chapter:蝶になりたいぽっちゃりくん。 ああ、午前中のお空はなんて高いのでしょうか。 雲ひとつない青空が広がっています。 窓から外を見上げれば、明るい太陽の光に目が染みます。 皆さん、こんにちは。 僕は、茅山 棗(かやま なつめ)といいます。 高校二年生、十七歳です。 僕には悩みがあります。 それは、僕の体格が、一般の方よりも太めなことです。 ですから、健康のため、僕は早朝にジョギングをすることを日課としています。 こうして朝早くからジョギングするようになって3ヶ月が経とうとしています。 でも、残念なことに、まったく体重は減りません。 それどころか、なんだか少しずつ増えています。 なぜでしょう。 謎です。 ジョギングなんて、したくありません。 運動だって、本当は苦手です。 それでも頑張って継続できているのは、痩せたいっていう強い思いと、ジョギング先で、ある人に会えるからっていうのがあります。 ある人っていうは、楓(かえで)さんとおっしゃる方です。 僕とは五歳年上で、調理師の専門学校に通っておられます。 僕よりもずっと背が高くて、足も長くて、すらっとしていて、睫毛も長いし、均衡のとれた顔をなさっています。 モデルさんみたいな容姿に加えて、ものすごく優しい方なんです。 楓さんと出逢ったきっかけは……あれです。 僕、かなり食べるのが好きで、それでですね、朝食を抜いてジョギングしているから、お腹が空きまして、お腹が鳴った時に、たまたま楓さんと居合わせ、それで、朝食抜きで体を動かすのは大変だからと、お弁当をいただけるというお話になったんです。 すっかり日課になったジョギングですが、実は、ジョギングをするもうひとつの理由が、最近になってできました。 それというのも、僕に好きな人ができたからです。 好きな人っていうのは、もちろん、楓さんのことです。 楓さんと僕は同じ男同士ですが、でも、この気持ちは抑えきれないのです。 もし、僕が無事に痩せることができたなら……。 告白したら、もしかしたら、万が一っていうこともあるかもしれないですよね? 蝶が青虫からサナギになり、綺麗な羽を持って青空を飛び回るように……僕だって。 ですから、僕はこうして、痩せるため。如(し)いては大好きな楓さんに会うために、ジョギングをするのです。 すべては、蝶になるためにっ!! ジョギングは苦手ですが……というか、僕。運動が全般的に苦手なんですが……。 それでも大好きな人が作ってくださったお弁当が美味しすぎて、しかも、楓さんと過ごすひとときが楽しいんです。 今朝だって、作ってくださったお弁当をいただき、僕が美味しいって言うと、楓さん、笑顔がすごく素敵でした。 あんなに喜んでくださるなら、僕、もっと食べられます。 ハッ!! しまった! これじゃあダメなのですっ!! だからですよっ! 痩せるためにしているのに、逆に体重増えてしまってるのっ!! このせいだったのですね! 今気がつきました! たしかに、ジョギングする時間よりもお弁当を食べている時間の方が長いような気もします。 このままでは、楓さんに告白どころではありません! 「では、この問題を、茅山。おい茅山! 早く答えろっ!」 色々考えていると、いつの間にやら2限目の授業に突入したみたいです。 先生は考え事をしている僕に向かって、名指しで当ててきました。 ですが、今はそれどころじゃありません。 僕、太めですが、こんな見てくれですが、この恋は真剣なんです。 必死に考えているんです! 先生うるさいです!! 「僕、今、必死に考えているのです。先生、うるさいですっ!!」 立ち上がり、大声で言うと、先生は謝ってくださいました。 「……そ、そうか。それはすまなかった。えっと、じゃあ、この問題がわかったら、教えてくれるかな……」 わかってくださってよかったです。 ふむ、こうなったら、ジョギングコースを変えましょう。 楓さんに会えないのは辛いですが、これも痩せるため。告白するためです。 ……しょうがない、ですよね。 翌日から、ジョギングコースを変え、気を取り直して走っています。 一度は決めたことですが、やっぱり楓さんと会えない日が続いたおかげで、ものすごく寂しいです。 お腹も減りますし、もう、ジョギングやめたいです。 やっぱり、楓さんにも会いたいです。 ジョギングコースを変えて3日が経ったある日、ジャージ姿で家の門を出ると、すぐそこには、楓さんと見知らぬ女性の方が見えました。 おふたりはとても仲が良さそうです。 もしかして、楓さんの彼女さんでしょうか。 腰まである長い髪は艶やかで、体のラインも細くて、色白な肌をされています。とても美人さんです。 すごく……お似合い、です。 なぜ、このタイミングで出会ってしまったのでしょう。 こんなふうに、見せつけられるように……。 そりゃ、楓さんに会いたいって思っていましたよ? でも、これは酷いです。 彼女さんと仲が良さそうにいるこのタイミングで会いたくなんてなかったです。 ズキッ。 僕の胸が痛みました。 馬鹿ですね。 もしも痩せることができたなら、同性の方でも受け入れてくれるなんて思ったりして……。 楓さんみたいに格好いい人が、僕なんて……しかも同性相手にそういう感情が芽生えるわけがないのに……。 青虫は、所詮、青虫のまま。 蝶にはなれないのです。 胸がズキズキ痛いです。 「ほら、楓。渡すんでしょう?」 女性は、楓さんを急かすように、肘でツンツン突いています。 いったい、なんでしょうか。 「わかってるよ、うるさいな、姉貴は! どっか行ってよ!」 「何よその言い草! わざわざ提案してやったのに!!」 あの……えっと? 「うっせ、別に頼んでねぇしっ!!」 突然、なんの前触れもなく、おふたりはケンカになってしまいました。 というか、楓さん、いつもと違います。 僕といる時は、いつもふんわり笑ってくださって、そういう言葉遣いもなさらないです。 これが、楓さんがもつ、本来の姿。 地が出るということは、それだけ、彼女さんが大切な方だっていうシルシです。 胸が、とても痛いです。 息ができないくらい、苦しいです。 視界だって、じんわり滲(にじ)んできました。 涙、出そうです。 「腹立つわ〜、こいつ!! 棗くん、こんなんだけど、弟のこと、よろしくね? あとで弟との出会いとか、色々、聞かせてね」 女性は、放心状態の僕にウインクひとつすると、早足で立ち去りました。 ――えっ? 楓さんと女性はなんとおっしゃいました? おかしな言葉を聞きましたよ? 姉貴? 弟? おふたりは、恋人さんじゃないんですか? 「あの、これ。ぽっちゃりしてるの、気にしていたのかと思って……」 差し出されたのは、ひとつのお弁当箱。 「姉貴にも手伝ってもらって、作ってみたんだ」 ――え? 「実は、棗くんに弁当を食べてもらっていたの、料理の研究のためじゃなくて……その、会うきっかけっていうか……」 「?」 楓さんは、いったい何がおっしゃりたいのでしょうか? 僕にはよくわかりません。 首を傾げていると、楓さんは、赤くなった頬をポリポリと掻き、また口を開きました。 「嫌われたのかと思って……」 「違っ!!」 僕、楓さんを嫌わない。 好きなんです。嫌えないです!! 僕がすぐに否定したら、楓さんは大きくうなずいてみせた。 「うん、姉貴に相談したら、ジョギングしている理由を指摘されたんだ。棗くん、ぽっちゃりしていて、目がクリッとしているし、すごく可愛いから、棗くんが何にコンプレックスを抱いているかとか、全然、気づかなくて……」 「うえっ!?」 楓さんの口から、なんだかとってもおかしな言葉を聞いたような……。 可愛いとか、きっと、僕の聞き間違いですよねっ!! 瞬きを繰り返していると、楓さんはとっても真剣な顔をして、僕の両肩を掴んだ。 「俺、君の事が好きなんだ!!」 うぇええええっ!? 今度は聞き間違いではないようです。 「あのっ、あの!! だって、僕は青虫で、蝶にはなれなくて……」 「えっと、俺にとっては君はすでに蝶だけど?」 うぇええええっ!? ど、どうしましょう。 「ねぇ、俺、ちゃんと君のことを考えて――カロリー計算とかちゃんとして弁当作るからさ、また、食べてくれないかな? お付き合いしてほしい!」 ああ、もうダメです。 誘惑に勝てません!! 「は……い」 僕はドギマギしながらも、コクンとうなずきました。 **END** |