寝覚めはおはようのキスから
第一話 -保村 龍也の恋愛事情- 





chapter:◇槇が可愛すぎる件◇




 ◇



 俺ん家から槇 宙太(まき そらた)の家までは徒歩五分ほど。椿高校の途中にある。

 槇の家は一軒家で赤い屋根瓦が目印や。時間は八時十分前。俺はいつものようにインターホンを鳴らす。そしたら聞こえるんは女の人の明るい声や。

 この声の人は、槇のお母さん。白い肌に顔の真ん中にちょこんと乗った小さい鼻。黒い髪に大きな目が印象的なその人は槇そっくりや。やっぱり槇は母親似なんやなって、おかしなところで納得してまう。

「龍也(りゅうや)くん、ほんまごめんね、いっつもいっつも」

「いえ、俺も好きでやってるだけなんで。失礼します」


 俺は困ったように笑う槇のお母さんに小さく首を振って軽くお辞儀してから、槇がいる二階の部屋に向かう。俺の足取りが急ぎ足になるんはしゃーない。一刻も早う槇に会いたいんや。



 いつものように廊下から槇の部屋を隔てたドアを三回ノックしてノブを回せばすぐに開く。鍵がかかってへんのはただの閉め忘れか。それとも俺がこうして毎朝やって来ることを見越してなんか。

 ……鍵、かかってへんのは俺が来ることを見越してのことやったら嬉しいけど……まあ、槇はしっかりしてるように見えて結構な面倒くさがりや。まず有り得へんやろな。

 苦笑を漏らしながらドアを開けると、そこには六畳の部屋がある。シングルベッドの上にいるんは槇や。

 華奢な身体を毛布にくるめてミノムシみたいや。毛布から顔がひょっこり出てる。近づいてみるとはっきりわかるんは長い睫毛。それがカーテンみたいに下りている。日焼け知らずの白い肌に小さい鼻。

 ああ、やっぱり槇は可愛ええ。

「槇、朝やで。学校遅刻するから早う起きい」

 そっと囁いても全然起きへん。寝てる姿も可愛いなんて反則や。俺を試してるとしか思われへん。いくら俺が毎日こうして迎えに来てるとはいえ、少しくらいは警戒してもらわんと、槇に惚れてる俺としてはプライドっちゅうもんがあるわけで……。

 せやから俺は槇を困らせてやりたくなる。身を乗り出せば見えるんは、うっすらと開いている唇や。キスしたい。槇の息を俺の唇で感じたい。……って、あかん。俺、朝から変態やん。

 槇を困らせたいのに俺が困ってまうわ。

 頭を振って生まれ出たおかしな考えを振り切る。


「槇、起きいや?」

 槇は耳が弱点なんはもう既に知ってる。耳孔に息を吹きかけるようにしてぼそっと耳元で囁いてみる。


「っひあっ!!」

 そしたら槇は可愛らしい声を上げて直ぐさまベッドから飛び上がった。

 槇がいるそこはドアの前。短時間であっという間に移動したその俊敏(しゅんびん)さには毎度のこと感心する。


 いっつも思うんやけど、槇の耳に息を吹きかけて起こすのは毎度のことやん。態勢ができてもおかしないのに、そないにびっくりするもんなんやろか。

 槇は慌ててドアまで移動したからやろう、真っ白なパジャマがめくれて丸みを帯びている背中が少し出てる。起きたてやから髪が二、三本立ってるし、なんやちょっと色っぽい。

 まあ、俺としては目の保養になって嬉しい限りなんやけどな。

 何にしても、今日も無事に起きてくれて良かった。ねむり姫さんはようやっとお目覚めやな。


「おはようさん、ねむり姫。よう眠れた?」

 朝から好きな子のパジャマ姿を見られて嬉しい。口元を緩ませながらおはようの挨拶をする。そんな俺に対して槇はご機嫌斜めや。


「誰がねむり姫や阿呆! いっつもいっつも何すんねんっ!!」

 槇は掠れた声を出して、さっき息を吹きかけた方の耳を手で覆いながら抗議してくる。その声もなかなか色っぽい。


「何って……なかなか槇が起きへんから手伝ってやったんやろ? さあ、さっさと制服に着替えや?」

 ハンガーに掛かってる紺色の制服一式を持って、ドアの前でしゃがみ込んでいる槇の傍まで行くと、槇は俺の手から自分の制服を勢いよく分捕った。


「部屋から出ろよ! 変態か。気持ち悪いわ!!」

 変態と言われて違うと否定できへんのが辛いところや。

 槇を好きなんは変態の域に達するんやろか。

 なんて考えながらも、槇との会話を終わらせたくない俺は口を開く。

「うっわ、一緒に登校しようと迎えに来た優しい俺にそこまで言うん? ひどいわ槇。硝子のハートが粉々や」

「うるさいわっ! 自分で優しい言うたら世話ないわ。ええからさっさとオレの部屋から出て行けやっ!!」

 わざわざ槇の家に寄って、起こしに来た俺に礼も言わず、背中を押す槇。


 せやけど顔を真っ赤にして怒る槇も可愛ええんや。ほんま、どないしたらええんやろう。

 槇の部屋から追い出された俺は朝っぱらから深いため息を吐きながら、俺と槇を隔てるドアに額を当てる。

 しばらく待っていると、小さな音を立ててドアが開いた。

「あ、着替えた? やったらまだ時間あるからご飯、食べておいで」

 悶えている自分をなんとか押し隠し、平静を装ってそう言う俺。そしたら槇の細い手が俺の袖を控えめに掴んだ。

「うん?」

 どないしたんやろ? 顔を覗き込むようにして槇の様子を窺うと、引き結ばれていた赤い唇が小さく開いた。


「……りがとう」

 聞き間違いやろか?


 槇は俯いて「ありがとう」と、ぼそっと言ったように思った。

 見間違いやろか。頬が桃色に染まっていたように思ったんは……。


 せやけどもう確認できへん。槇は階段を下りてリビングに行ってしまった。



「……っつ!!」

 裾を掴んで礼を言うなんて、なんやねんあれ。槇、可愛すぎやろっ!!



 俺はその日、学校が終わるまでずっと槇に悶(もだ)えるばかりやったのはいうまでもない。





 ◇槇が可愛すぎる件**END◇


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