chapter:たったひとりの生存者V V ――それは過去。ノアには当然両親がいた。 住んでいた場所は車が盛んに通っている今の街ではなく、滅多に観光客などが来ない、ずっと山奥にある自然豊かな、名もない小さな村だった。 ノアの母親は村にひとつしかない小さな学校の教員で、父親は隣村で神父をしていた。強気な母親と、滅多なことでは怒らない優しい父親。 生活はけっして裕福とは言えなかったが、笑いの絶えないあたたかな家庭だった。だからノアは、この幸福が永遠に続くとばかり思い込んでいた。 だが、それは違った。 ノアが十歳の時、人間の姿をした獰猛なひとりのヴァンパイアがこの村に舞い降り、彼の思い込みを覆(くつがえ)す。 人間にも似た『それ』は村に住む人びとの命をことごとく奪い、ノアの父親と母親も手に掛けた。 家は焼かれ、跡形もなく灰になり、その日、小さな村は世界の地図から姿を消した。 しかし、ただひとり。その惨事で生き残った者がいた。それがノア・フィルスコットだ。 母親に守られ、村の生き残りとなったノアは、けれども親戚中をたらい回しにされた挙げ句、引き取り手もいなくなった。 ノアはヴァンパイアに襲撃された村の生き残りとして不気味に思われ、邪険にされていたのだ。 行き場を失い、途方に暮れていた時、ノアに手を差し伸べたのが電話の相手、モンタギュー・マーコリーだった。 彼はノアの父親と同じ教会で神父を務めていた人で、気の合う友人だった。 彼は天涯孤独となってしまったノアを不憫(ふびん)に思い、独り身ということもあって、まだ幼いノアを引き取り、育ててくれた。 しかし、彼がノアを引き取った理由は、ただ単にノアの父親と仲が良いというだけではなかった。 それは隠されていた父親の、もうひとつの顔。 モンタギューはエクソシスト――つまりは『悪魔狩り』で、ノアの父もまた、同じ穴の狢(むじな)だったのだ。 そしてさらに、ノアは父親の知られざる真実を知ることになる。 なんとノアの父親は悪魔やヴァンパイアが恐れるほどの強力な霊力を持っていたのだ。 ――すべては邪魔なエクソシストを阻止するため。 あの残忍なヴァンパイアは村を襲い、滅ぼした。 当時に起きた出来事を思い返せば激しい憎悪と恐怖が蘇ってくる。 耳を劈(つんざ)く人びとの悲鳴と、次々に殺されていく光景が頭から離れない。 ノアは高ぶった気持ちを落ち着かせるため、ふたたび深く息を吸い、吐いた。 「ノア、気持ちは良くわかる。だがね、過去のしがらみに囚われてはいけない。君のお父さんもお母さんも、それは望んでいないはずだ」 「わかっている。だけど僕にはまだ無理だ。目の前で父さんと母さんが殺され、何人もの人びとがヴァンパイアの犠牲になった。頭ではわかっていても、どうしようもないほどヴァンパイアを憎んでしまう衝動に駆られるんだ。伯父さんだって、この気持ち、よくわかるでしょう?」 ノアがそう言ったのは、モンタギューもまた、ヴァンパイアの犠牲者のひとりだったからだ。 彼は二十年前、心なきヴァンパイアの襲撃に遭い、妻を亡くした。 「僕はヴァンパイアを許さない。そのためにエクソシストになったんだから……」 「ノア……」 受話器越しから、モンタギューのため息が聞こえる。 どうやら彼はまだ、ノアがこの道に入ることに反対らしい。 だが、そうは言っていられない。というのも、ノアもまた、父親と同じ強力な霊力を受け継いでいたからだ。 ノアの能力が判明したのは十八歳の時だ。 それは、ノアが生まれて初めて悪魔を目にした瞬間でもあった。 背中には蝙蝠(こうもり)のような漆黒の翼を生やし、頭に角が二本ある。赤黒い肌をした悪魔はロウ・デーモンという低級悪魔で、その悪魔は幼い頃からノアが想像していたとおりの、おどろおどろしい姿をしていた。 目の前の悪魔がいくら低級であっても、悪魔には変わりない。常人が『それ』を倒すのは困難だ。 しかしノアは、習ってもいないのに霊力を使ってあっという間に『それ』を討ち滅ぼした。 ――モンタギューが望んでいなくとも、ノアにはエクソシストとしての血が受け継がれている。 だからモンタギューは、ノアのエクソシスト加入を許可せざるを得なかった。 そして今、ノアはエクソシストとして独り立ちを果たし、一人暮らしをしていた。 「それで? 伯父さんの用件は何? まさか今さら僕をエクソシストの一団から外すとかいうんじゃないんでしょう?」 ノアはモンタギューが自分のエクソシスト入りを快く思ってくれていないことを暗に責めた。 ――本当は、ノアだってモンタギューの気持ちを理解している。 ノアを十五年にも渡り、育ててくれたのは親でも親戚でもない。血の繋がりのない赤の他人、モンタギューだ。 ノアはモンタギューに言葉では言い尽くせないほどの恩義を感じているし、亡き両親と同じくらい、大切に思っている。 それはきっとモンタギューとて同じで、彼はノアを我が子同然のように思っているからこそ、命を粗末にしてほしくないという親心だということも知っている。 彼の気持ちは痛いほどよくわかっている。だが、やはりヴァンパイアを野放しにはできない。 自分が味わったあの苦しみを、こうしている間にも自分ではない誰かが経験しているかもしれないのだ。 幸い、ノアには強力な霊力が備わっている。 自分には人びとが脅威になる存在を討ち滅ぼす義務がある。 それに、両親の敵だって討ちたい。 この気持ちは時が経って薄れていくどころか、日に日に増すばかりだ。 「モンタギュー、僕は……」 ノアは自分の気持ちをモンタギューに伝えるため、口を開いた。 するとモンタギューは皆まで言うなと言わんばかりに、深いため息でノアの言葉を制した。彼だってノアの気持ちは痛いほど理解している。 だからこそ、ノアの独り立ちを許したのだから……。 「本部から依頼が来た。ノア・フィルスコット。早速だが準備をしてくれ」 モンタギューは静かに口を開いた。 |