chapter:城主は臆病者の医師を恋う 彼の手が、乱れた着物をくぐる。 肩口があらわになった状態でも、なんとかこの場から逃げようと足を動かすが、組み敷かれているため、それも敵わない。 俺は今、城主に言い寄られていたりする。 何故、俺がこの状況に陥っているのかというと、『先の戦で一刻の猶予を争う大怪我を負った』と、彼の使者が血相を変えて俺の元にやって来たからだ。 慌てて城門を潜り、やって来たら、彼は目新しい傷など何ひとつ負っていなくて、ほどよく引き締まった細身の身体は健康そのものだ。彼は不敵な笑みを浮かべていた。 ――鋭い鷹のような目は長い睫毛に縁取られ、射貫くような熱視線は俺の身体を熱くする。 相変わらずの美青年っぷりだ。 格好いい。 ……って、見とれている場合じゃない! ハメられた。 そう思った時には既に遅く、俺は彼のたくましい腕に閉じ込められていた。 「もう観念したらどうだ? 丞(たすく)、俺のものになれ」 「俺は、あんたのものにはならない」 いい加減この掛け合いにも慣れてきた。 彼の名は、倭 真之介(やまと しんのすけ)。年は二十六。とっくに嫁を娶っている筈の年齢ではあるものの、いまだ独身を貫き通している。 元服下手の頃、戦で左目を負傷しているものの、けれども健康的な日に焼けた肌と、射貫くような鋭い目。すっと通った鼻筋の下にある薄い唇は男らしく、迷いもない凜とした立ち姿で男女問わず人気がある。 倭様は民たちからも好かれていて、誰ひとりとして悪口を言う人間はいない。当然、言い寄ってくる姫君は数知れず。しかし彼は嫁を娶ろうとはしない。 その城主、倭 真之介と出会ったのは二年前。戦で深手を負い、大熱を患った。自力では動くことのできない人びとを診察した帰りの道すがら、たまたま城の横を通りかかった俺が城内に呼ばれたのがきっかけで、彼は俺の患者になった。 倭様は若かったこともあって、傷の治りは早く、三日三晩、寝ずの看病の甲斐もあり、高熱もすぐに治まった。 それからだ。なんでも献身的な俺に一目惚れをしたらしく、こうして俺を呼んでは口説いてくる。 本当は……。 彼と添い遂げたいと思っている。 俺だって、凛々しい彼に惚れたんだ。 人を傷つけることができず、戦に参加することを拒絶した臆病者の俺にはない、強くて凛々しい彼の姿に……。 そして、身分なんて関係なく、分け隔てなく人と接することのできる優しい彼に……。 鷹のように鋭い目と、常に口角が上がっている薄い唇は大胆不敵で、俺も彼のような人間だったならと、いつの間にか考えるようになった。 気が付けば、彼にどっぷりハマっていて、彼が用意した蟻地獄から抜け出すことができない。 だが、相手は城主。 いずれはしかるべき花嫁を娶る。 しかも、俺はたかだか町医者。身分が違いすぎる。 それでも、俺以外の人を抱く姿なんて……愛を乞う姿なんて見たくない。 臆病者の俺は、首を振り続けた。 「丞」 「やめっ! いやだっ!!」 倭様の指が俺の乳首に触れた。 好いている人に触れられれば、それが何処であろうと下肢が疼きはじめる。 でも、流されてはいけない。 俺は首を振り、彼のたくましい胸板を押す。 倭様に寄り添う奥方様のことを想像するだけで、目には涙が溢れてくる。 視界が歪んで、凛々しい顔のその人を見ることができない。 「泣くほど嫌、か……」 薄い唇がぽつりと告げた言葉がどこか切な気だ。 「すまなかった。もうお前を呼び出さない」 彼はそう言うと、俺から身体を離し、俺を夜具から起こした。 ……え? 最後に、もう一度、「すまなかった」とそう言うと、俺の乱れた着物を正した。 骨張った指が俺の目尻に触れた。 倭様に涙を拭われ、明瞭になる視界の先。微笑を浮かべる彼の顔がとても辛そうで、何時も見せている不敵な表情とは違っていた。 違う。 嫌じゃない。 俺は……俺は……。 「倭様が俺以外の誰かを抱くのが嫌なんですっ!!」 ひとたび本音を口にすれば、言葉は堰を切ったかのように溢れ出す。 置いていかれたくなくて、両腕をたくましい彼の腰に巻きつけた。 「俺、俺は、ずっと俺だけを愛してほしいからっ」 「俺は丞意外、欲しない」 倭様は即答すると、俺と向かい合った。 倭様は奥方様を娶らないつもりでいても、彼は城主だ。いずれは跡継ぎを必要とする。 あまりにも悲しい事実を言葉にすることができず、首を左右に振り、それは戯れ言だと体現した。 それから、一呼吸置いて、事実を告げる。 「そういうわけにもいかないでしょう? だって貴方は、れっきとした城の主だ!」 一度は引っ込んだ涙だが、真実を告げると、また溢れてきた。嗚咽まで出てくる始末だ。 また俯いてしまうと、力強い腕が俺の背中に回った。 抱きしめられ、宥めるようにして、俺の後頭部を撫でる。 俺の目に溢れる涙は止まるどころか、さらに目頭が熱くなる。倭様のぬくもりを感じてしまえば、涙を抑えることができない。 「ああ、丞。俺は君しかいらない。『俺には好いた人がいるから、その人以外と所帯を持つ気はない』と、両親には先日、墓前で告げた。しかるべき人間に後をを継いでもらおうと考えている。家臣たちも俺が丞に惚れていることを知っているだろう?」 「っ、俺、俺!! ただでさえ身分が違うのに、添い遂げようとすることなんてできないって、言い聞かせて……」 しゃくりを上げながら、それでもなんとか言葉にしようとする声は、最後の方は静寂に消えていく。 「余計なことは考えるな。お前の素直な気持ちを俺に聞かせてほしい」 顎を持ち上げられれば、鋭い目に射貫かれる。 俺、この目が好きだ。 「好きです! いつも自信に満ち溢れている貴方が……好き」 想いを口にすれば、ふたたび夜具に戻された。 「それは良かった。では、愛を育もうか」 両瞼に薄い唇が落とされる。 倭様と俺の距離が縮まり、薄い唇が俺の口を塞いだ。 「っふ……」 ああ、もう抵抗できない。 俺も欲しくてたまらない。 俺は彼の首筋に顔を埋め、たくましい腰に両脚を巻き付けてその先を強請った。 **END** |