chapter:メルヘンに恋して。 (四) アドレーが国へ帰ってから二シーズンが過ぎた。季節は秋から冬へ。そして春になった。 あれからなんとか営業の方も落ち着き、けっして順調とは言えないが、以前よりは余裕も出てきた……ように思う。 中根には気持ちに応えられないことを謝り、それ以来、まだ若干ぎこちないが、最近の関係は少しずつ元に戻りつつある。 しかし、アドレーに対する篤の気持ちに変化はない。彼のことを思い出すだけで、涙が込み上げてくる。 どうしてアドレーがいなくなる前に自分の気持ちを打ち明けなかったのか。 そればかりが悔やまれる。 アドレー――もとい、皇帝ペンギンのエンペンくんが売られていたおかしな店があった裏路地には、赤く色づきはじめていた緑の葉が薄花桜に代わり、美しく咲き乱れている。 今日は休日で、篤は久々に晴れたこの裏路地をひとり、散歩していた。 「久しぶりのいい天気だ……」 篤は両腕を伸ばし、たったひとり、枝枝に咲く華やかな桜たちを見上げていると、何やら灰色の雲が青空を覆いはじめている。 (あれ? 今日って、たしか天気予報では晴れだって言ってなかったっけ?) このところ雨ばかり降っていたが、今日は久しぶりの快晴だと、天気予報では言っていた。 しかしどうだろう。 こうしている間にも、みるみる内に灰色の雲が広がっていく……。 (あれ?) 篤は空を見上げたまま、首を傾げた。 何やら空の様子がおかしい。 そう思ったのは、この地域だけに灰色の雲が出現しているからだった。 いったい何だろう? 篤はただただ曇りはじめた空を見つめる……。 すると、ひらひらと真っ白なものが、広がった枝枝に咲き誇る桜の花びらと共に落ちてきた。 手を伸ばし、落ちてきたそれを掴もうとすると、それは篤の手に触れた瞬間、消え去る。 ――それは紛れもない雪だ。 今は春。けっして雪が降る季節ではない。 篤は瞬きを繰り返し、季節外れの雪が降っている中をひとり佇(たたず)んでいると、複雑な幾何学模様をした円形の青白く輝くものが突如として地面に現れた。 この光景は見たことがある。 たしか、アドレーの従者。クラウンが現れた時に見たものだ。 円形に光り輝くその大地の上では、誰かが立っている。 眩しくて良くは見えないが、そのシルエットは、波打つような髪に、すらりとした長い手足をしている。 篤は見知ったシルエットに胸を高鳴らせた。 ――いや、しかし。彼な筈がない。彼はきっと美しい妃を娶(めと)り、幸せに暮らしているだろうから……。 篤は期待に胸を膨らませないよう、自分に言い聞かせる。 そうすると、胸の痛みが酷くなる。 現実に打ちひしがれ、視線を落とす。 青白い光は次第に消え去り、黒のブーツが見えた。 「……篤」 自分の名を呼ぶ、聞いたことのあるテノールの声に、篤は肩を震わせる。 (ああ、大変だ。幻聴まで聞こえてきた) 軽快な足音が次第に大きくなる。 篤は恐る恐る、こちらへ近づいてくる人物を見上げた。 するとそこには、年の頃なら二十四前後。波打つ金髪の、青い目をした見目麗しい青年がいるではないか。 青年は篤と向き合うと、跪(ひざまず)いた。 これは夢だろうか。 アドレーを想うばかりの自分は今、白昼夢を見ているのかもしれない。 篤はごしごしと強く目を擦った。 すると篤の幻覚かもしれないアドレーの手が伸びてきて、篤の手が救われた。 手の甲に柔らかな感触がしたかと思ったら、薄い唇が離れる。 静かな空間に、リップ音だけが響いた。 「っつ、アドレー!? 本物っ?」 この感触は夢にしてはリアルすぎる。そう判断した篤の声は裏返っていた。 「本物とは? 俺の偽物でも現れたのか? まさか、まだ義母上の一派がっ!?」 驚く篤を見つめる彼の眉間に皺が寄る。そうかと思えば彼は突然腰に差していた剣を鞘から抜いた。 「うわああっ! 違う、そういう意味じゃなくって!! っていうか、義母上って? って、今はそんなことどうでもいい! 日本でそんな物騒なものを抜かないでくれっ!!」 とにかく、こんな場所ではアドレーの容姿はひと目につきすぎる。 篤は慌ててアドレーの手を引き、急いで自分の家に彼を招いた。 「あの、それでアドレーはいったいどうして戻って来たの?」 なぜこういう言葉しか出ないのだろう。 会いたくて仕方の無かったアドレーを前にして、素直になれない自分が恨めしい。 自分の不甲斐なさに視界が歪み、泣きそうになる。 「ああ、篤(あつし)。泣かないでくれ。俺は君を置いて黙って国に帰ってしまったんだ。君が怒るのも無理はないとは思うのだが……すまない」 (違う。怒ってなんかない) 言いたいことは山ほどあるものの、いざ本人を目の前にすると言葉が喉に引っかかって声に出せない。 篤は唇をへの字にしたまま、必死に首を横に振る。すると目から零れた涙が散った。 目尻を通り、止めどなく流れる涙はアドレーの指によって掬われる。 「すべては義母上の差し金だったんだ」 アドレーは言葉を噛みしめるように、ゆっくりとそう口にした。 彼の手の甲が篤の頬を撫でる。 篤はくすぐったさに首をすくめた。この場には不具合な甘い声が出そうになって、唇を噛みしめる。 すると頬を撫でていた手は下へと移動し、彼の親指が、引き結ばれている篤の唇をたしかめるようになぞった。 彼に触れられただけで、みぞおちが疼く。 心臓は大きく鼓動している。 そんな篤を尻目に、アドレーは話を続ける。 しかし篤を写す青い目は、先ほどまでなかった熱を帯びていた。 「実は、俺を縫いぐるみに変えろと一番はじめに提案したのは義母だったんだ。彼女は贅沢三昧をしたかったらしい。だから彼女は俺を国外に追いやり、義弟を次の王に迎えるよう画策した。だが、すべては篤を襲った暗殺者によって露見(ろけん)した。俺とクラウンは暗殺者を連れ帰り、義母上を国外に追放させた。君にもう危害は加えられない」 (えっ?) 「危害って、ちょっと待って!!」 篤はアドレーの胸板を押した。 この言い方ではまるで、自分を守るために国の混乱を抑えたと言っているようなものだ。 そこまでして篤のためにアドレーが動いたとは考えられなかった。 篤は耳を疑うばかりだ。 「アドレーは俺を守るために戻ったというの?」 「無論だ。それ以外に何がある?」 アドレーは眉間に深い皺を刻み、躊躇(ためら)いなく大きく頷(うなず)いてみせた。 「今はもう、国には平和が戻っている。跡目は義弟に譲ってきた。父上は毒を盛られていたらしいが、それも今は少しずつ回復している。父上とは和解してきた」 そこまでひと息に言うと、アドレーは篤の顎を捉え、持ち上げる。 彼の視線の先は、篤の唇だ。 「俺が国に戻ったのは篤を正式に花嫁とするため、父上の了承を得たかっただけだ」 「アドレー……」 アドレーは篤とは違い、身分もあって美しい容姿もある。わざわざ自分から花嫁を探さずとも相手方の方がやって来る。選り取り見取りだ。それにも関わらず、篤以外の人間には目も暮れない。 アドレーはこんなにも一途に自分を想い続けてくれていた。 篤はアドレーの想いの深さを知り、胸を打たれた。 嬉しすぎて涙が込み上げてくる。 「俺は王位には未練はない。向こうの世界に愛する人を残してきたから、すぐに戻ると父上や国の民たちに伝えた。俺がするべきことは、グラシオス・ラティオン国にはもうない。篤、俺は君を幸せにしたい。傍にいさせてはくれまいか?」 青い目がふたたび篤を写す。その目は揺るぎない一途なものだった。 ああ、アドレーはまだ自分のことを想ってくれている。 嬉しい気持ちで胸がいっぱいだ。 アドレーの気持ちを疑った自分が恥ずかしい。 「篤?」 「俺は……アドレーが好きなのに……追い返してしまったことをずっと後悔していたんだ。本当は、アドレーには国に帰ってほしくなかったんだ。ただ、王子のアドレーが、一般市民で、しかも男の俺をずっと好きでいてくれる自信がなかった。いつかアドレーに見限られるって思って、それが苦しかったんだ。だから俺は貴方を突き放してしまった……ごめんなさい」 好きな人を信じきれずにいる自分が情けない。申し訳ないその気持ちと、アドレーが変わらない想いを抱いてくれていることが嬉しいという気持ち。ふたつの気持ちが混合した涙が溢れる。 いつから自分はこんなに涙もろくなってしまったのだろう。 涙していると、突然篤の身体が傾き、ベッドに押し倒された。 「ああ、篤。君はなんて可愛らしいことを言ってくれるんだろう」 「えっ? あの、アドレー?」 狼狽(うろた)える篤を自らの腕で逃げられないよう檻を作ったアドレーは、静かに口を開いた。 「可愛らしい君が悪い」 アドレーの薄い唇が、篤の耳たぶに触れた。 篤の腰が跳ねる。 「っ、可愛くなんかっ!!」 「そんなことはない。君はとても可憐で美しい」 アドレーの唇が篤の耳朶をそっと甘噛みすると、首筋から鎖骨へと移動する。 「アドレー、俺、貴方が好きです」 アドレーが動くたび、腰が跳ねる。そん中、息も切れ切れに篤は唇を開き、思いの丈を告白した。 「ああ、篤。天にも昇る気持ちとはこういうことを言うのだな」 アドレーの手が下着をくぐり抜ける。 そうすると、どうやっても日焼けできない色白な上半身があらわになる。彼はツンと尖った乳首を捉えた。 それから乳首のひとつずつに唇を落とす。 「っふ……」 篤の唇からは悩ましい声が漏れた。 「美しいふたつの蕾はまるで薔薇の蕾だ。ここは相変わらず敏感で可愛らしい」 アドレーは嬉しそうに篤の乳首を褒め称えると、片方を指で、もう片方を唇で摘み取った。 「っふ、ああ……アドレー……」 触れられた乳首からは痺れるような疼きが生まれ、それはやがて下肢へと集中する。 篤の陰茎はすっかり起き上がり、デニムを押し上げている。そして円状に生地を濡らしていた。 乳首だけじゃなくて、一物にも触れてほしい。 篤の願望は、しかしアドレーはきちんと理解してくれていた。 「判っている。愛おしい花嫁」 アドレーは頷き、下肢へと向かう。 やがて彼の唇がみぞおちに辿り着いた時、篤の腰から下着ごとデニムパンツが抜き取られた。 太腿の間にある濡れそぼった陰茎があらわになる。 言葉責めなんて酷い。 そう思うものの、けれど篤はたしかにアドレーの言葉が好きだった。 アドレーは篤の太腿を開かせると、一物に唇を這わせる。 亀頭から根元へ。そして裏へと移動し、そこをそっと食む。 その下にある陰嚢を揉まれれば、亀頭からは先走りの蜜が流れる。 「まるで湧き水のようだ。瑞々しく潤っている」 「やっ、アドレ……」 (恥ずかしい!!) 羞恥に苛まれた篤は首を振る。快楽に溺れているおかげで頬は紅色に染まり、目には涙が溜まっている。 いやいやを繰り返すその姿が男心をくすぐることを、篤は知らない。 「なぜ? これほどまで美しいのに……」 アドレーは濡れそぼった陰茎をうっとりと見つめると、潤っている亀頭から根元まで一気に口に含んだ。 「っひ!!」 恐ろしい熱が篤を襲う。 「やっ、イくっ!!」 篤の目からは大きな涙の粒がこぼれ落ちる。 頃合いだと見計らったアドレーは、喉の奥まで口淫した陰茎を思いきり吸った。 「っあ、だめっ、あどれっ!!」 篤は身体を弓なりに反らし、アドレーの魅惑的な口内で勢いよく吐精した。 篤が放った精をアドレーが飲み下す音が聞こえた。 「美しい……」 篤は仰向けになったまま、力なく横たわっている。 それを良いことに、アドレーは篤の後孔へと辿り着いた。舌の出し入れをして内壁を潤す。 「あ、ああ……」 舌先が入っただけだというのに、異物感がある。 指を挿れられ、ゆっくりと内壁を解していく。 アドレーと離れてから抱かれなくなって七ヶ月。いくら先ほど果てたからとはいえ、身体はすっかりアドレーの指を忘れ去っている。篤の引き締まった内壁は異物を咥え込み、痛みを訴える。 「力を抜いて。君を壊したくはない」 「できなっ! あっ!!」 篤の中で指が動くたび、強い痛みが襲う。 そんな篤を見たアドレーはやや唸り声を上げ、何やら考えている様子だ。 そして彼はひとつ頷き、空いている片方の指を鳴らした。 すると突然、頭上から絶えず花びらが落ちてくる。 薄桃色のそれは、先ほど篤が見つめていた桜だ。 「アドレー?」 「先ほど、とても愛おしそうに見つめていただろう?」 ほんの些細なことでも、篤の行動を見てくれている。 そう思うと、身体から余分な力が抜け落ちていく……。 視界の先には桜の花びらと、そして見目麗しい王子がいる。 篤はその光景に見惚れ、唇からは悩ましげなため息を漏らした。 篤の内壁が緩んだ隙を狙ったアドレーは、ある一点を擦った。 「っひ、あっ、アドレー!!」 悲鳴は嬌声へと変化し、快楽が篤を襲う。 篤は腰を揺らし、その先を強請った。 「可愛い篤。そう、そのまま俺の愛撫を感じて……」 アドレーの指が引き抜かれたかと思ったら、次の瞬間、指よりもずっと太く、そして焼けるような熱をもつものが後孔に挿入(はい)り込んできた。 それはおそらく、アドレーの一物に違いない。 篤は足を大きく広げ、アドレーを迎え入れる。 それでもやはり、アドレーの陰茎は篤よりも雄々しい。 内壁を掻き分け、挿し入ってくる楔に貫かれる感覚は、まるで焼かれるような熱を感じさせる。 「あ、っぐぅ……アドレーの、おっきい……」 アドレーは、篤に負担をかけさせまいと、あらわになっている肌のあらゆる箇所に口づけを落とした。 目尻から溢れた涙が伝う。 内壁を掻き分け、アドレーが最奥へと辿り着くと、篤の腰が浮かされた。 「篤、挿入ったよ」 腰が浮いたおかげで篤の視界からアドレーと繋がった箇所が見える。 「ああっ!!」 その光景に感じた篤の内壁がアドレーを締めつける。 いっそう強いアドレーの楔を感じ、篤は陰茎から勢いよく今日二度目の精を吐き出した。 そしてアドレーもまた、篤の締めつけに耐えられず、最奥に愛液を注ぎ込む。 篤は体内に注がれるアドレーの熱を一身に浴びた。 幸福感で満たされた今、怖いものは何もないと言いきれる。 ベッドの上で横たわるふたりからは、荒々しい呼吸だけが吐き出される。 桜の花びらが舞い散る幻想的な世界で、篤はアドレーの力強い腕に包まれ、意識を手放した。 ―最終章・完― |