chapter:悲戦U U 「ドミニクはどこだ」 門をくぐり抜け、石畳の広間に辿り着くなり、イジドアは声を荒げ、怒鳴る。 目の前には椅子に腰掛けた、鋭い金の瞳をもった獰猛(どうもう)なヴァンパイア、ランバートがいる。 「ドミニク? ああ、これのことか?」 彼は一度首を傾げると、たった今思いついたかのように白々しくそう言った。 彼の背後から姿を現したのは、真紅の目をした銀髪の男だ。 けっして漆黒の髪と瞳をもつ、イジドアの兄、ドミニク・ダルグリッシュではない。 唇は固く閉ざされ、こちらを冷ややかに見据えている。 イジドアと共に過ごしていた当時の、快活な様子は微塵(みじん)にも感じない。 しかし、彼ではないと言いきれないのはなぜだろう。 たしかに、今目の前にいる彼はイジドアが知っているドミニク本来の容姿ではない。 彼から漂う気配もヴァンパイアのものではなく、邪気だ。悪魔そのものの魔力しか感じない。 だが、その中に微弱ながらドミニクの気配も感じ取った。 「なかなか美しいだろう? 悪魔を体内に宿したことで愚かな彼は真の闇に変わった」 ランバートの指が、銀髪の男の鋭い顎を捉え、自分の所有物をうっとりと見つめている。 『悪魔を宿した』 ランバートはたしかにそう言った。 彼が言うことが本当であるならば、ドミニクの理性はことごとく破壊され、生まれるのは狂気に満ちた殺人鬼だ。 「貴様……」 イジドアは、すっかり変貌してしまったドミニクの背後にいるランバートを睨み、唸る。 「感謝してほしいくらいだよ。恋人を生き返らせてほしいという願いを聞き入れてやったんだから」 ランバートは楽しげに笑う。 「兄さん!」 イジドアが話しかけても、もう輝くような笑顔を向けてはくれない。彼の口は固く閉ざされている。 イジドアが知っている以前の彼とはまるで別人だ。 ランバートが顎を引き、自分の方へ引き寄せる。 「さあ、あの邪魔者を殺しておいで。私の美しい戦士」 ランバートの声を引き金にして、ドミニクがすぐに動いた。 彼はロングソードの柄を強く握り、イジドアとの間合いを一気に詰める。 そのスピードは、ストーカーとは比べものにならないくらい、ずっと速い。 イジドアは寸前のところでなんとかロングソードを鞘から抜き、向かい来る刀身を止めた。 「兄さん! いったいどうしてしまったんだ」 イジドアはドミニクからの攻撃を受ける合間に、すっかり変貌を遂げてしまった兄に呼びかける。 しかし、唇からは唸り声が飛び出るだけで、彼はひと言も発しない。まるで言葉を忘れ、人間の善意を忘れた、狂った破壊者、バーサーカーのようだ。 「兄さん!!」 それでもイジドアは、ドミニクに叫び続ける。 たとえ悪魔を身に宿したとしても、彼の中に、ドミニクの心がまだあると信じて――。 だが、それがイジドアの弱点になる。ドミニクから繰り出される攻撃は恐ろしく速い。そしてさらに、イジドアは彼を傷つけることを躊躇(ためら)い、攻撃せず、受け身に徹する。 そうなれば、イジドアの対応は鈍る一方だ。 それを良いことに、ドミニクは戦意を失っているイジドアのみぞおちを蹴った。 イジドアが怯んだその瞬間を狙い、鋭い切っ先が腹部を狙う。イジドアは彼の攻撃をなんとか柄で受け止めるものの、しかし彼がふたたびみぞおちを蹴り、不安定だったイジドアは地面へ押し倒された。 固く閉ざされた唇から漏れる呼吸は荒い。 ドミニクは切っ先をイジドアの喉元目掛けて振るう。 イジドアは鋭い切っ先が喉元に突き刺さる間一髪の所で、迫り来る刃を刀身で受け止めた。互いに拮抗する力は緩むことはない。 その時だ、固く閉ざされるばかりだった唇が、微かに動いた。イジドアはそれを見逃さなかった。 「兄さん!」 イジドアがドミニクの名を呼ぶ。 すると彼の、真紅の瞳に僅かな光が宿った。 「イジドア……俺を、殺してくれ。俺の中にいる悪魔が目覚める前に……」 「兄さん?」 ふたたびイジドアがドミニクを呼ぶ。 姿は変わってしまったものの、ドミニクの意識はまだ混在していたのだ。 ドミニクはいっそうの大きな唸り声を上げ、大きく頭を振った。 どうやら彼もまた、自分の中に宿る悪魔と戦っているようだ。 「俺がいけなかったんだ。リリースを、交通事故に遭い、亡くなった彼女を生き返らせる手段を持っているとランバートの誘惑に乗ったから……俺だ……二十代の女性ばかりを狙い、殺したのは俺なんだ。すべては交通事故で亡くなったリリースを蘇らせるため、ランバートと手を組んだ……」 彼の頬に涙が伝う。 ドミニクは自分の行いを悔いていた。 「ひとつ良い事を教えてやろう。たとえあのまま私の言うとおりにしていたとしても、お前のリリースは戻って来なかったんだよ。考えても見ろ、恐怖と苦痛に満ちた人間の血液を飲み干すんだ。私好みの恐ろしい悪魔にしかならない。気分はいいだろう? ドミニク。ずっと好いていた女と身体を共有しているのだから」 ランバートは笑みを浮かべ、楽しげにそう言ってのけた。 ――それはつまり、ランバートがドミニクの弱った心を狙い、利用したことに他ならない。 やはり、残虐な事件のすべてを裏で糸を引いていたのはランバートだった。 イジドアはランバートの言葉とドミニクの言葉をつなぎ合わせ、ようやく理解した。 それと同時に、言い知れない怒りが心の奥底からふつふつと込み上げてくる。 「共有? 馬鹿な。乗っ取っているだけだろう!!」 怒りの頂点に達したイジドアはドミニクを押し上げ、彼を振り解くとランバートに向かって斬りかかる。 しかし、ドミニクはそうはさせてくれなかった。彼はイジドアの前に立ちふさがり、刃を振るう。 「頼む、イジドア。俺を殺してくれ。もう誰も殺したくない!!」 彼の言葉とは裏腹に、イジドアに向かって刃が振り下ろされる。イジドアはなんとか避け、刃が空を切り裂く。 イジドアは兄の言葉に、静かに首を振った。 「……できない」 「そうだろうな、だから貴様はここで滅ぶんだ。そしてあの人間は私のものになる」 イジドアの言葉に返事をしたのはドミニクではなく、ランバートだった。 目の前で繰り広げられる光景を楽しそうに見つめている。 他人を自分の手駒のように扱うランバートのやり口も――ひん曲がった唇から漏れる笑い声も、蔑(さげす)んだ目をした金の瞳も、彼の何もかもが気に入らない。 「貴様の思い通りにはならない」 「そうかな? 私の中にある彼の父親の力とひとつになれるのだ。彼も本望だろう」 なんだって? イジドアは耳を疑った。 そして彼は頭打ちをくらった。 ――ああ、なんということだ。なぜそのことを考えなかったのだろう。 ノアの霊力が並外れているのなら、彼の親も類い希な霊力を所持していた可能性だって十分に考えられる。 彼はヴァンパイアであるにもかかわらず、日中を堂々と歩けたのはそういうことだったのかと、イジドアは理解した。 だからだ。だからランバートはノアの両親を手に掛け、そして村の人びとと村を消滅させたのだ。 「貴様……」 イジドアはドミニクの攻撃を避け、再度ランバート目掛けて斬り込む。 だが、やはりドミニクが間に入り、イジドアを止めた。 「やれやれ、馬鹿のひとつ覚えかい? ドミニクがいるのに私を殺すのは不可能だ」 くつくつとイジドアを小馬鹿にするランバートの笑い声がことごとく耳に障る。 「イジドア、頼む。俺を殺せ!! このままでは他にもさらに犠牲者が出る! 俺は、もう……誰も殺したくはないんだ……」 ドミニクは涙を流し、大きく腕を振るう。 イジドアはドミニクの刃を薙ぎ払った。彼のロングソードは乾いた音を立て、彼らの遙か後方へ転がり落ちた。 悲鳴にも似た叫びが薄い唇から放たれる。 イジドアは武器を失ったドミニクを勢いよく地面に叩き付け、彼の身体を逃れないよう胸を踏みつけ固定した。 イジドアの切っ先が持ち上がる。 「そうだ、それでいい……」 ドミニクは目を閉ざし、死を覚悟した。 イジドアの悲痛な叫びが周囲に木霊する。 ランバートは笑みを浮かべ、自分たちが演じる悲劇の舞台を楽しんでいる。 ランバートの思い通りに動いてしまう自分が忌々(いまいま)しい。 イジドアの悲鳴にも似た叫びと共に、切っ先が勢いよく彼の喉元へと向かったその時だ。 「殺してはいけない!!」 イジドアを制する声が響いた。 |