れんやのたんぺんしゅ〜★
隠密は主に夢中{emj_ip_0834} ※r18





chapter:隠密は主に夢中{emj_ip_0834}




 ◆



 鋭い刃が空を裂き、目にも止まらぬ速さでやって来る。標的を失った矢は足下の藺草(いぐさ)に突き刺さる。


「ありがとう、蒼(あおい)。助かったよ」

 薄い唇に微笑を漏らすその人は、本当に命を狙われたという自覚があるのだろうか。彼は相変わらずのんびりしている。


 彼の名は、九 琥珀(くちじく こはく)。二十二歳で九家の次男として生を受け、初陣は十六の時に終えている。長男の真旦(まさあき)様はご聡明な方で、民からも慕われている。そういうこともあってか、琥珀様はおおらかな性格をされている。

 おおらか、と言うと聞こえは良いが、彼はかなりおっとりしていて、こうして敵に狙われても微笑を浮かべるほどだ。

 俺は忍頭として、この城の主、琥珀様をお守りしている。

 いくら俺の腕が良いからと言って、危機感も持たずにいられては守るものも守られなくなってしまう。

 だから俺は、すっかり決まり文句になってしまった言葉を口にする。


「貴方は、もう少しご自身の命を重んじるべきです!」

「君が守ってくれているでしょう?」

「私でも守りきれない時もあるかもしれません!」


「そうかな?」

「そうです!!」

 何度も言うが、主は次男で、御当主様が本殿におられる。おかげで彼には緊張感というものも危機感というものも持っていない。

 常にこんな調子だから困る。


 だが、一番困るのは、俺自身だ。

 こうして琥珀様ににっこり微笑みかけられれば胸が高鳴り、呼吸が荒くなる。

 長い睫毛に縁取られた目は穏やかで、夜の帳を思わせる。すっと通った鼻に、薄い唇。尖った顎。並みの女より白い肌は極め細かく、華奢な身体。ほっそりとして見えても、やはり武芸者であることに代わりはなく、引き締まった肉体美。腰まである髪は艶やかだ。琥珀様はとても綺麗だった。

 かく言う忍の俺も日には焼けていないものの、琥珀様のような美しい肌は生憎と持ち合わせていない。


 琥珀様が元服されてから、俺はずっと彼のお側をひとときも離れたことがない。それが原因なのか、この慕情は日に日に深まるばかりだ。

 だが、忍には慕情などあってはならない。情を抱けばその分、感情が揺らぎ、失態を犯す可能性が出てくる。

 どうにかこの感情をコントロールしなければ……。

 俺は目をつむり、生まれ出た動悸を静めるため、そっと呼吸する。


「……蒼? 怪我でもしたか?」

 すると突然、琥珀様は俺の顎を捕らえた。上を向かされ、美しい琥珀様を眼に宿せば、胸が高鳴る。

 常に微笑を漏らし――俺の名を呼ぶ薄い唇を、己の唇で塞ぎ、喘がせ、華奢な御身に俺の肉棒を貫きたい。

「蒼?」

「っ、なっ、俺は忍頭です! 怪我などあり得ません!!」

 今ひとたび名を呼ばれ、我に返った俺は首を振る。そうして気が付いたのは、俺の腕がいまだ華奢な腰に回っていたことだ。

「ご無礼いたしました!」

 慌てて飛び退き、片膝を立てる。

「真面目だね、君は」

 クスクスと笑う琥珀様の声は小鳥のさえずりの如く心地好い。

 俺は首を垂れたまま、主の声に聞き惚れる。



 そうやって、慕情を隠す、悶々とした日々を過ごしていたある日のことだ。忍仲間から、『不穏な動き有り』との知らせを受けた。

 これまでよりも警戒せねば、と俺は身を引き締め、任務に当たる。


「蒼殿は若様を好いておられるのですね」

 侍女が善を持ち、朝餉を琥珀様の部屋まで運ぶ。

 俺は琥珀様の支度が調うまで、隣接している部屋で主を待っていると、侍女が声を掛けてきた。

 侍女は突然何を言い出すのだろう。

 まさか、表情に出ているのだろうか。恐ろしい事実に、俺の身体から血の気が引いていく。

「ち、ちがっ、俺は単に、もっと気をつけてもらわねばと思って!!」

 慌てて否定の言葉を告げると同時。目の端で刃が光った。

 侍女が小太刀を懐から取り出し、俺に向けてきたのだ。

 身体をひねり、なんとか一の太刀を避けることができたものの、体勢が崩れ、畳の上に倒れた。体勢を崩した俺の身体に跨り、侍女の刃が喉元を狙う。ダメだ、逃れられない。


 死を覚悟して目を閉ざしたその時だ。

「蒼!!」

「えっ?」

 琥珀様の声が聞こえたかと思えばすぐに身体が自由になった。閉ざした目を開けると、いつの間にか琥珀様の腕の中にいた。



「その者を取り押さえろ! 地下牢へ放り込め!! 自害せぬよう、しっかり轡をして固定しておけ、後に尋問する」

 琥珀様の危機感を帯びた声に集まってきた従者たちに命じる古伯様の声はとても鋭く、城主としての役割を果たしていた。

 おおらかで、常に微笑を浮かべていた彼には考えられない判断と行動だった。


「大丈夫か? 怪我、怪我は?」


 琥珀様に訊ねられた頃には、もう室内には琥珀様と俺以外、誰もいなかった。

「……大丈夫です」

 なんとか口を開け、心配してくれる琥珀様の問いに答えた。

 だが、大失態を犯してしまった俺は、生きた心地などない。


 恐れていたことが現実になった。

 琥珀様に恋心を抱いた結果がこれだ。相手につけ込まれ、死を招く。

 今回は俺の命を狙われただけだったから良かったものの、もし、それが琥珀様だったなら……。

 考えただけでもぞっとする。

 俺は忍の頭をする器でもなければ、琥珀様をお守りする資格もない。

「申し訳ございません!!」

「蒼?」

 俺は深く土下座をすると、懐から忍用の小太刀を手にした。

 肩衣(かたぎぬ)を脱ぎ、懐を引っ張って腹を出すと、刃を突きつけた。

 刃で己の腹を貫こうと唇を噛みしめる。


「蒼! 何をしている!」

 だが、俺の意志の通りにはいかなかった。琥珀様の手が、自決しようとする俺を制した。


「お放しください! どうか、どうか!! 俺は取り返せぬ失態を犯しました。忍に次などございません!!」


「蒼!」

「お願いです、死なせてください! 私は……貴方様を汚れた目で見てしまったのです。慕情を抱いてしまいました!! ですからどうかっ!!」

 琥珀様を振り切ってどうにか自決しようとするものの、阻止しようとする彼の力は思いのほか強い。

「蒼! やめんかっ!!」

 手から刃を引き抜かれ、俺の身体が琥珀様に包まれた。

 刃物が簀の子に転がる冷たい音が、静寂の間に響く。


「蒼が好きだ。だから、自決など無用だ」


「いけません、俺は忍頭で!!」

 琥珀様の言葉は真実だろうか。

 たとえそれが真実だからといって、甘えていいものではない。

 だから俺は首を横に振り続ける。


「ならば俺のものになれ。傍にいてくれさえすればそれでいい」


「ですがっ!!」

「これは城主としての命令だ!」

 琥珀様?


「っ、良いのですか? 貴方様に慕情がある以上、また同じことをしでかすかもしれませぬ」


「ならば俺が蒼を守るまでだ」


 琥珀様の指が俺の顎を掬う。

 迷いのない鋭い双眸が俺を射貫いていた。


 ……ああ、主の言葉に嘘偽りは、何ひとつない。


 確信した俺もまた、琥珀様の目を見る。

 視線を重ねれば、どちらからともなく唇を交えた。

 琥珀様と交わす接吻は、なんと甘美なものだろう。

 唇が柔らかい。

 俺は琥珀様に噛みつくようにして、唇を食む。

 藺草の上に彼を押し倒し、琥珀様の後頭部を固定して口角を変える。

 深くなる接吻は終わりなどない。俺は琥珀様の唇を味わい続けた。



 もっと強くなろう。この御方のために……。

 その日、俺は新たに決意した。



 **END**


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