れんやのたんぺんしゅ〜★
怪盗クロス=セークリッド





chapter:怪盗クロス=セークリッド









【今宵、ロンドン大英博物館にある、美しい希少な宝をいただきに参上する】

 今朝、特定不能のメールが警察上層部に送られてきた。

 メールの送り主の名は、クロス=セークリッド。今、イギリスのロンドンだけではなく、世間を騒がせている怪盗だ。

 大英博物館は世界最大の博物館といわれていて、八百万点以上もの展示されている。

 では、希少な宝とはいったい何であろうか。そう考えた時、思い浮かんだのはペイナイトだった。

 色はレディッシュブラウン(赤褐色)。世界で最も希少とされる石で有名だ。

 一九五〇年代、イギリスの鉱物学者が発見し、彼の名を付けられて大英博物館に展示されている。

 おそらくはそれに違いない。そう履んだ警察上層部は、ただちに張り込みを開始させた。


 イギリスの首都、ロンドン。十一月某日。

 その日は、珍しく朝から雨が降っていた。すっかり夜も更けた今でも、まるで絹糸のような線をした雨がしとしとと降り続けている。

 ここ、イギリスでは雨が多い国ではあるが、天候の移り変わりが多いのが特徴で、土砂降りの雨が降ったかと思えば、すぐに天候は回復し、日が差し込むのだ。一日中雨が降り続けることは滅多にない。

 しかし、今日は違った。まるで、不吉な出来事を予兆するかのような、そんな日だった。

 月白 律(つきしろ りつ)は、何層にも別れている、大英博物館の別館、自然博物館にいた。

 律は、日本人の父親とイギリス人の母親を持つ。なんでも父親は、海外営業をしており、イギリス人の母に一目惚れをしたとか。律の両目は父親譲りの赤褐色をしており、ブロンドは母親から受け継いだ。そして、警官には不似合いなほどの低い身長と、どんなに身体を鍛えようとも筋肉は付かず、細い体型を維持している華奢な身体も母親似だった。女性には嬉しいことだろうが、男の律にとってはコンプレックスでしかない。

 しかも、ここ、ロンドンで警察官に就職した律にとっては悲しい現実でもあった。年齢は二十五歳で、警察官になってまだ日は浅い。だから今日も先輩と共に張り込みを開始していた。

 時刻はもうすぐ午前零時になる。いくら大怪盗と言えども、この天候ではやはり盗みは入りにくいのかもしれない。誰しもがそう思いかけていた頃。どこからともなく、突然周囲から白い煙が流れ込んできた。

 周囲は真っ白な煙で覆われ、視界が悪くなる。


「……リツ」

 意識が遠のき、揺らいでいく視界の最中、律は薄ぼんやりとした頭のまま、誰かに呼ばれた気がした。

(だれ?)

「ん……っふ」

 うっすらと目を開ければ、何か柔らかい感触が唇に触れた。それを最後に、律は意識を手放した。

 
 次に意識を取り戻した時は、もうすでに午前零時を回っており、皆、怪我もなく、地面に寝そべっていた。

 一方、ペイナイトは――というと、美しい姿を保ったまま、硝子ケースの中に存在していた。


 一同は皆、ただの愉快犯の仕業だと履んだ。

 律が始末書を書いて帰路についたのは一時間後だ。帰宅する道すがら。自分の名を呼ぶ男の声が、どうも気になって仕方がない。ただの夢だったのかと思った時、ふと目に止まった左手の薬指に嵌められた、ある存在に、今さらながらに気が付いた。

 街灯に照らされ、ありありとその存在を強調している。薄暗闇の中、まじまじと見つめると、そこにはプラチナのマリッジリングがあった。



(そんな……)

 律はショックのあまり、声も出せず、その場に立ち止まる。実は、律には好きな人がいたのだ。

 その人の名は、クライヴ=アンティオリス。肩まであるプラチナブロンドはとても美しく、象牙色の肌に、自分よりも頭ひとつ分はある、高い身長。すらりとした流れるような手足はモデル並みだ。中でも律が好きなのは、彼の瞳の色だった。普段はスギライトのような鋭い紫色をしているのだが、微笑むと、アメジストに変化する。

 律はその瞳に心奪われ、何時しか淡い恋心を胸に秘めるようになっていた。

 彼の職業は神父で、近所にある大きな教会に勤めている。律は日曜日、彼に会いたい一心で、教会に行くのが日課だった。

 律は慌てて薬指に手を伸ばし、マリッジリングのそれを抜こうとする。しかし、リングは律の指に貼り付いたように抜けない。


 これは、彼のことを諦めろという暗示なのだろうか。

 たしかに、神に仕えるクライヴは同性で、この恋は不毛だ。

 けれど律は恋心を伝える気もなかった。こっそり彼を想うことも許されないというのか。

 ショックのあまり酒をひっかけ、気が付けば、律の足は彼がいる教会に向かっていた。


 すっかり晴れ渡り、藍色の天井には輝くばかりの星々が点々と存在していた。

 律は人気のない薄暗い教会の中、おぼつかない足取りで教壇の前に崩れ落ちるように倒れ込んだ。

 神様は不公平だ。なぜにこのようなリングをまざまざと付けられなければならないのか。怪盗を使ってまで、自分の恋を消滅させたかったと言うのか。

 溢れる涙は留まることを知らず、頬を濡らす。

 ついには嗚咽まで唇から漏れてしまった。


「あれ? リツではありませんか? こんな時間にいったいどうなさったんです?」

 その時だ。突然背後から声を掛けられ、涙に濡れた顔をそのままに、振り返れば、彼がいるではないか。

 低いその声はとても心配そうだ。

「随分と酔ってますね? 大丈夫ですか?」

 優しい声音で訊ねられ、律の涙腺は崩壊してしまう。

「酔ってらい……おれ、貴方が好きらのに、抜けないっ……っひ」

 泣きじゃくり、そう言う律は、もう理性すらもない。ただ感情のままを口にしてしまった。


「……っ、クライヴ……。リング、リングが……っひ、俺、貴方が好きなのに……なんでっ……ぅえええっ」


 律は、酒に酔った勢いでエンゲージリングが抜けないと泣きじゃくり、とうとう恋の告白までしでかしたのだ。

「うえええええっ!」

 しかし、そのことにはまだ律本人は気付いておらず、ただ涙を流し続けた。

 すると、ふいに律の顎が持ち上げられた。

 薄い唇から、漏れる熱い吐息を感じ、大きく目を見開く。

 目の前には、綺麗な顔の彼がいる。



「ん、ぅううっ?」

 重なった唇に、驚きを隠せない。

「なんでっ、まっ!!」

 戸惑う律は、彼の分厚い胸板を押し、訊ねれば……。

「今、世間を騒がせている怪盗が私だと言えば、貴方は逃げますか?」

「な……に?」

 クライヴはいったい何を言っているのだろうか。

 ただでさえアルコール漬けにされた脳は動きを止めてしまっているのに、思いも寄らない言葉に、律の思考が停止してしまった。

「昨日、早朝に予告メールを送ったのは私です。私は、クロス=セークリッド。今、世間を騒がせている怪盗です。そして、貴方にマリッジリングを付けた本人」


「何を、言っているの? だって、怪盗はペイナイトを盗むって……」


「ペイナイトとは予告してませんよね?」


「えっ? えっ?」

 たしかにそうだ。怪盗は、『レディッシュブラウン』ということを告げていたが、ぺイナイトそのものを指してはいない。


 では、いったいどういうことか。

「貴方の目はとても美しい……私を魅了する、大きな瞳。レディッシュブラウン」

 クライヴの薄い唇が律の両瞼に落ちてきた。

「っひぁっ!」

 驚きと、落とされた唇がくすぐったくて、おかしな声を出しながらも、律は必死に回らなくなってしまった頭を回転させた。

 レディッシュブラウン。彼は自分の目のことをそう言った。

(ちょっとまって? それって、それって!!)


「貴方が盗んだの、ペイナイトじゃなくって、俺?」

 驚きを隠せない律に、クライヴはまた口を開いた。


「私が盗んだ物は、すべて非合理的な手段で相手の手に渡ってしまった物でした、ですが、今回は違う。貴方を欲してしまうあまり、こうしてリングで繋げてしまったのです」


 申し訳ありません。

 謝る彼は、けれどけっして反省している様子ではなかった。瞳の奥に、欲望の炎が宿っていることに、律は気が付いた。

「貴方は私の正体を知りました。さあ、私をいかがいたしますか? 私は貴方を逃がす気はさらさらありませんが……」

 口づけの合間に告げられたが、今の律には何も考えることはできない。


「なんっ!? っふ、んぅうっ」

 色々と訊きたかったことはあったが、想い人に唇を奪われ、何も言い返すこともできない。

 律は与えられた口づけに抵抗できず、広い背中に腕を回し、骨張った指が、熱をもちはじめる身体を蹂躙し、されるがままに身を委ねた。



 **END**


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