chapter:傷 ◆ 「おい、喉渇いた。水、買ってこい」 オレンジ色に染まった裏庭で、薄い唇を開き、彼はボクに命令する。 ボクにそう言ったのは、短い黒髪で、身長180センチ以上はある、ボクよりもずっと背が高い、目つきがとっても悪い人。名前は、小田 征也(おだ ゆきや)。ボクが通っている高校の、ふたつ上の先輩。 その人の目尻から口元にかけては、深い傷がある。なんでも、中学の時、ケンカした時に作ったのだとか……。 先生も怖くて、授業に出なかったりすることとか、ボクが使いっ走りされていることとかを注意しない。 ここの学校にいるみんなが、この光景を見て見ぬ振りをしている。 ……ボクも、怖くて。叩かれるんじゃないかとか、色々考えると、両親にも誰にも言えない。 そんな怖い人に――どうしてボク、目を付けられちゃったんだろう。 いくら遅刻する寸前だったからって、この人の前で手帳なんて落とさなければよかった。 そうしたら、こんなことにはならなかったのに……。 嘆いても、もう遅い。ボクはこの人の使いっ走りになってしまったんだ。 「早くしろっ!!」 「っ、ひっ!!」 怖いよっ! 殴られちゃうよっ!! もう一回、大声で怒鳴りつけられたボクは慌てて、校内にあるジュースボックスへ走る。 「ねぇ、君、可愛いよね。男にしておくのはもったいないくらい。前々からずっと目を付けていたんだよね〜。今日もお使いでちゅか? 」 廊下のところでジュースボックスを見つけたボクは、お水を探した。 そこで出会(でくわ)したのは……最悪だ。小田 征也とにらみ合っている、とってもガラの悪い不良の二人組だった。 「おい、やばいって、こいつ、小田 征也の犬じゃん。手、出したら何されるかわからねぇって!!」 「大丈夫だって。俺、負けねぇし? たかが犬に手を出したくらいで怒らないって」 「それもそうだな。いい気になるなって、ぶちのめすってのもいいよな」 同意した連れの男子は、ボクににじり寄る。 なんだろう。 ものすごく怖い。 じっとりとした目つきで、品定めをするかのように見つめられるこの感覚が、ものすごく気持ち悪い。 「っつ!!」 「ね〜、いいことしようね」 怖くてへっぴり腰のボクは、逃げることができなくて、ただでさえひょろっとした軟弱なボクは、すぐに両腕を拘束された。 「いや、はなしてっ!!」 どうしてこういう時に、どうしてあの人の顔を思い出すんだろう。 目つきが悪くて、顔に深い傷を持っているあの人、小田 征也の顔を……。 「やめてっ! いやだあっ!! んむっ!」 必死に抵抗するけれど、相手は二人組で、しかもケンカ慣れしている。だからボクを拘束するのも簡単で、口にハンカチを噛まされた。 ブチブチと、ボクが着ていたカッターシャツのボタンが引き千切られていく……。 「んっ、ううっ」 いやだ。怖いよ。ボク、どうなっちゃうの? 誰か……誰か助けてっ!! ボクが、ギュって目をつむった時だった。 「お前ら、そこで何をしている?」 知っている、怒鳴り声が聞こえたんだ。 「なにって? いいことだよ」 ニタニタ笑って言う二人組。 「てめっ!!」 怒鳴ったその人は、一気に詰め寄った。 「っ!!」 呻き声と、殴り合う恐ろしい音が何度も聞こえる。 怖いよ。 ボクはその場にしゃがみ込み、ただただ自分の頭を抱え込み、そのむごたらしい音が止むのを待つしかなかった。 「……悪かった」 しばらくして、静かになった空間。そこで、ぽつりと声を出したのは、いつも、ボクを使いっ走りにしているその人が、無傷で立っていた。 後ろを向けば、二人組がのびていた。 「ごめん、守れってやれなくて……。こいつら、お前のことを目ぇ付けてやがったから、なんとかしてやりたかったんだが……」 ――へ? もしかして、ボクを守るために、ずっとこうして命令していたの? 側に……いてくれたの? 「どう、して?」 「……一目惚れ」 そう言った、彼の顔は、オレンジ色の夕日よりも、ずっと赤くなっているような気がする。 ……ああ、そう言えば、彼、ボクを殴ろうとしたことは一度だってなかった。 『早くしろ』と怒鳴るばかりで、手は出されていない。 どうしよう。あんなに怖かった顔の傷、全然怖くない。 ボクの視界が歪んでいく……。 「うええっ、こわかったよ〜」 腰に腕を巻き付ければ――。 ポンポン。 優しく頭を撫でてくれる。 ボク、もう顔の傷、怖くないよ? 「うえええええんっ!」 その日、ボクは、とっても怖い人だと思っていた彼にしがみつき、みっともなく大泣きした。 **END** |