裏切りは艶麗な側近への狂詩曲-ラプソディー-

第一章





chapter:遊び人と堅物




 (一)



 外壁は崩され、家々は破損し、木々が燃えていく……。村という姿形すら消えかけているそこでは血に染まり、泥まみれになって逃げ惑う人びとの泣き叫ぶ悲愴な声と、殺せと言う罵声が覆う。

 逃げ惑う村人を追うのは、十にも満たない数の巨大な悪魔――ジルグだ。剥き出しになった灰色の皮膚。でっぷりとした腹と、大きな口から飛び出す鋭い二本の牙。そしてその巨体に見合った武器は鎖で繋がれた鋭く尖った円形の鉄の重り。村人はことごとくその重りに押し潰され、命の灯火を消されていく……。

 数百はいた村人たちは今やその半分以下にも減り、男も、女も、幼子も、老人も――。勝機のない地獄の惨劇の中を懸命に生き長らえようと逃げ続ける。

 深い絶望。混沌とした闇。

 彼らはまさにその真っ直中にいた。

 しかし、それはほんの数分前の出来事だ。突如として馬の蹄(ひづめ)が鳴り響いたかと思うと、男たちの雄々しい声が重苦しい悲惨な光景を掻き消した。

 銀の鎧に身を包んだ彼らは、手にした槍、あるいは剣を持ち、好き勝手に暴れ回るそれらをことごとく貫き、葬り去る。


「我はフェイニア国王子キアラン。この地はこれより我らが制圧する」

 朱の布地に金糸であつらえた太陽の下で雄々しく吠える獅子の旗を掲げ、彼は声高らかにそう宣言した。

 年の頃なら二十半ばほど。美しいエメラルドの瞳はエルフ族特有の遙か遠くまで見渡すことができ、尖った耳は優れた聴覚を持ち得ている。そして王家から代々受け継がれている月の輝きにも似た流れるような艶やかな金の髪をたなびかせ、一切の迷いがない剣を振るう。白馬で駆ける彼はまるで天使のごとく美しく雄々しい。

 角笛が空気を振動させ、馬が駆け抜ける。砂埃が舞い、矢が飛び交う。剣がうねりを上げ、人びとの歓声が周囲を包む。


 彼らの剣が切り裂くごとに、周囲にあった重苦しい空気が消えていく。悪魔は耳を劈く声を上げる。大地に倒れた巨体はもう二度と起き上がることはない。

 ほどなくして周囲からは悲鳴が消え、静けさが取り戻された。





 静寂が宿る中、銀の鎧を脱いだ兵士たちはテントを連ねたその前に火を囲み、勝利の美酒に酔いしれていた。明るい歌声が星空の下に流れる。

 キアランはその中で薄い唇を閉ざし、淀みのない澄んだエメラルドの瞳を虚ろな眼差しで目の前で煌々と燃える炎を見つめていた。


「キアラン、彼が貴方に話があるそうだよ」

 青年がグラス片手に彼の隣に立つと口火を切った。青年はキアランの親衛隊を担っている、キアランがもっとも信頼を置いている兵士だ。彼の後ろには村の長老だろう。丸まった背を撫でながら、キアランに恭しく一礼した。


「ジュリウス。珍しいな、お前が女を連れていないとは……」

 キアランは彼の後ろにいる人物が女性ではないことに気づき、薄い唇を歪ませ、笑みを作った。彼が皮肉そうにそう言ったのは、彼は茶色いうねった髪と二重の愛らしい目をした美貌を持ち、それを武器に女性を口説くのが趣味というおかしな性格の持ち主だったからだ。

「俺にしてみれば、フェイニア国でもかなり美形とも言われているその容姿でニンフたちと戯れたことのない貴方の気が知れないね」

 ジュリウスは首を左右に振って堅物なキアランに言い返した。ジュリウスにとって、女性を口説く行為は教会で祈るのと同じくらい神聖なものなのだ。

 だがこのジュリウス。少々口が軽いのは玉に瑕ではあるが剣の腕はフェイニア国ではキアランに次ぐ二番目の強者である。

 キアランは肩を窄めた。

「私に何か話したいことがおありのようですね」

 キアランは長老に訊(たず)ねた。

「私たちはこの村よりもさらに東にある大きな街に住んでいた者です。実は、先の村を襲ったジルグとは別の魔族から逃げてきたのです。奴らはジルグとは比べものにならないほど凶悪で、たった一夜にして街を滅ぼしました。私の娘や婿も奴らの手にかかりました。私たちは奴らの目をくらまし、地下からなんとか逃げ遂せることができましたが、しかしおそらく、奴らは私どもが使った逃げ道を見つけ、時期に我々を追いかけてくるでしょう。私たちは心配で夜も眠れません。……王子、どうか私たちをお救いください」

 長老は窪んだ目に涙を浮かべ、嗚咽を漏らしながら訴えた。そうしてふたたび一礼した後、焼けた家の代わりにキアランが与えたテントの中へと戻った。



 目の前では勢いよく燃える炎がパチパチと音を立て、燃える破片が空気中に舞う。


「キアラン、先の話をどう思う? ジルグでも厄介な相手なのに、それとは違う魔族というのが気になるな」

「日に日に闇の勢力が増している……俺たち光のエルフにとって、魔族は対になる存在だ。相手の動きとどういう軍勢が存在するのか確かめる必要がある」

 キアランは手にしたグラスの中にある残り少なくなったワインをひと息に飲み干した。

 歯を食いしばり、この世が日に日に闇へと染まっていることを噛みしめる。

 口内には甘い葡萄の香りは消え、苦いものが溜まる。

 どうやら今日も心地好い酔いはやって来ないらしい。


「それで、どうするつもりだ? このまま引き下がるようなお前でもないだろう?」

「無論だ。父上には知らせを出し、兵を二手に分ける。一方はこの村の民をフェイニア国へ送り届け、残りの兵士は俺と共に明日、東へ向かう」

「……まあ、そうなるだろうな」

 ジュリウスはキアランの言葉を聞くと深く頷いた。


「ジュリウス、お前はどうする? 村の民と共に先に帰還するか?」

「まさか何年の付き合いだと思っているんだ。こうなったらとことんまで付き合うさ」

 ジュリウスとキアランは、ジュリウスが一般兵から親衛隊隊長に昇格した頃からの付き合いだ。もう十年以にもなる。王子の、この恐ろしい行動力はほとほと呆れる。しかし、彼のその性格で救われた命は数多くあるのもたしかだった。

 キアランという男はひとたび自分がこうと決めたら意志を曲げない堅物だ。

 ジュリウスは肩を窄め、諦めにも似たため息と共に決意を口にした。


「感謝する」

 キアランは顔を上げ、頭上に広がる瞬く星々を見据え、静かに告げた。


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