transend darkness-

第五章





chapter:明かされる真実W




 W



 深い眠りに入っていたイジドアは、突然聞こえた身を引き裂かれそうなほどの危機感を帯びた悲鳴が耳につき、目を覚ました。

 ナイトテーブルに置かれた燭台(しょくだい)の蝋燭(ろうそく)は元の三分の一ほどの長さになっている。

 どうやら自分は相当な時間、意識を失っていたらしい。

 蝋燭の炎は今にも消えそうだ。その頼りない炎に照らされるのは、窓ひとつない広い部屋にキングサイズのベッド。

 ここは自分の寝室だ。

 ランバートの一戦から太陽に焼かれ、一度は死を覚悟したのだが、生かされたらしいことを彼は知った。


 では危機感をもった悲鳴はどこから発せられたものなのか。

 てっきりランバートから襲撃を受けたのかとも思ったが、屋敷には悪魔払いの術がかけられている。

 ランバートは悪魔がもつ魔力を多く感じたから、彼はまず屋敷内に侵入できない。

 では、あの悲鳴は何だったのだろうか。

 優れた聴覚をもってしても、もう何も聞こえない。室内は静寂に包まれていた。

 果たして先ほどの悲鳴は幻聴だったのか。


 ふと、何かの気配を察知したイジドアは傍らを見ると、いる筈(はず)のない人間の存在に気がついた。

 ノア・フィルスコット。なぜ彼はここにいるのだろう。

 自分はノアを守るため、モンタギューと契約を交わした。

 今でこそ動けているが、ほんの数分前までは意識不明の状態が続いていた。

 太陽に焼かれ、深く傷ついてしまった肉体では彼を守ることはおろか、自分の身の安全さえも保証できない。そんな状況でランバートの襲撃に遭えばひとたまりもない。

 てっきり、モンタギューはイジドアとの契約をなかったことにして、次の契約者を探すだろうと思っていた。

 しかし、ノアは今、自分の傍に横たわっている。しかも、しなやかな肢体を捧げるようにして晒(さら)して!


 そこでイジドアは我に返った。

 それというのも、ノアの肢体は濡れきっていたからだ。

 これは、イジドアの自制心が働かなかったことを意味する。

 ヴァンパイアの欲望が理性という防波堤を破裂し、ノアを襲ったのだろう。

 彼は愚かにも自ら抱かれたというのか。

 もしかすると、自分はノアに化け物になるウイルスを送り込んでしまったのかもしれない。

 身体が凍りついて動けない。


 イジドアは母メリッサのように自分の欲望のままに生き、他人を自分と同じ苦痛に塗れた生き方を共有することを酷く嫌っていた。

 だからこそ、この長すぎる年月を孤独に生き抜き、死を待つ囚人のような生活を送ってきたのだ。

 それなのに……。


 視界をさらに落とせば、倒れた点滴スタンドに固定された血液パックが見えた。そのパックのチューブは自分の腕と繋がっている。

 ということは、イジドアが喉の渇きに耐えられるよう、モンタギューが事前に食事を用意してくれたということか。


 ノアはヴァンパイアになっていない。

 安堵したイジドアは胸を撫で下ろした。


 それでもノアは愚か者だ。

 自らの身体を、欲望に染まった化け物に捧げたのだから――。

 そこまでして、彼は快楽を得たかったというのか。


 それを考えた時、イジドアはどうしようもない怒りをノアに感じた。

 快楽を与えてくれる人物なら誰でも良い。そう言っているように見えたからだ。


 隣で無防備に横たわるノアを見下ろす。

 太腿の間にある陰茎は蜜で濡れている。そしてそれはおそらく、蕾を濡らしているに違いない。

 濡れそぼったノアの肢体に魅了されたイジドアの陰茎は、かなりの精を放ったはずなのに熱を持ち、膨らみはじめている。



 とにかく、今はこの濡れた身体を清めねばならない。


 イジドアは魅惑的な肢体から無理矢理視線を外し、彼から身体を離した。血液パックと繋がっているチューブの針を腕から抜き取る。


 ――まずは洗面器とぬるま湯、それにタオルが必要だ。そして自分用のおそろしく冷たい冷水も……。

 イジドアは上着を羽織り、膨らみはじめている男根を戒めるジッパーを上げる。無理矢理窮屈なスキニーパンツに押しやられたイジドア自身は解放するよう痛みで訴えてくる。

 彼は何やら自分を罵ると扉に近づいた。


 ――ああ、なんということだろう。扉は開いている。

 これではノアの甘い嬌声も水音も何もかもが廊下にまで丸聞こえではないか。


 半開きの扉を見たイジドアは頭打ちをする。


 そして丁度目の前にはサイモンがいた。彼の手には洗面器に張られている湯とタオルを持っている。


「こちらが必要でごまいましょう」

 有り難いことに、彼はイジドアとノアの情事を知っている。そしておそらくはノアの嬌声を聞きつけ、用意したのだろう。

 なんともできた執事だろうか。

 イジドアはまたもや自分に悪態をつくと、サイモンからタオル一式を受け取り、今度こそ扉を閉めた。

 ナイトテーブルに固定された燭台の蝋燭の炎が室内を妖しく灯す。


 しなやかな肢体に近づくと、タオルを湿らせた。禁断の赤い果実のようにツンと尖っている突起にあてがい、できるだけその手触りを感じないよう、心がけた。

 胸を通り、そのまま下の方へ布を滑らせる。すると腹が膨らみを増しているのが見える。おそらくノアは、尽きることのないイジドアの精を受け続けたのだろう。


 欲望を抑えられない自分も、易々と身体を開いたノアも――なにもかもが忌々(いまいま)しい。


 彼の小振りな陰茎を清め終えると、次に太腿を開いて蕾に触れる。

 じんわりと流れ出るのはイジドアが放ったものだ。肉壁を分け入り、指を挿し込んで掻き出せば、じんわりと熱が伝って来る。

 イジドアはまたノアを貫きたくて堪らなくなった。

 しかしここで抱いてしまえば、ノアには相当な負担になる。なにせ、イジドアは欲望のままにノアを抱き続けただろうから……。

 現にこうして指を入れるだけで、滑った液体が流れ落ちてくる。無音の部屋に肉壁を掻き混ぜる淫猥な音と水音が生まれ続ける。

 イジドアはできるだけ締め付けの良い肉壁の感触を感じないよう、ひたすら事務的に作業を続けた。

 こうして苦痛とも言える時間をいったいどれだけの間過ごしているだろうか。いくらか取り除いたと思うものの、それでもまだノアの蕾からイジドアの白濁が溢れ、流れ続ける。

 イジドアの指はすっかりふやけている。そして彼の陰茎もまた、これ以上ないくらい膨れ上がり、戒めるジッパーに食い込む。自分を解放しろといっそうの痛みをもって訴えてくる。

 ――ああ、この潤った蕾の中に自らの熱い猛りを収めたい。男根を突き刺し、そして中でうんと掻き混ぜて絶頂を迎えたい。

 しかしそれでは、自分の欲望ばかりが遂げられるだけで、ノアの身体はボロボロになってしまう。

 なにせ彼は、こうして意識を失うまでイジドアの精を受け続けたのだから。

 イジドアは首を振り、生まれ出る欲望を振り払う。

 するとまたもや真紅の唇から悲鳴のような呻く声を聞いた。


 彼は今、何かに怯えている。もしかすると、この行為が不快なのかもしれない。

「ノア? 起きているのか?」

 それならば自分で清めてくれないか。

 イジドアは心の底から願った。

 しかし、彼の唇はイジドアの呼び声に答えない。

 アイスブルーの瞳はいまだ閉じられたままだ。

 そしてまた、真紅の唇から呻き声が発せられた。


 ノアの表情を読み取ろうと視線を上げると、彼の額からは汗が噴き出ている。

 目尻から涙が溢れ、耳へと筋を作って流れていた。

 引き結んでいる唇からはすすり泣くような声が飛び出す。


 ノアは恐ろしい悪夢を見ている。

 イジドアがそれを知った時、ノアはアイスブルーの瞳を開け、上体を起こして目の前のイジドアから逃れるように押し退けて扉へと走った。

 ベッドの上に置いていた洗面器は勢いよく飛び出したノアによって見事にひっくり返ってしまった。

 おかげでシーツとフローリングは水浸しだ。

 しかし今はそんなことに構っていられない。扉に向かって走ったノアは部屋の片隅に移動し、身体を丸め、何かから守るようにして縮こまっている。


「ノア?」

 イジドアが呼びかけても、やはり返事は返ってこない。ただ丸まった背中が震えるばかりだ。


 その姿を見たイジドアは、心臓に強烈な痛みを感じた。

 これは母親に裏切られた時の痛みに似ているかもしれない。

 イジドアは恐る恐るノアに近づき、丸まった背中に手を当てる。するとノアは鋭い悲鳴を上げ、身体をひねって抵抗した。

 イジドアは暴れる身体を無理矢理腕の中に抱き込む。

「ノア、ノア」

 彼は幾度となく、ノアを呼び続ける。

 ノアは首を左右に振り、イジドアを拒絶する。


「いやだ、怖い。助けて……母さん、父さん!!」

 まるで幼子のように助けを求めて叫ぶ今のノアは、触れるとすぐに壊れてしまいそうだ。

 すすり泣く声がイジドアの心を責める。

「ノア、起きろ。ノア……」


 イジドアは剥き出しになっているノアの肩を揺さぶり、目を覚ませと必死に呼び続ける。

 呼び声に反応したのか、アイスブルーの瞳が閉じ、そしてゆっくり開いていく。


「イジ、ドア?」

 アイスブルーの瞳がイジドアを写す。

 震える声はか細く、とても頼りない。


「ああ、そうだ、俺だよダーリン」

 そう言った自分の声がとても優しい音だったことに、内心驚きつつも彼は頷いた。

「ああ……ランバートが……襲ってくる、夢を……」

 息も絶え絶えにそう言うと、ノアはぐったりとイジドアの腕に身を任せた。

 恐怖に捕らわれたノアの身体は冷たく凍えるようだ。


 イジドアはノアを包み込み、横抱きにするとベッドの上まで運ぶ。

 すると先ほどの一件で洗面器がひっくり返り、ぬるま湯が零れたことを思い出した。

 シーツが濡れている。

 イジドアは悪態をつくとベッドからシーツを取り除き、華奢な身体にブランケットを巻いてやった。

 麦畑を思わせる髪に指を差し込み、後頭部を引き寄せる。

 イジドアはおかしな思考に襲われた。

 それというのも、こうしてノアを抱き締めるのは当然のことのように思う自分がいたからだ。

 不可思議な気持ちに苛(さいな)まれながら、イジドアはノアを慰(なぐさ)めることに徹した。


「大丈夫だ、奴はここにはいない」

 頭を撫でて宥(なだ)めてやると、ノアはほうっと息を漏らした。

「わかっているんだ。でも、僕は……」

 そこでノアの唇は一度閉ざし、口内に溜まった唾を飲み込んだ。

 とても言いにくそうだ。

 それでもイジドアはノアの意思を尊重し、間に口を挟むことなく、辛抱強く彼の言葉を待つ。

 一度は静寂が生まれたものの、真紅の唇から流れ出る震えた声が掻き消した。


「十五年前、僕の両親はランバートに殺された。それだけじゃない。村に住んでいた人びとも、村も、全部が跡形もなく燃やされたんだ……」

(なんだって? 彼は今、何と言った? 十五年前。両親や村を燃やされただって?)


 イジドアはノアの言葉に耳を疑った。

 だって彼が知っている十五年前の大きな事件と言えば、ひとつしかなかったからだ。

 それがランバートの仕業だというのか。

 そしてノアはその被害者だというのか。

 イジドアはそれをノアに訊(たず)ねたかったが、できなかった。


 華奢な身体を包み込むブランケットを掴む細い指は震えている。強く握り閉めているのが目に見えてわかる。

 彼は今、間違いなく過去に囚われている。いや、今ではなく、十五年前からずっとだ!!

 イジドアは口を閉ざし、ノアの話を聞く。


「仲が良かった友達も、面倒を見てくれた隣の人も……父さんも、母さんも、すべてが目の前で殺されていく。その光景が、悲鳴が――ずっと瞼の裏に、耳の奥に焼き付いて離れないんだ」


 そういえば、ノアを抱いたことはあっても長時間彼と共に過ごすことはなかったと、イジドアは今さらながらに思った。


 彼は敬意をもって、すすり泣くノアの背中を撫でる。

 そしてノアはさらに続けた。

「村の生き残りは僕ひとりだけ……。村が燃えたことや、ランバートに殺されたみんなや父さんと母さんのことを思い出すたびに心が張り裂けそうに痛んで……どうして。どうして僕だけが生き残ってしまったのたのかな……僕も、父さんや母さんたちと一緒に死ねば良かった……殺されれば良かった。それなのに、どうして死ななかったのかな……」

 アイスブルーの瞳はどこか遠くを見つめている。

 目尻から溢れた涙がいくつもの筋を作り、頬を伝う。


「ああ、ノア……」

 なんということだ。小さな村に起こった極めて残虐的なヴァンパイアによる被害者はどこか知らない人びとではなく、こんな近くにいたなんて!!


 だからモンタギューは必要以上にノアを守るよう共有し、危険を顧みず、ヴァンパイアの自分に契約をもちかけたのだ。

 なぜそのことに気づかなかったのだろう。



 ノアは今、自責の念に捕らわれている。いや、今だけではない、村を――両親をランバートに殺された十五年も前からずっとだ。

 彼はひとり生き残ってしまった自分を責め続けている。

 どれほど苦しかったことだろう。どれほど辛かったことだろう。


 生きながらにして彼は地獄を見てきたに違いない。

 それを考えると、イジドアの心がひどく痛む。

 胸が苦しくなって、呼吸するのさえも困難になる。


「ノア、それは君のせいじゃない」

 すべての根源は、ランバートだ。そしてヴァンパイアというものを生み出した悪魔たち。

 ノアは何も悪くないのだ。


「――俺にはかつて、両親と兄弟がいた。父は聡明で、だが、母親は愚か者だった。俺と兄のドミニクは母親にヴァンパイアへと変えられた。すべての元凶は、父が母の愚かな部分を見極めることができなかったことだ。そして化け物になった俺は今もまだ生に執着し、生き続けている」


 ヴァンパイアの襲撃から生き残ったノアよりも、化け物になってまで、いまだに生に縋(すが)り続けている自分の方がよっぽど醜い。

 生き血を啜り、生きる自分はもはや人間ではない化け物だ。


 胸に秘めていた悲しみをイジドアが話し終えると、ノアの腕がイジドアの背中に回った。


「イジドア……だけど僕は貴方が生きていてくれて良かった。今なら心から、そう思う……僕を助けに来てくれて、ありがとう。おかげで僕は、ランバートの手に堕ちなくてすんだ……」

 背中に回された手から、ぬくもりが伝わってくる。

 ノアはイジドアの胸に頬を擦り寄せ、目を閉ざす。

 真紅の唇がゆっくりと息を吐き、吸い込む。深い呼吸を幾度となく繰り返す。



 どうやら彼は眠ったようだ。それっきり、アイスブルーの瞳は開く気配がない。


 イジドアもまた、満たされた気持ちで彼を腕に抱き、目を閉じた。



 ―第五章・完―


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