transend darkness-

第六章





chapter:反抗U




 U



  今さら過去のことをどうこう話したところで何も変わりはしないのに、自分はなぜ、話してしまったのだろう。

 イジドアはこれまで誰にも打ち明けていなかった悲惨な過去をノアに打ち明けたことに驚いていた。

 ノアから過去に経験した出来事を聞いたのが原因だろうか。だから自分もつられて過去のくだらない話をしてしまったのかもしれない。


 十五年前。ノアの過去に起きた出来事は恐ろしく悲惨なものだった。

 両親を殺された上に皆殺しに遭い、村を焼き尽くされたあの事件が、まさかランバートの仕業だったとは――。

 血をことごとく吸われ、悲鳴に満ちたであろう惨(むご)たらしい光景を、わずか十歳ほどの少年が味わった。どれほどの恐怖とどれほどの深い悲しみが彼の中に宿っただろうか。

 それを考えると、ランバートというヴァンパイアには怒りしか感じない。

 イジドアはてっきり、十五年前に村を焼き尽くしたヴァンパイアは今世間を騒がせている二十代女性ばかりを狙った男女二人組だと思っていた。

 しかし、ノアは村を襲ったのはランバートだという。

 では、いったい男女二人組のヴァンパイアは何を意図して二十代の女性ばかりを襲うのか。


 果たして彼らはランバートとは無関係なのか。それとも何かしらの繋がりがあるというのか。

 ランバートにしてもそうだ。彼はなぜ、ノアの村を襲ったのか。仮にノアの力を欲していたのならば、真っ先にノアを襲った筈(はず)だ。しかし、ノアの話を聞いているかぎりでは、奴はノアの両親や村の人びとを襲い、幼いノアのことは眼中になかったようだ。


 奴はいったい、ノアの村で何をしようとしていたのか。そして彼はなぜ、日中でも平然としていられるのか。

 ヴァンパイアの天敵は太陽ではないのか。いったい悪魔とどのような契約を果たしたのか。

 疑問ばかりが生まれてくる。


 ふと自分の腕の中を見下ろせば、ランバートの被害者のノアは無防備に眠っている。

 イジドアはあたかもそれが当然のことのように、彼の背に腕を回し、包み込んでいる。


 彼の居場所は自分の腕の中だと思えるのはなぜだろう。

 ノアは眠っていたイジドアの母性を引き出すのが上手い。


 イジドアは目を閉ざし、ノアの身体を強く抱き寄せる。

 そうすると香ってくるのはベルガモットの匂いだ。イジドアの鼻孔をくすぐる。

 こうしてノアの傍にいると、一度は治まりつつあった欲望に、また熱が灯りはじめるのを感じた。

 生地を押し上げる陰茎がひどく痛む。

 今すぐにでもジッパーを下ろし、勃ち上がりはじめた陰茎を解放したい。

 華奢な身体からブランケットを取り除き、柔肌を披露させて、引き締まった肢体の中心にある小さな蕾に男根を挿し込み、彼の体内を味わいたい。

 しかし、彼は先ほどやっと穏やかな眠りについた。ここで抱いてしまえば、身体が疲労するばかりで休まる暇がない。

 イジドアは歯を食いしばり、生まれ出る欲望を耐える。

 静寂が広がった室内で、イジドアがひとり、果てしない欲望と戦っていると、突然、聞き覚えのある悲鳴が頭の奥から響いた。


 この声は忘れもしない。数年前に生き別れになった兄、ドミニクのものだ。

 悲鳴の方に意識すると、イジドアの瞼の裏にドミニクの苦しむ姿が浮かび上がってきた。

 彼は口からどす黒い息を吐き、喉元を抑えながら転げ回っている。

 もがく兄の前に、何者かが立っている。

 視界の端に、何か黒い影のようなものが見えた。

 イジドアは影を辿っていくと、金の長い髪に、鋭い目をした、年の頃なら三十歳前後の男がいた。

 彼は忘れもしない、十五年前にノアの両親と村に住んでいた人びと。そして村を葬り去った獰猛なヴァンパイア、ランバートだ。

 なんということだろう。ドミニクはランバートに危害を加えられている!!


 兄の、のたうち回る姿を見ていられなくなったイジドアは、ベッドから勢いよく飛び起きた。

 これがただの幻覚ではないことは、ノアの一件で理解している。

 なぜ兄がランバートと一緒にいるのか。

 どういうことかはわからないが、兄は今まさに、ランバートの餌食になろうとしている。



 イジドアはシャツの上からコートを羽織り、ベッドサイドからナイフ数本と二丁のデザートイーグル。それにジャマダハルを取り出し、懐と腰のホルダーにセットする。

 次にベッドの下から棺のようなものを取り出した。中を開けるとそこに収まっているのは、中世の煌びやかな模様が彫られてある、鞘に収まったロングソードだ。

 ロングソードを鞘から引き抜けば、錆びひとつない、銀で塗られた美しい鋼の刀身が姿を現す。

 イジドアは鞘に刀身を戻すと、腰に固定させる。

 視線を落とせば、見えるのはベッドの上で無防備に眠っているノアの姿だ。

 彼を起こすことはできない。ランバートはどこでノアの霊力を嗅ぎつけたのかはわからないが、ノアを欲しがっている。ともすれば、ノアの命が危険になる。

 イジドアはランバートと刃を交え戦ったとしても無傷で生還することができないことを悟っていた。

 ランバートはイジドアよりもずっと魔力が強い。それは、ランバートの目の前でドミニクがのたうち回っている姿でよく理解できる。

 運が良ければ差し違えて死ぬか、それとも無駄死にするか……。万に一つでも生き残るという選択肢は考えられない。

 イジドアには、この先に待っている未来が『死』でしかないことを悟っていた。


 しかし、仮にイジドアがこの世を去ったとしても、モンタギューがこの屋敷にかけた悪魔払いの術が効いている。ランバートはこの屋敷へ一歩も侵入することはない。

 用意周到なモンタギューのことだ。イジドアが死ぬと、自分よりもさらに強力な力を持った、自分ではない誰かと契約を交わし、ノアを守るよう努めるだろう。

 そしてノアは、その者に命を守られ、身を任せる。自分に抱かれたように、その者にも身体を開くかもしれない。

 もしかすると、ノアとその者は恋仲になる可能性だってある。だってノアはとても純粋で汚れのない、天使のような美しい心と魅惑的な身体をもっている。

 彼をひと目見た誰しもが、ノアに魅了されることだろう。


 そう考えた時、イジドアの胸に痛みが走った。

 イジドアは、ノアを自分以外の誰かに託すことを心から拒絶している自分がいることに気がついた。


(ああ、なんということだ。俺はノアを誰よりも大切に想っている……)


 イジドアは生まれ出た感情を理解し、頭打ちをくらう。


 しかし、その感情を知ったからといって、どうなるものでもない。

 所詮、自分は悪魔に身を捧げた化け物だ。純粋なノアと釣り合う筈もない。


 イジドアは痛みを訴える胸を無視して神経を研ぎ澄ます。

 意識を魅惑的なノアから、兄ドミニクへと変える。

 イジドアが生き別れる前の兄の魔力を思い出しながら気配を探る。

 ここからさらに北へと進んだ先の屋敷だ。さほど距離はない。

 そこにドミニクとランバートがいる。

 あと四時間ほどで夜が明ける。それまでになんとか片を付けなければ――。


 ドミニクの魔力を察知したイジドアは逸(はや)る気持ちを抑え、強く拳を握りしめる。

 夜の闇へと姿を消した。





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