chapter:愛恋-airen- 「別れよう」 「えっ?」 放課後。高校の誰もいなくなった教室に、俺は付き合い初めて一ヶ月になる、恋人の七瀬 筑紫(ななせ つくし)に告げた。 言った声は本当に自分のものだろうか。とてつもなく冷たく、そして機械的なものだった。 その声が、静かな教室の空間に振動する。 「どうして……」 突然のことで頭がついてこないのか、筑紫は大きな目をいつも以上に大きくして、俺を見上げている。 それはそうだろう。だって昼間は一緒に屋上で弁当を食ったりしていたんだ。突飛な発言に戸惑うのも無理はない。 時間が経つにつれて、彼の綺麗な瞳が大きく揺れはじめる。 「他に好きな奴ができた」 嘘だ。筑紫以外に好きな人なんていない。 だが、俺では筑紫を幸せにしてやることができない。 俺は揺れている瞳を真っ直ぐ見つめることができず、目を伏せた。 彼を好きか嫌いかではなく、問題なのは、俺の家系がヴァンパイア一族だからだ。とはいっても、人の生き血を吸うヴァンパイアではない。 俺は人びとのエナジーを吸って生きている『エナジスト』というヴァンパイアだ。 だからか、俺たちは太陽の光を身体に浴びても枯れ果てることはない。 人間と同じように食事だってできる。 ただ人間と違うのは、エナジーを吸うということだけだ。 そして俺は、少量ではあるが、毎日、筑紫(つくし)からもらっている。――いや、エナジーをもらうという言い方は不適切かもしれない。 むしろ『奪う』という方が適切だろう。 それというのも、俺はまだコントロールができない未熟なエナジストで、力は無意識のうちに発揮されるからだ。 そのおかげで、最近、筑紫が体調を崩しはじめている。 今日の昼間だって軽い貧血を起こし、保健室に世話になった。 そして俺が筑紫を想えば想うほど、この特殊能力は強くなり、筑紫を苦しめる。 だったら、もう傍にいない方がいい。 「ぼ、僕。何でもするよ、お願い、だから!!」 「いや、もう無理だ」 筑紫を振るため、痛む胸を無視して彼に背を向けた。 「やだっ、悠騎(はるき)!!」 教室から出る俺の背後からは、なおも拒絶する筑紫の悲痛な叫びが放たれる。細い腕が俺の腰に回った。 すると、筑紫から甘い匂いが香ってくる。俺の鼻孔をくすぐった。 これは危険な兆候だ。なにせこの甘い香りこそが、筑紫のエナジーにほかならないからだ。 俺はまた、無意識のうちに筑紫のエナジーを奪とうとしていた。 「筑紫……七瀬、君とはもう終わったんだ」 「っつ、やだよ……こんなに好きなのに……お別れしたくない。好きな人、いてもいいから……二番目でもいいから……だから……」 必死な姿は見ていられない。 今すぐ彼を抱きしめてやりたい。 俺だって筑紫と別れたくないと、そう言いたい。 なおも縋ってくる筑紫のいじらしい姿が、俺の決意を簡単に打ち砕いてくる。 なんとか筑紫に離れてもらおうと、周囲をさぐれば、こちらへ丁度向かって来る人間の気配を感じた。そいつに俺のエナジーを送り込む。 俺の前に現れたのは、俺や筑紫と同じ二年だろう。俺よりもほんの数センチほど背が低い、細身の男だった。 そいつは初対面であるにもかかわらず、俺の意図したとおり、何の抵抗も示さずに俺の腕に自らの腕を絡めた。 エナジストは、ごくごく短時間ではあるが、自分のエナジーを代償にして他人を意志通りに動かせる特殊能力がある。俺はそれを利用した。 「はる、き……」 俺の腰にしがみついていた細い腕がするりと解けた。 「行こうか」 俺が言うと、そいつは俺の肩に頭を乗せた。 ……これでいい。これで筑紫のエナジーを奪わずにすむ。 胸が張り裂けそうに痛んでもいい。これで、筑紫の身体が楽になるなら……。 幸せになってくれるのならば……。 俺は自分の気持ちにふたをして、筑紫との決別を果たした。 ――翌日。 朝の日差しが目に染みる。今日が休日で良かったと、俺はほっとため息をついた。 「じゃあ、行ってくるわね? 留守番お願いね」 そう言ったのは俺の母さん。父さんと腕を組んで玄関に立っている。 もう四十代後半だというのに、二人の見た目はいまだに二十代後半で通るだろう。 普通の人間よりも年が若く見えるのは、おそらくエナジストという体質のおかげだろう。 人間から血液を奪うヴァンパイアのように不死とまではいかないが、まあ、祖母さんも祖父もいまだに元気だからな。 なんて思っていると、チャイムが鳴った。 嫌な予感がした俺は、目の前に立っている母さんと父さんをすり抜け、ドアを開けた。 するとそこにいたのは、俺よりも頭ひとつ分背の低い、大きな目が印象的な、天然パーマの彼――筑紫だ。 昨日の放課後。これ以上ないくらい、筑紫を傷つけたというのに、まだ俺の目の前にやって来ることが信じられない。 だが、筑紫はやはりダメージをくらっているのか、悲しげだ。彼は俯き、目の前に突っ立っていた。 年頃の男子よりも背は低いと思っていたが、いつも以上に背が低く感じるのは、昨日、俺が彼を振ったからだろう。 項垂れている彼を見ると、包み込み、守ってやりたくなる。 悲しむことはないと宥(なだ)めてやりたくなる。 そうして筑紫はいつだって、俺の中に眠っていた母性を簡単に引き出すんだ。 俺は筑紫を保護したくなる感情を押し殺し、両手に拳を作って耐える。 「何しに来た。お前とはもう何の関わりもないと言った筈だ」 「っつ!!」 自分の気持ちを押し殺しているからか、話す声はいつも以上に冷たい。 そんな俺の声に、筑紫の小さな肩が震えた。 「まあ、悠騎。そんなに怒って、いったいどうしたの? お友達とは仲良くしなきゃダメでしょう! さあ、中へどうぞ。私たちはこれから出かけるけど、ゆっくりしていって頂戴ね?」 何を思ったのか、母さんは横から入って来るなり、筑紫の背中を支えて中に入るよう促した。 チッ、余計なことを……。 睨む俺を、だが、母さんは無視をして、筑紫に向かってウインクすると、すぐに父さんと家を出た。俺という大きな子供がいるのに、相変わらずの仲で驚きを通り越して呆れるばかりだ。 まあ、こういう家系に生まれたんだ。絆を大切にするのは当たり前か。 俺も母さんや父さんのように、うまく力を使いこなせることができたら、きっと筑紫とは別れなくて済むんだろうな……。 家を出た二人と自分を比べてダメージをくらう。 「あの……ぼく」 筑紫の声がしてハッとする。 「話すことはなにもない」 筑紫を置いて玄関から去ろうとすると、またもや背中にあたたかな体温を感じた。 腰には彼の腕が回っている。 「好きなんだ! ねぇ、二番目でもいいから、だから傍にっ!!」 筑紫の必死な姿に俺の心が揺れる。 せっかくの決意が台無しになるのを恐れた俺は、筑紫の腕を掴み、そのまま華奢な身体を押し倒す。 「お前は何も判っていない!!」 「……悠騎? いたっ!!」 大きな瞳は、潤んでいて、今にも泣き出しそうだ。 俺はかまわず、筑紫の手を強く握り、話を続けた。 「気がついていないか? お前が体調を崩しはじめたの、俺と付き合いはじめてからだって……俺はエナジーを吸うヴァンパイアだ」 「なにを、言って……」 「俺と共にいれば……今だってそうなんだ。きっともっと筑紫を欲してしまう」 言っても信じてくれないだろう。だが、本当のことを言わなければ、おそらく筑紫はどこまでもねばる。 筑紫は見た目、とても従順そうなのに、変なところが頑固なんだ。 そういう意外性にも惚れたのはたしかなんだが……。 「それって、ぼくを守ろうとして別れるって言ったってこと?」 普段は鈍感なのに、なんでこういう時に限って筑紫は察しがいいんだろうか。 こんな非常識な話をいったい誰が信じるというのか。簡単に受け入れられる話ではないのに、筑紫は俺の言葉を信じる。 「……俺はまだ自分の力を制御できない。それに、筑紫を欲してしまう。わかるか? 筑紫を抱きたくてしょうがなくなるんだ。これはエネルギーを奪う行為にほかならない。だから!!」 「いやだ! 別れない!! 悠騎がぼくの身体を想ってくれているんだったら、これまで以上にきちんと自分の体調管理する! ご飯も三食とるようにするし、睡眠も七時間きちんととる! ぼくは悠騎に抱かれたい!!」 なんとか離れてもらおうと思っているのに、筑紫は首を横に振り、俺の言葉を拒絶する。 俺を……受け入れてくれようとしているんだ。 愛おしさが込み上げてくる。 華奢な身体を引き寄せ、横抱きにしても、筑紫は俺を拒まない。それどころか首に腕を回してくる。 ああ、もう!! 「どうなっても知らないぞ?」 自分の部屋に筑紫を連れ込み、ベッドの上に彼を横たえる。もう一度確認を取り、ふっくらとした赤い唇を奪う。 「……ん、ふ……」 甘い声と共に、甘い香りが周囲に漂ってくる。 シャツを潜り、手を忍ばせると、乳首に触れた。 いくらか弄っていると、ツンと尖ってくる。 「んっ、悠騎……」 「好きだよ、筑紫」 俺が想いを告げると、腰が跳ねた。 感じてくれているのが何よりも嬉しい。 可愛い蕾を見たくてシャツを上げる。 蕾のような乳首はやはり果実のように赤く尖っていた。 俺はあらわになった柔肌に口づけ、筑紫を味わう……。 ジッパーを下ろせば、下着を押し上げている可愛らしい陰茎が見える。反り上がった筑紫を取り出し、口づける。 「っひ、あっ!! きたないっ、やあっ!!」 羞恥からか、頬が赤く染まっている。 目が潤み、涙を浮かべている姿が扇情的でたまらない。 「そんなことはない。筑紫はいつだって綺麗だ」 いやいやを繰り返す筑紫を宥める俺は、もうすっかり彼の虜だ。 彼を抱きたいと思うものの、だけど今はそれ以上に筑紫を可愛がってやりたい。 俺は筑紫の陰茎を口に含み、弾ける彼を味わった。 「ねぇ、あの人と別れてね?」 俺の口内で果てた筑紫は強請るようにして俺に抱きついている。 今は二人、ベッドに寝そべっている。 「あの人?」 突然告げられた言葉が何を示すのかよく判らない。俺は首を傾げ、筑紫の言葉を反芻(はんすう)した。 すると筑紫は頬を膨らませ、抗議する。 「昨日のことだよ? もう忘れたのっ? 腕を絡ませてた人!!」 ああ、そういえばそんな奴いたっけ。 呆けた返事をする俺に、筑紫は先ほどよりも頬を膨らませ、抗議する。 「たまたま通りかかったからエナジーで操作しただけだ。別に付き合ってなんかない」 「ほんとに?」 俺の言葉に、ふてくされたような表情は、やがてすぐに消え去り、笑顔へと変わる。 「ああ」 「ほんとにほんとにほんと?」 「くどいぞ」 「えへへ、よかった……。悠騎、好き」 筑紫は安心したのか、身体の力が抜けていく。 大きな目が閉じていく……。 ああ、どうしよう。マジでちゃんと自分の力を制御できるようにしないと……。 俺は筑紫の額に唇を落とし、先ほど必要以上に奪い取ったエネルギーを戻してやる。 明日から特訓だな……。 腕の中にいる筑紫の可愛らしい寝顔を見下ろし、俺は密かに決意した。 **END** |