全てが落着していた。 だから次こそはと意気込んで、太陽が空高く昇っている今、俺は彼の元に断言しにやって来たというわけだ。 それなのに……。 「そうだろうね、君は強いから」 穏やかな笑みを浮かべ、彼は薄い唇を動かす。 俺の敵対心なんてコイツにはまったく効かない。 「っつ!!」 なんだよ、余裕の笑みなんか浮かべてんな!! ムカつく!! ――そう、俺ばっかりがこの男のことを意識している。 対するコイツは平然として微笑むばかりだ。 まったくもってイラつく!! 目の前にいるこの男の名は、世羅 隆晃(せら たかあき)。 彼は優れた術使いで、帝にも頼りにされている陰陽師のひとりだ。 艶やかな腰まである髪を後ろで結い、涼やかな双眸。長身で、都一の美形としても有名である。 対する俺もまた、優れた術使いとして知られている。 だけど容姿は……。 チビで悪かったな。 どうせ俺は童顔だよ。 今年で二十四になるけど、まだ男の子だと思われることもあるさ。 それに、日に焼けた肌に、短い黒髪。目の前にいるこの男とはまったく違う。 見てろよ、今にその余裕ぶった笑みを消し去ってやる! ギャフンと言わせてやるからなっ!! その日、地響きを起こすような足音を立て、決意を新たに、俺はソイツの屋敷を出た。 ある日のことだ。 俺は帝に呼び出された。 『山奥で鬼が出』 なんでも最近になって神隠しが頻繁に起こっているらしい。 鬼門の方角に当たる山で鬼を目撃した民がいたと言うのだ。帝から命ぜられ、その日、夜が更けてから、俺はひとり、歩行(かち)で件の山の麓へと向かった。 今宵は満月で、月明かりが夜道をほんのりと照らす。 緑が生い茂るそこは静寂が広がっていた。 邪気の気配さえもない。 俺は周囲の様子を窺いながらも先に進んだ。 どのくらい歩いただろう。開けた場所に行き着いた。満月がぽっかりと浮かんでいる。 とても綺麗な夜だった。 殺気なんて感じない。 俺は呆気にとられ、屋敷に帰ろうと踵を返した時だ。 油断したのがいけなかった。 背後から突然殺気を感じたんだ。 振り向けば、何時の間に現れたのか、山と同じくらいの大鬼がいた。 大鬼は大きな手を振りかざし、俺を払う。 本人は埃を払うつもりの仕草でも、ちっぽけな人間にしたら恐ろしい攻撃だ。あんな太い腕に触れられたらひとたまりもない。 俺はふんわりとかわし、地面に着地した。だけど俺の行動は読まれていたんだ。鬼の爪が俺の皮膚ごと切り裂こうとする。 体勢を崩した俺は、無様にひれ伏し、死を覚悟する。 その時だ、突然誰(たれ)かが俺の前に現れ、そうかと思えば俺の代わりに彼の腕が引き裂かれた。 薄闇の中で鮮血が飛び散った。 反射的に見下ろせば――……。 白の狩衣に身を包み、日頃から、うっすらと笑みを浮かべているソイツ。 俺 が知っているソイツが地面になぎ倒されていた。 ……なんで。 「ここにいるんだよ、隆晃!!」 俺は急いで隆晃に駆け寄ると、手を差し出し、起き上がろうとしているのを手伝った。 「大鬼だ。人を食らいすぎたらしい」 「なんでお前はそんなに冷静なんだよ! 血がっ!!」 さっき鬼の鋭い爪に切り裂かれた右腕の皮膚は裂け、鮮血が滴り落ちていく。 「そんな顔をするなら、この傷もまんざらではないな」 こんな時に何を言っているんだ? 「何言って!!」 まるで隆晃は死を覚悟したような、そんな口調だ。 「君を想っていた」 隆晃。 隆晃!! 血を止めなきゃ!! 俺は自分の狩衣の裾を破り、止血するため、傷ついた隆晃の腕に巻き付けた。 みるみる内に俺の狩衣が赤く染まっていく。 どうしよう。 どうしたらいい? 早くしないと隆晃が死んでしまう!! 視界が滲んでうまく隆晃を見られない。 こういう時、どうしたらいいんだろう。 せっかく優れた術を持っているのに、隆晃を助けることもできない。 何の役にも立たないなんて……。 自分の無能さをことごとく思い知らされる。 「俺、俺は……俺も……隆晃が好きだよ? だから帰ろう。きっとこの傷もすぐに癒えるからっ!!」 グズグズと鼻を鳴らし、隆晃に俺の本当の気持ちを告げた。 ――そう。俺は隆晃が好きだ。 対等に見てほしかったからこそ、何時も突っかかり、勝負を挑んできた。 すべては、俺を意識してほしかったから……。 俺は隆晃の思ってもみない告白に頷き、胸中を告げた。 その途端だ。 「うん、そうか。それは良かった」 隆晃は苦痛の表情から一変して、清々しい笑みに変わる。 「はあ?」 何が良かったのか、さっぱり意味がわからない。 理解出来なさすぎて眉根が寄る。皺ができているのが自分でもよくわかる。 「私のご用はこれでよろしいか?」 「うん、ありがとう。お疲れ」 鬼は静かにそう言った。 今まで殺気丸出しだった鬼は、先ほどの攻撃など嘘のように、ゆっくりと首を垂れ、明らかに、隆晃に対して敬意を払っている。 はあ? 「いえ、隆晃様には仮がございましたゆえ、返せて良かった」 大鬼は大気の中に溶け込むようにして消えていった。 どういうことかと目の前の男を見れば、彼の腕には受けたはずの深手が見当たらない。 まさか!! 嫌な予感しかしない。 「お、おまっ! 俺をハメたのか!?」 声が裏返ってしまうのは仕方がないことだよな? 対するコイツは、やっぱり口元にうっすらと笑みを浮かべるばかりだ。 それは肯定だ。 「だって、鬼が現れるっていう噂は? 帝からの命令は?」 「うん、噂は俺が流した。帝の耳に入るように」 はぃいいい? なんだって? 「なんっ! しらねぇ! もうお前なんか心配なんかしねぇっ!!」 心配して涙まで流した俺が馬鹿みたいだ!! ふいっとそっぽを向いて、目に浮かぶ涙をゴシゴシと乱暴に拭い去る。 「だけどね、もう、君は逃げられない。君は俺の言霊に触れた。すでに呪の中だ」 細い腕が伸びてきて、俺の腕を掴んだ。 見た目、すっごく弱そうな細い腕。いったいどこにそんな力が眠っているのだろう。 そんなことを思っている間にも、俺は隆晃に組み敷かれ、地面に仰向けになっている。 「俺としては、もう少し君と戯れたかったんだけれどね。あれ……」 「? あれ?」 『あれ』って、誰のことだ? 隆晃の言葉を反芻(はんすう)すると、隆晃はにっこり微笑んだ。 「帝は君をたいそう気に入っているからね、早めに手立てを講じなければならなかったんだよ」 「んなっ! 帝のことをそんなふうに言うなよ! 首が飛ぶぞ! というか、帝は俺をそういう目で見てねぇよ!」 特別な目で見ているのはお前だけだ! 「君は自分の価値を下げすぎだ」 隆晃は静かに首を振り、一呼吸置いてからまた口を開く。 「別に俺は命を失おうとも構わない。君を奪われるくらいなら安いものだ」 「俺は構う! そんな悲しいこと言うなっ!!」 俺が睨めば、ふたたびにっこり微笑まれた。 俺、ダメなんだって。その微笑みに弱いから!! 「っつ、うううううっ!!」 うっすらと笑みを浮かべている彼に雄を感じて胸が跳ねる。 ……ううっ、どうしよう。 もう自分の気持ちを誤魔化せない!! **END** |