chapter:好きなのに素直になれなくて。 「はっ、あっ!!」 歴史学の講義が終わり、誰もいなくなった講義室。 俺は大学でできた友人――水澄 威人(みすみ たけと)に押し倒されていた。 デニムパンツのジッパーを下ろされ、引きずり出された俺の一物。それを彼の手が包み込む。 やわやわと扱かれれば、息は荒くなり、勃ち上がる。 「どうした? 拒めよ。嫌いなんだろう?」 口角を上げて意地悪く笑う奴の表情が、俺を羞恥へと誘う。 「っつ!!」 ……何故、こうなったんだろう。 「不潔だ!!」 そもそも威人がこの行動に出たのはほんの数分前のこと。 俺は、たまたま居合わせたこの講義室で、彼が俺の知らない綺麗な青年を組み敷いているのを目撃してしまったんだ。 いったい何時の頃からだろうか、『告白されれば、男女見境無く抱いてくれる』どこからともなく流れていた噂。威人にはそんな噂があった。 俺といる時はそんな素振りも見せなかったから、その噂は嘘で、嫌がらせだと思っていた。 だが、それは違った。今日、今、俺はこの目で、威人の真実を見てしまった。その噂は本当なのだと確信した。 威人が悪いんだ。自分が格好いいことを知っている彼は、相手が言い寄ってくるのをいいことに、特定の相手を決めず、手当たり次第、手を出すから……。 俺は、友人という立場を取ったのに、男女見境無く手を出すから……。 だから俺は、怒りにまかせて蔑んだ言葉を威人にぶつけた。 ――わかっている。こんなのはただの八つ当たりにすぎない。 俺が悪いんだ。嫌われたくなくて、威人に恋心を告げなかったから――。 「もっ、いやだ……」 自分の不毛な想いも。それを威人に受け入れてほしいという気持ちも……。 最悪だ。 「いてっ! 何しやがんだよっ!!」 俺は握っていた鞄を彼の綺麗な顔面にぶつけると、絶望を抱きながら走って逃げた。 「霧重(きりえ)!!」 背後から、オレの名を呼ぶ怒り声が聞こえる。 ……これで、『友』の選択肢を選んだのに、決意がすべて水の泡になってしまった。 友人という生ぬるい関係も終わった。 ――……。 ――――……。 「悪い、ノート取っといて。俺、帰るわ」 それから三日後。俺は中学からの腐れ縁の山中にそう言うと、腰を上げた。 「えっ? 今からお前の好きな歴史学じゃん?」 「ん、ちょっと用事があって」 用事なんてもちろんウソだ。 歴史学も、本当はそこまで好きじゃない。威人がいたから講義に参加しただけ――。 威人とは、一目惚れだった。 一年の時、同じ日本文化学科のレクリエーションで知り合いになった。 俺と同じくらいの身長で、すらっとしたモデル体型の彼。二重なのに童顔ではなく、年相応に見えるのは、鋭い双眸と尖った顎のせいかも知れない。 襟足までの髪を金髪に染めているからだからだろうか。ちゃらんぽらんに見えるけれど、どこか頼りになって、気さくで明るい……生真面目な俺とは違う、おおらかな性格にも惹かれていった。 一年越しの恋は――だが、三日前に終わりを告げた。 恋が終わったのだと自分に言い聞かせれば、呼吸の仕方がわからないくらい、胸が痛みを訴えてくる。 俺は涙を堪え、逃げるようにして足早に親友から背を向けた。 「逃げるのか?」 見知った声が聞こえたのは、門をくぐったところだった。すぐ目の前には、俺が密かに恋心を抱いていた彼がいた。 彼――威人は、俺を待ち受けていたかのように腕を組み、壁にもたれかかっている。 何故、彼がここにいるのだろう。 疑問が過ぎるが、答えは明白だ。不潔だと喧嘩をふっかけ、鞄で殴り、逃げたのだ。怒るのも無理はない。 ――威人への恋を告げず、友人のままでいようと決意した俺。 ――威人を殴りつけ、そして威人を避けるため、講義を抜け出す俺。 ああ、そうだ。俺はいつだって逃げてばかりだ。 「……そうだな」 威人への恋を終わらせなきゃ。 そう思うのに、彼をみた瞬間、心臓が鼓動する。 動揺を隠そうとそのままそっぽを向いて、立ち止まってしまった足を踏み出す。 威人を横切るその直後、俺の腕が掴まれた。 強い力だ。 「ちょっ! 放せよ!!」 腕を振り切ろうとしても、奴の力が強くて引きはがせない。 威人に引きずられるままに、俺は人通りのない裏路地へと入っていく……。 ただでさえ大学は山の中で、木ばかりが目立つ。それなのに、裏路地へと進めば、そこはもう路地とは言えない、林の中だ。もちろん人は誰もいない。 きっと三日前の落とし前をつける気だろう。 俺は覚悟して、顔面を殴られてもいいように唇を思いきり噛みしめ、目をつむる。 その直後だ。 「んっ、ふぅううっ!!」 強く引き結んだ唇を、弾力のある何かが塞いだ。 息がしにくくなって目をこじ開ければ、そこには威人の顔があるばかりだった。 なに? 新手の嫌がらせ? 他の奴らみたいに、俺も抱かれるの? 喧嘩を売られ、殴られた腹癒せに? 嫌だ。そんなのは嫌だ。 好きなのに……。一度でも友達として傍にいようと決意したのに……。 想われてもいなくて……嫌悪感で抱かれるなんて、そんなの、耐えられない。 「いやだっ、やっ!!」 俺は分厚い胸板を押して、必死に抵抗する。 首を振る視界の端で、涙が散っていくのが見えた。 よりにもよって、好きな人の前で泣くとか、もう最悪だ。 「っひ、うっ」 出てくる涙を引っ込めようとしても、現実に打ちのめされ、止めることができない。 それどころか、食い縛った歯の隙間からは嗚咽まで漏れる始末だ。 ぽろぽろと流れる涙をそのままに、潤んだ視界で彼を見る。 「好きだ」 突如として、予期せぬ言葉が聞こえた。これは俺の聞き間違い? 「なっ!!」 驚きを隠せない俺に、威人は言葉を続けた。 「何を今さらって思うだろう? お前のことを抱けないから、変わりの奴を見つけて抱いた」 思いもしなかった言葉の合間に、親指で涙を拭われ、クリアになる世界。 その視界の中で、歪んだ顔をした彼がいた。 「う……そ」 「うそじゃない。抱けないのなら、せめて友達でいようとしたのに……好きな人に蔑んだ目で見られてムカついたから……」 俯き加減で話す威人。最後の方はいつも強気な彼とは思えないほど消え入りそうな、小さな声だった。 それだけで、本当なのだと信じられる。 さっきまでの苦々しい思いが消え去っていく……。 腰を屈めて、自らの唇を、項垂れている威人の口に押し当てる。 彼は俺からの口づけに驚いたのか、息を止め、目を大きく開いた。 やがて唇が離れる。 静かな空間の中で聞こえるリップ音が心地良い。 「そいつらとは縁を切れよ!!」 俺は目をつり上げ、いまだに瞬きを繰り返している威人を睨んだ。その隙をついて、威人のポケットをまさぐり、スマートフォンを取り出す。 いくらか指先で画面をタップすると、登録先がずらりと並んでいる電話帳機能を開いた。 スマートフォンを彼に突き出す。 「……そうだな」 威人は苦笑を漏らすと、俺を抱きしめたまましゃがみ込む。骨張った長い指が何の躊躇いもなく軽快に登録先を削除していく……。 俺は威人に寄り添い、威人の綺麗な顔を見つめ続けた。 **END** |