メルヘンに恋して。
第一章





chapter:運命の出逢い




(一)



 道路脇の花壇に植えられている秋桜(こすもす)が、どこからか吹くそよ風に当たり、寂しい音を立て、揺れている。

 高い空にある夕焼けは少しずつ朱を失い、夜の帳が降りてくる頃、朝はきちんとアイロン掛けをして出勤したにもかかわらず、すっかりくたびれてしまったグレーのスーツを身に纏(まと)った、桐野 篤(きりの あつし)は、重い足取りで、帰路をたどる。

 ……今日もダメだった。

 自分の無能さにことごとく打ちのめされ、大きなため息をついた。

 篤は、電化製品の営業部を担当している。量販店を訪問し、自社商品を売るという、重大な任務を課せられていた。

 今日も一日中足を使い、様々な量販店を訪問した。しかし、結果は篤の頑張りに付いてこず、なかなか売れない。

 それというのも、篤は商品についての説明が下手で、社交辞令も苦手だった。
 けれど、『口下手』がすべての原因かと言えば、実はそうではない。売れない要因は、他にもあった。

 篤は、幼い頃に母を亡くし、父親と二人暮らしをしていた。そのため、家事全般はお手の物で、縫い物だって自分でできる。

 ――のだが、中身は必ずしも外見と同じだとは限らない。

 篤の容姿ときたら、最悪だった。

 けっして睨んでいるというわけでもなく、垂れ目なのに目付きが悪い。そう見えるのも、すべては目の下に隙間無くびっしりと生えている睫毛のせいだ。そのおかげで、目の下に隈があるように見え、目付きが悪い印象を与えるのだ。

 それに加えて、体格にも問題があった。

 本人がどれだけジムで汗を流し、身体を鍛えようとも、筋肉は付かず、ひょろっとした軟弱な身体のままだった。さらに輪をかけて、百八十センチも身長があるから余計に質が悪い。

 愛想良く振る舞おうと微笑めば、そのぶんだけ怖がられ、ただ立っていると、邪魔だと言われがち。

 おかげで、量販店との電話でのアポイントメントを取ることができても、その先がうまくいかないことがほとんどだった。

 これでは、営業部が勤まらない。大学を卒業してから、今の会社に勤めて三年。まったく進歩がない自分にほとほと呆れる。

 篤はもう一度深いため息をつき、肩を落とした。

 すっかり自信を失った篤は、いつもと同じ帰路に付く気にもなれず、人通りの少ない裏通りを選んだ。

 大学に進学するにあたって、実家から引っ越してきて七年にもなる。もうすっかりこの道も知っている。――筈、だった。

 けれど、今日はどこかいつもとは違う。

 静かな坂道と、畑ばかりが目立つ小道。それは変わらないのだが、どこかが違う。

 篤は首を傾げながらも、人気のない道を進んでいく。

 すると、一軒の、こぢんまりとした古風な店が目に入った。
 古風と言えば響きは良いが、何十年も前からずっとある、随分と古ぼけた雰囲気のする店だった。

 ふと見上げると、看板には、『doll』と書かれた文字が見えた。
 この店、どうやら人形専門店らしい。

(あれ? こんなところにショップなんてあったっけ?)

 篤は首を傾げる。

 実は、篤は大が付くほど可愛い物好きで、幼い頃から、人形やら縫いぐるみに目がなかった。

 子供の頃は、まだ許されていた趣味だが、まさか二十四にもなって人形やら縫いぐるみやらを軽々しく持ち歩くような根性は持っていない。

 青年になってからというもの、テレビや雑誌などで見るだけで、手元に置くことを我慢して過ごしていた。

 しかし、それも今日は、よほど仕事でダメージをくらっているらしい。どうにもこの店が気になって仕方がなかった。

 とにかく、自分を癒してくれる可愛いものがほしかったのだ。

 篤の足は、自分の意図に反して、欲望のままに進む。

 ドアノブを回し、軋みを上げる音と同時に中へ入ると、外装から予想していた通り、すぐにかび臭い匂いが鼻をついた。

 けれど、店内は、外からの見た目ほど、不思議と狭く感じない。壁に沿って棚が配置されており、骨董品と思しきあらゆる外国の人形から、猫や犬などの愛らしい縫いぐるみなどが所狭しと並んでいる。

 品数は、さすが、『doll』と看板を掲げているだけのことはある。そこら辺にあるホビー店よりもむしろ、充実しているように思えた。

「いらっしゃい」

「うわあっ!!」

「驚かせてしまったかねぇ、すまなかったね」

 突然、背後から嗄(しわが)れた声で話しかけられ、篤はみっともなく大声を出して驚いた。

 振り向けば、そこには、篤の肩までくらいの高さしかない、白髪を後ろで団子結びにしている老婆が立っていた。

 服は、どこか異国のものだろうか、日本ではあまり見ない、深い緑のドレスを身に着けている。

「何かお探しだね。この人形なんてどうだい? 彼女がいない、特殊な趣味をしたお客様には、癒されること間違いなしだと思うよ?」

 老婆は大きな目を細め、品定めでもするかのように篤を見ると、ひとつの棚から、何やら人形を持ち出してきた。

 彼女の手には、男の子タイプだろう。腰まである金色の髪と短いローブが特徴的なヨーロッパ風の、可愛いドールがあった。

(どうして俺が、彼女がいないってバレたんだ? しかも、『特殊』って……まさか俺の性癖がバレてる?)

 老婆の言葉に、篤は驚きを隠せない。

 篤が驚いたのには理由があった。

 実は、篤は他人には言えない性癖を持っていたのである。

 自分が生まれてこの方、女性を好きになったことはなかった。

 そして気がつけば、いつも同性に惹かれていた。

 過去は自分の性癖について思い悩んだ時もあった。けれども一度割り切ってしまえば、もう何も怖くない。

 それに、ゲイは日本でもそれなりにいることも知っている。

 しかし、自分は奥手で、しかも特別、美男子でもなければ、これといってずば抜けた能力も、人様から褒められるような趣味も持ちあわせていない。外見が良くないことは、もう十分理解していた。

 だから自分は一生このままで、隠れゲイとして生きていくのだと、そう思った。

 悲しい人生だが、こればかりは誰にもどうすることはできない。

 篤は、自分の性癖について知られてしまったかもしれないことに冷や汗を流し、居心地が悪くなって老婆から視線を外せば、ある棚が目に入った。

「あ、あれは、皇帝ペンギンですか?」

 篤の、視線のそこに、等身大はあるだろう、ペンギンの大きな縫いぐるみがあった。

 でっぷりとした体つきに、つぶらな瞳。

 本来、皇帝ペンギンとはすらりとしているものだ。あれはどう見ても皇帝ペンギンぽくはない。

 それでも皇帝ペンギンかもしれないと思ったのは、くちばしの下にある喉の部分が黄色をしていて、後ろに繋がっていたからだ。

「ほう、お客様はお目が高いねぇ。あれは、ある王家から譲り受けた品なのじゃよ」

 篤の問いに、老婆は目を細め、黄ばんだ歯を見せて笑う。
 老婆は、どこか不気味な雰囲気を漂わせているが、今はもう、そんなことはどうでもいい。縫いぐるみに一目惚れをした。

 とにかく、皇帝ペンギンの縫いぐるみがほしくて仕方がないのだ。

 縫いぐるみに近づき、穴があくほど見つめると、なんとも愛らしい顔立ちをしている。

 グレーのボディーは凛々しく、小さくてつぶらな目は光沢がある。それに、黄色いくちばしはふっくらしていて、人間の唇のようだ。

「あの……これ、おいくらですか?」

 ひと目見て気に入った篤は、棚から皇帝ペンギンの縫いぐるみを手にすると、老婆に訊(たず)ねた。

 なるほど、王家からというのはまんざら嘘でもないだろう。

 縫いぐるみの毛並みは綺麗だし、色合いも鮮やかでなかなか美しい。手触りだってシルクのように滑(なめ)らかだ。

 王家からの物だとすると、さぞや高い品に違いない。

 これから告げられるだろう金額に、緊張のあまり、口内に溜まった唾を飲み込んだ。

 しかし、どんな金額であっても、篤はこの縫いぐるみが気に入っている。

 生憎、今の手持ちはそこまでない。

 古風な店だし、クレジットカードは使えるだろうか。

 なんとしてもこの縫いぐるみを手に入れたい。

 篤は切に思っていた。

 それは今まで、何かをこんなに欲したことがなかった篤にとって、自分でも不思議だった。

 その反面、これだけ精巧に作られたものなのだ。欲するのも無理はないと、思い直す。

 果たして老婆から告げられる金額はいくらなのか。

 篤は、緊張の面持ちで老婆の言葉を待つ。

「この商品がお気に召したのかい? これはなかなか……いやしかし、なるほどねぇ。自分に自信がないお前さんにはぴったりの相手かもしれないね」

 どうにも金額が気になって仕方がない篤に、老婆は小さく頷き、何やら意味のわからないことを呟いた。

「七千円でどうだい?」

「え? そんなに安くて大丈夫なんですか?」

 どんな商品だって、この大きさだ。ホビー店で買ったとしても、一万円はする代物だと思う。

 しかも、王族から譲り受けた品となっては、いくら人形に素人だといっても、これは破格の値段だということはすぐにわかる。

「かまわないさ。お客様にはこの子が必要だろうて。此(これ)もお客様を気に入っておるし……」

 またもや意味のわからないことを告げられたものの、篤にとってはもうそんなことはどうだっていい。

 とにかく、老婆が言うとおり、今は癒しがほしかった。

 それも、うんと高貴で可愛らしい、縫いぐるみという癒しが。

 篤は迷うことなく老婆に金額を支払い、皇帝ペンギンの縫いぐるみを無事、手に入れることができた。

 斯(か)くして篤は、店に立ち寄る前とは打って変わって、上機嫌で家に帰ったのだった。


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