transend darkness-

第七章





chapter:悲戦V




 V



「だめだ、イジドア!!」

 イジドアを制したのは、ノアだった。そして彼の隣にはこの場に相応しくない礼服を身にまとった老人、サイモンがいる。

 おそらくは彼が持ち前の行動力を発揮してノアをここまで運んできたのだろう。


 ランバートがノアを欲している。

 たとえイジドアが殺されたとしても、ノアが屋敷の中にいれば彼の思うとおりにはならない。

 だからノアを守るため、イジドアは彼をあの屋敷に置いてきた。

 それなのに、ノアはこの場所にいる。


 これではランバートの思うつぼだ。

 ――だが、今に限っては感謝するべきなのかもしれない。

 どれだけ人間を手に掛けたとしてもドミニクは自分の兄だ。

 イジドアはこの手で葬り去ることを拒絶していた……。




「話は聞いていた。ドミニクが暴れ出さないよう見ておく。イジドアはランバートを!!」

 ノアはイジドアに代わり、銀のナイフをドミニクに突きつけ、動けないように固定するとそう言った。


「役者はそろったか」

 ランバートが椅子から腰を上げた。

 どうやらこれもすべて彼の思惑どおりだったようだ。

 ロウ・デーモンやダーク・キラーといった、これまでイジドアが戦った相手を呼び出したのはすべて、ノアがイジドアを追うことを見越しての時間稼ぎでしかなかったのだ。

 また、自分たちは良いように彼の手の中で踊らされていた。


 イジドアは薄い唇を引き結び、ロングソードを胸の前で構え直すとランバートに勢いよく斬りかかる。

 しかし、またもや予期していない敵によってイジドアの攻撃が止められた。

 イジドアの前に、死神の姿をしたリーパーが現れた。

 大鎌が空を薙ぎ、イジドアを狙う。


 イジドアは間一髪の所で大鎌を避ける。しかし背後にはランバートがいた。

 彼は手にしたロングソードでイジドアの背を斬りつけた。

 イジドアの背中からは大量の血しぶきが上がる。


「イジドア!!」

 彼を呼ぶノアの悲鳴が周囲を覆った。


 全身が焼けるような強烈な痛みがイジドアを襲う。視界が霞み、意識が朦朧(もうろう)としてくる。

 身体を支える足はふらつき、意識が途絶えそうになる。しかし、それでもイジドアは倒れなかった。背後から身体を貫いているランバートには目も暮れず、ロングソードを振り上げると目前にいるリーパーを叩き斬った。

 リーパーは金切り声を上げ、散っていく……。

 リーパーは消え去ったというのに、それさえもランバートはさして気にすることもなかった。

 彼はイジドアの身体を突き刺した剣を引き抜くと、二度目の攻撃を仕掛け、イジドアの肩に刃を食い込ませた。



 イジドアの呻く声が周囲に木霊する。

 ノアはイジドアが傷つけられる姿を見つめることしかできない自分を呪った。

 グリップを強く握る手が震える。


「イジドア!!」

 ノアの悲鳴にも似た叫び声が反響する。


 ――イジドアが死んでしまう。

 そう思うと、ノアの心が張り裂けそうに痛む。

「刃を外せ。俺ならもう大丈夫だ」

「ドミニク?」

 悲しみのまっただ中にいたノアに、ドミニクが口を開き、彼に話しかけた。

 ドミニクとて、ただ寝転んで弟が無惨に傷つけられる様を漠然と見つめていたわけではない。彼はランバートによって体内に植え付けられたリリースの姿をした悪魔の意識と戦っていた。

 そして彼はたった今、体内に宿る悪魔の殲滅(せんめつ)に成功した。

 次はランバートだ。

「俺はもう二度と、惑わされない」

 告げたドミニクの言葉には強い意思が感じられる。

 ノアは、ドミニクの体内から悪魔の気配が少しずつ消えていくのを感じ取り、短剣を外す。

 するとドミニクは動いた。ランバートに攻撃を仕掛ける。


 ドミニクは、イジドアを突き刺していた剣を引き抜き、下卑た笑いを浮かべるランバートへと突き進む。

 イジドアはランバートの攻撃から解放され、身体が石畳に叩き付けられる。

 ランバートから解放された隙を見計らい、ノアとサイモンは急いでイジドアを隅に移動させた。

 彼の唇から飛び出る呼吸は荒く、そして浅い。これでは酸素がうまく心臓に辿り着かない。

 サイモンはイジドアの顎を上げ、なんとか呼吸をしやすいよう、固定した。

「イジドア!!」

 ノアが彼に呼びかけても返事はない。

 斬りつけられた背中からは絶え間なく血液が流れ落ち、石畳を鮮血で染めていく……。





 その間にも、ランバートとドミニクの恐ろしい速さをもった激しい攻防が繰り出されていた。


「あのまま操られておけばよかったものを」

「お前の好き勝手にはさせない。俺の運命も、もちろんイジドアもだ!!」


 ドミニクはランバートの刃を受け止める。振り下ろされる彼の剣は重い。

 ランバートの刀身と交えるたび、ドミニクの力がそぎ落とされるのを感じた。

 それでも、ドミニクは倒れるわけにはいかなかった。

 たったひとりの肉親をみすみす殺してしまうようなことがあってはならない。

 イジドアが生きることを祈り、ドミニクは強くグリップを握り閉める。



「イジドア、イジドア!!」

 血液を流しすぎたイジドアは意識が朦朧(もうろう)としている。


 ノアは手にしていた短剣で自分の首筋を斬りつけ、自ら傷を作って血を流した。


 彼の鼻孔に近づける。

「僕の血を飲んで」

「ノア、逃げろ……。サイモン、ノアを屋敷へ……」

 しかし、イジドアはノアの言葉を最後まで聞かなかった。

 目を閉ざし、苦痛の表情を浮かべている。

 こうしている間にも、確実にイジドアから血液が失われていく……。

 ――いや、イジドアだけではない。

 ランバートと戦っている彼の兄だって同じだ。


 ノアがイジドアからドミニクの方へ視線を移せば、彼は両手でグリップを握り、ランバートに斬り込んでいた。

 しかし、ドミニクの攻撃速度は明らかに失速していた。

 彼は自分の中に宿る悪魔を鎮めるのに大部分の力を失っていたのだ。

「遅い……」

 ランバートはドミニクのみぞおちを蹴る。ドミニクの身体が宙に浮き、勢いよく壁に向かって弾き飛ばされる。


 しかし、ドミニクは壁に追いやられることはなかった。ランバートが彼の頭上へ跳び、柄頭で彼の背を叩いた。

 ドミニクの身体は地面へと急降下し、石畳に叩き付けられる。


 このままでは、この場にいる全員の命が危ない。


「お願いだ。貴方を見殺しにしたくない。僕は、イジドア。貴方を愛しているんだ。お願い、生きて」

 イジドアは今、とても弱っている。欲望は理性を越え、やがてノアの血肉を貪るだろう。

 もしかすると、自分はイジドアの手にかかり、死ぬかも知れない。

 それでも、ノアはイジドアに生きてほしかった。


 ノアの涙が頬を濡らす。

 繊細な手が、漆黒の波打つ髪を撫でた。

「お願い、イジドア……」

 懇願するノアに、彼はようやく口を開く。


「それが、どういうことかわかっているのか?」

「貴方の中に僕が宿るのなら、それも本望だ」

 ノアの同意に、イジドアは牙を見せた。

 柔肌に犬歯を突き刺す。


 やがてノアの血液が牙を通り抜け、イジドアの体内に注がれる。

 ノアは悲痛の声を上げる。

 しかしそれも次第に快楽へと変わっていった。

 甘い喘ぎ声を放ち、まるでイジドアに抱かれた時のように達した。

 ノアの身体から力が抜けていく。


 ノアから奪った血液は霊力と一緒にイジドアによって取り込まれていく――。おかげで、少しずつではあるものの、ランバートから受けた傷は塞がっていった。

 ノアのすべてを欲する邪念が彼を襲う。

 ことごとく血液を抜き取り、そして自分は乾いた喉を潤す。


 彼の甘く香しい血液をすべて奪い、そしてその血肉を食したイジドアによって、ノアは消え去るのだ。


 イジドアは柔肌に突き立てた犬歯をさらに食い込ませた。


 ベルガモットの香りが、鼻孔から漂う。

 瞼の裏に写ったのは、アイスブルーの瞳をした、強気な青年だ。

 だが、今は違った。本来の勝ち気な彼の瞳は悲しみに揺れ、こちらを見ている。

 今にも消えてしまいそうな、儚い表情でイジドアに何かを訴えていた。


 その時だ。イジドアの中で異変が起こった。


 イジドアは微かな理性を呼び起こし、表に出てきた内なる狂気を抑え込む。

 彼は獣のように大きく唸り、柔肌を貫く牙を引っ込めた。



 彼はノアのすべてを飲み尽くさなかった。

 しかし、イジドアはノアの首筋を強く貫いてしまった。ウイルスは浸食し、やがて彼の中に宿るだろう。

 ノアを、自分と同じヴァンパイアにしてしまった。

 言い知れない罪悪感がイジドアを襲う。



「……俺も君を愛している」

 今ならわかる。イジドアがノアを守ろうとしたのは契約を交わしたからではない。心から彼を想っていたからだ。


 アイスブルーの目からは涙が生まれ、彼の頬を伝う。

 この涙は同族になってしまった悲しみのものとは違うと信じて、彼は真紅の唇に触れるような軽い口づけを落とし、今まさに殺されようとしているドミニクの間に割って入った。


 ドミニクを貫こうとしているランバートの刃を、イジドアの刃が止める。

 互いに拮抗する刃は譲らない。

 しかし、イジドアはランバートには勝てないことを知っていた。

 ノアの父親の力を完全に手に入れた彼の力は強すぎたのだ。

 いくらノアの霊力をいただいたからといっても、彼の霊力をすべて吸い尽くしたわけではない。

 生半可な力では彼に勝つことはできない。


 このままではドミニクも殺されてしまう。

 イジドアは歯を食いしばり、この危機的状況を打開する策を考える。


「何をしても無駄だ。私は闇を超越した。お前たちはただの操り人形でしかない。あの人間の霊力をすべていただけないのは惜しいが、それでもないよりはましだ。お前を始末した後にでも、残りの霊力をいただこう」


 ランバートの下卑た笑いが轟(とどろ)いたその時だ。サイモンがランバートの背後を狙った。

 今まで傷ひとつ負わなかった肉体が、刃を通す。サイモンが手にしていたのは、ドミニクのロングソードだ。

 彼はランバートの背後を突き、貫いた。

 サイモンが風穴を開けた箇所から鮮血が滴り落ちる。



 見向きもしていなかった存在からの一撃はたしかなダメージとなった。

 ランバートが怯んだその一瞬を狙い、イジドアの刃がランバートの身体を真っ二つに切り裂く。


 ランバートは金切り声を発し、やがて塵(ちり)になって消え去った。



 ――時期に夜が明ける。

 見上げれば、空が白じんできていた。

 そこにいる誰しもが静寂を破ることなく、ただ静かに口を閉ざす。



 イジドアは石畳に横たわる華奢な身体を横抱きにすると、その場を去った。





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