transend darkness-

第五章





chapter:明かされる真実T




 T



「イジドア・ダルグリッシュにノアを守るよう契約したのは私だ」

 静かな空間。十五年前の残酷な事件から身寄りを無くしたノアを引き取り、育てた彼、モンタギュー・マーコリーはただひとつの蝋燭(ろうそく)の明かりに灯された薄闇で口を開いた。

 目の前にあるキングサイズのベッドでは、屋敷の主であるイジドアは死んだように眠っている。

 日に焼かれた身体はいまだに赤いが、それでも少しずつ修復しはじめていた。


 その証拠に、白目を見せていた彼の目は漆黒の目玉が戻っているし、泡を吹いていた薄い唇はしっかりと閉ざされている。

 スタンドの上部には血液パックが固定され、手首の太い血管に射し込まれている針へとチューブを伝い、血液が絶えず流れ落ちている。

 この調子だと、今夜にでも回復しそうだ。


 ほっと胸を撫で下ろした矢先、モンタギュー・マーコリーから今さら告げられた真実に、ノアは驚きを隠せない。


「どうして契約なんてしたの」

「敵は、エクソシストとしても強力な霊力を持った君の父親を手に掛けた恐ろしいヴァンパイアだ。私にはノアを守る力はない。だからエクソシストと契約を結んでいる彼に委ねることにしたんだ」

「そんな……」

 もし仮に、モンタギューの言うことが本当だとするならば、ノアが本部から命じられたイジドアの監視はモンタギューの意図したことになる。

 ノアはイジドアの監視役と称して彼の保護下に入ることになったということだ。

 モンタギューは自分を守るために、イジドアの元へ向かわせたというのか。



「そんな……嘘だ」

 いくらモンタギューの口から語られたところで信じられるわけがない。

 ノアは首を振った。


「本当でございます。イジドア様と私の前に、モンタギュー殿が来られ、イジドア様に血液パックを支給することを条件に、契約なさいました」

 サイモンは口を開いた。


「でも! イジドアは僕を!!」

『自分を無理矢理組み敷いた』

 口にしようとしたノアの言葉は、しかし皆まで言うことではないとサイモンに遮られる。

「それは貴方様を守りたいがための行動。少々行きすぎた行為ではございましたが、結果、ランバートには貴方の命を奪われずに済みました」

 たしか、ランバートもそんなことを言っていた。

 サイモンが言うとおりなら、イジドアはノアの命を助けるために抱いたということになる。

 すべてはモンタギューとの契約を為し遂げるためだったというのか。



「さあ、彼が安全に眠れるよう、わたしたちは家に帰ろう」

 モンタギューは用意されたパイプ椅子から腰を上げた。

 しかし、ノアはそのまま動かない。

 自分は保護してもらう相手に刃を向けた。

 そして彼は、たとえヴァンパイアであってもノアの恩人だ。

 彼は血も涙もない悪魔の下僕ではなく、自我の強いヴァンパイアハンターだ。

 その彼は今、意識を失うほどの重傷を負っている。

 ならば自分がすべきことはひとつしかない。


 ノアは決意を胸に秘め、静かに口を開いた。

「僕はここに残る」

 もし、モンタギューやサイモンの言うことが正しいとするならば、イジドアの面倒を見たい。

 なぜなら、ノアが明るい日差しの下に彼を誘い、苦しめた要因なのだから……。

 イジドアは身の危険を顧(かえり)みず、自分を救おうと敵の巣窟までたったひとりで乗り込んできた。だからノアが彼の面倒を見るのは別段おかしいものではない……筈だ。


「ノア、何を言っているのかわかっているのか? 彼は今、身体の半分以上も致命傷を負っている。それこそ理性のきかない化け物だ。それはまあ、血液はこの献血パックでなんとかなるだろう。食欲は抑えられる。だがね、肉欲の方はどうにもならないんだよ。ノア――君がここに残るということがどういうことなのか、もうわかるだろう?」

 モンタギューが言わんとしていることはもちろんノアにも理解出来る。

 おそらく、欲望に塗れたイジドアは自分を組み敷くに違いない。しかも、ノアの想像を遙かに超えた酷い抱き方をされるかもしれない。

 それでも、ノアは彼を怖いとは思わなかった。

 その理由は、もう答えが出かかっている。



「それでもいい」

 イジドアになら自分の身体を捧げられる。

 何より、ランバートに触れられた身体をイジドアの手で塗り替えてほしいとノアは思っていた。

 イジドアとの行為を考えると、頬が赤く染まり、胸が高鳴る。


「ノア……」

 モンタギューはまだ何かを言わんとしているらしい。しかし、ノアはもう彼の言葉を聞き入れる気はなかった。


「僕なら平気。彼の傍にいたいんだ」

 真っ直ぐな目でモンタギューを見つめるノアの瞳には決意が宿っていた。


「……そうか、わかった。ならば念入りに奴がこの屋敷に近づけないよう、悪魔払いをしておこう。あのヴァンパイアが悪魔と結託しているということはおそらく、あれも悪魔の部類に入るのだろう。ともすれば、悪魔払いの私にできることがある」

 一度決めたことは何があっても曲げない。ノアの性格を知っているモンタギューは、ため息混じりに頷いた。彼は重い腰を上げる。

「伯父さん!!」

 モンタギューが寝室から出て行こうとした時だ。ノアは唐突に声を上げ、静寂を打ち消した。

「あのっ!!」

 しかしそれきり、言葉は喉に詰まって出てこない。ノアは悔しくて唇を噛みしめた。


 ノアの心情を察したのか、モンタギューは手のひらをこちら側に向け、ノアを制した。

「何にせよ、イジドアはうまくやってくれている。今は一刻も早く傷を治してもらい、彼に任せよう」

 モンタギューはそう言い残し、サイモンと共に出て行った。


 扉が閉まる乾いた音が生まれ、同時に二人が去った空間はふたたび薄闇が広がった。

 静寂が寝室全体を包み込む。


「…………」

 ……言えなかった。

 ノアは自分の心の弱さを思い知り、俯(うつむ)いた。


 モンタギューの立ち去り際、ノアが言いたかったのはほかでもない。両親や村人を殺し、村を焼き滅ぼした残酷非道なヴァンパイアはランバートだということだ。

 自分の手からすべてを奪われた当初のことを思い出せば、それだけで十五年の歳月が過ぎた今も胸が苦しみ、引き裂かれんばかりの痛みを訴える。

 それを整理する気持ちももたないまま、彼に話すことができなかった。

 しかし、モンタギューは薄々気づいていることだろう。

 なにせランバートは日中でも堂々と街中を歩いていた。

 ヴァンパイアが太陽の下を歩けるなんて聞いたことがない。

 だが、モンタギューの言うとおり、悪魔と結託していたとすれば、それも可能かもしれない。なにせ、悪魔こそがヴァンパイアという化け物を作り出したのだから……。


 しかし相手が何者であっても、奴が両親を殺したことには変わりない。その憎き相手に攻撃するどころか、易々と身体を開くなんて……。

 せめてもの救いは、抱かれることを心から拒絶をしたところだろうか。

 それでも身体は従順に開き、快楽を感じた。


(自分はなんて淫らな生き物なんだろう)

 ノアは自分を責め苛む。


 全身が内なる悲しみで深い絶望を覆う。

 誰もいなくなった薄闇の中、ノアは意識を失っている彼の隣でひとり、悲しみとも怒りとも取れない気持ちを味わっていた。





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