chapter:君の名前は……。 (二) 篤(あつし)はこれまで、自分の家に縫いぐるみがあることに抵抗を感じていた。 しかし今は、そんなことも考えられないほど、浮かれ気分で皇帝ペンギンを家に持ち帰った。 浮き立つ気持ちのまま食事をすませ、風呂も入り、子供の頃に戻ったかのような気持ちで、皇帝ペンギンの縫いぐるみを抱えてベッドに潜り込む。 「君はなんて可愛いんだ!」 帰宅してからこれで何度目だろうか。 篤は、縫いぐるみを愛でることを止めない。大の大人が縫いぐるみに頬ずりをする。 「名前を決めよう。えっと、皇帝ペンギンだから、名前は……エンペラーの、『エン』で、ペンギンの、『ペン』を取って、『エンペンくん』にしよう! 君は今日からエンペンくんだ。俺は篤だよ」 縫いぐるみの名前を付け、篤自らも名を名乗ると、エンペンくんのつぶらな目が、どこか輝きを増した気がした。 それはきっと、自分があまりにも舞い上がっているせいに違いない。 篤は勢いよくエンペンくんに抱きついた。 「好きだ、君は俺の癒しだっ!!」 腕の中にいる縫いぐるみのエンペンくんに思いの丈を告白すると、くちばしのところに唇を落とす。 睡魔がやって来るまでの時間、篤はエンペンくんと戯れ、楽しい時間を堪能した。 ――深い闇が広がる。 どうやら自分はいつの間にか眠ってしまったらしい。篤はおかしな夢を見ていた。 自分が見ている世界が夢だと思ったのは、抱いていた筈のエンペンくんがおらず、代わりに、金髪の青年がいたからだ。 年は自分と同じか、少し上くらいだろう。目の前の青年には見覚えがない。しかもアメリカかイギリスに住んでいそうな外人だった。 彼の容姿は、二重の透き通った青い目に、肩まである波打つ金髪。高い鼻梁。頑固そうな尖った顎。 無駄な肉付きがない、洗練された身体。 彼は、一糸も纏(まと)わぬ、生まれたままの姿で隣にいた。 そして自分もまた、貧相な身体を披露している。 「篤」 てっきり外国人だと思っていたのに、薄い唇から放たれる言葉は流暢(りゅうちょう)な日本語だ。 心地よい低音が、篤の耳をくすぐる。 目の前にある美しい顔に見惚れていると、唇が塞がれた。 見たこともない美青年と、キスをしている。 そう実感すれば、自分は、けっして誰ともこういう対象にならないと思っていた諦めの感情が崩れ去る。 これは夢だ。 夢ならば、自分の好きにすればいい。 だから、別にこうなってもいいのだと、背徳感を感じている自分に言い聞かせ、自ら身体を開いた。 篤は、象牙色の肌をした鋼のようなたくましい腰に、両足を巻き付け口づけを強請る。 美青年は、やはり篤の願望から生まれたものだからだろう。篤の思い通りに動き、ふたたび甘い口づけを落とした。 息苦しくなって口を開けると、そこからねっとりとした滑らかな舌が忍び込む。 美青年は、篤の口内を我が物顔で蹂躙し、上顎から歯列をなぞると、下顎を通り、篤の舌を絡めった。 「ん、んぅ……」 漏れるのは、甘い嬌声。そして、淫猥な水音だ。 美青年がもたらす快楽で、下腹部が疼く。 篤の陰茎はキスだけでも身をもたげはじめているのがわかった。 篤はこれまで、好みの男性はいたとしても、自分の容姿がこんなだからと、想いは告げることなく過ごしていた。 もちろん、セックスは未経験だ。 だからまさか夢の中でこんな経験ができるとは思いもしなかった。 この夢は、自分の深層心理が生み出した欲望の世界なのかもしれない。 だったらこの際だ。自分でも経験したことがないものを、もっと堪能したい。しかも相手は希に見る美形だ。もしかすると、この機会を逃せば、もうこんな夢は二度と見ることがないかもしれない。 篤の手が、美青年の広い背中に回る。 一層深くなる口づけに身を委ね、篤も自ら舌を絡めて美青年を誘惑する。 美青年はくぐもった声を上げ、絡めた舌を外すと、篤の口角に口づけを落とした。 ゆっくり、けれど確実に、美青年の唇が降りていく……。 喉仏を通り、鎖骨を食む。 痛みを感じたのは、きっと美青年が鎖骨にキスの痕を付けたからだろう。 痛みまで鮮明な夢なんて今まで見たことがあっただろうか。 「……っふ」 気持ちが高ぶっているおかげで、唇からはふたたび甘い声が漏れた。 「この乳首は桜の花弁のようだな。実に可愛らしい」 美青年は篤を讃えると、乳首に唇を落とし、ざらついた舌で舐め取るようにして掬う。 片方の胸もまた、骨張った指に摘まれた。 「っひ、あっ!」 「胸も感じるのか。尖っている……」 片方の乳首は甘噛みした歯の隙間から覗く舌で転がされ、突かれる。 もう片方は、指の腹で転がされ、あるいは摘まれる。 そのたびに、篤は喘ぐ。腰が跳ね、ベッドのスプリングが軋みを上げた。 「あっ、あっ!」 「乳首が赤く色づいてきた。君はなんと美しいのだろう」 しゃぶられていた乳首から唇が離れたかと思うと、片方も同じようにして唇で愛撫される。 「んっ、もうっ、俺……」 篤が催促すると、空いている片方の手が、反り上がりはじめた陰茎を包み込んだ。 他人に自分の一物が触れられることなんて考えたこともなく、驚きを隠せない。 「あ、やっ、うそっ!?」 「アドレー、そう呼んではくれまいか?」 耳元で告げられ、耳孔に甘い吐息が入る。 身体中に、熱が駆け巡った。 「あ、どれ……い」 羞恥からか、それとも、美青年が与えてくれる快楽に期待しているからなのか。高鳴る胸のおかげで、声が震えてしまう。 回らない呂律(ろれつ)のまま名を呼べば、ふっと笑う、彼の息がくすぐったい。 篤の身体が小さく震えた。 先端から根本へ、そして裏へと移る陰茎を弄る指は、絶妙な力の入れ具合で、篤の快楽を刺激する。 次第に放たれる水音に、恥ずかしいと思いながらも、快楽には従順に染まっていく……。 「あっ、っは……んぁっ!!」 「可愛い声だ。もっと鳴き声を聞かせて……可憐な君」 感情も高ぶってしまった篤は、もう達してしまうと思った。 けれど思い通りにはいかない。今まで乳首を弄っていた彼の手が篤の陰茎を包み、陰茎を包んでいた手が、篤の後ろに回った。 彼が目指すのは、篤の後孔だ。 「やっ、嘘っ!!」 「今でなくともいい。ここで、俺を受け止めてほしい」 「んっ!」 篤だって、同性とセックスをするというのは、どこを使うのかぐらいは知っている。 同性との性行為には、後ろを使うしかない。 自分がゲイだと知った当時、興味があって調べたりもした。 だが、残念なことに、篤は見目麗しいわけでもない。 身の程を知っている分、同性にセックスを求められるわけがないと思っていた。 自分の夢の中とはいえ、考えられなかった出来事でもある。 心の準備さえもしていないそこに、骨張ったアドレーの指が入っていく。 「あっ、っひ、ああっ!!」 いくら篤が流した先走りの滑りがあるからといって、初めての行為だ。骨張った指が、後孔に簡単に入るわけもなく、痛みが伴う。 「ひっ、痛い、いたっ!!」 慣れない後孔に指を挿し込まれ、奥へと進むごとに、メリメリと肉が引き裂かれるような残酷な音が聞こえてくる。 首を振り、止めてくれるように懇願する。 しかし、美青年は篤の願いを聞き入れることはない。それよりも先にと、指を挿し入れ、内壁を弄る。 逃げたくとも、片方の手には陰茎が包まれている。逃げられない。 後ろは痛みを発しているのに、前はちゃっかり快楽を感じている。 これでは、どうしていいのかわからない。 「いやっ、いたっ! あっ、ああんっ!!」 痛みを訴える悲鳴と、それだけではない、甘い嬌声が放たれる。 永遠にこの苦痛が自分を襲うのかと篤は思ったが、しかし、それは少しずつ。けれども篤の中で、何かが変化していった。 そして、アドレーが、内壁の、ある一点に触れた時だった。これまでとは違う、強い刺激が身体中を駆けた。 「っひ、ああんっ!!」 貧弱な身体が、弓なりに反れる。 「ここだな」 アドレーはそう言うと、そこばかりを執拗に擦りはじめた。 先走りを帯びた指がそこを擦るたび、淫猥な水音と内壁が開閉を繰り返す音が聞こえる。 どうしようもない快楽が、篤を襲う。 「あっ、あっ、あっ! や、そこ、擦っちゃっ!!」 「可愛い、俺の篤。俺の指がそんなに美味いか? もっと食べさせてやろう」 言葉攻めなんて酷い。 アドレーが言うと、余計に後孔が気になって、締め付けが強くなるではないか。 篤は快楽の涙を目に浮かべ、いやいやを繰り返す。 「頬を赤らめ、涙ぐむ顔も、実に愛らしい」 アドレーは指を三本に増やし、何度も執拗に擦る。 強烈な疼きが、篤を攻める。 「いやあっ、だめっ! イく、イくっ!!」 「達すればよい。可愛いぞ、篤」 薄い唇が、ふたたび喘ぐ篤の口を塞ぐ。 「んんんんうううううっ!!」 後ろと前、双方からの愛撫に耐えきれなくなった篤は、口づけられたまま、とうとう果てた。 意識が拡散する。 「どれほどの間、待ち続けていたことか。お前は俺の恩人だ……」 アドレーの低音が、沈みゆく意識の中で静かに響いた。 |