◆ いつの頃からだろう。凌雅にとって綾人のポジションが変化したのは――。凌雅は知らず知らずのうちに綾人を意識しはじめていた。 少なくとも高校を卒業した当時までは友人のままだったはずだ。しかし、綾人と同じ大学に通うに連れ、彼は日に日に色香を持ちはじめた。 たとえば何か他愛のない話をするために動く赤い唇であったり――たとえばS字になっている鎖骨が気になったり――たとえばはしばみ色をした目が潤んでいるように見えたり――たとえば頬を膨らませ、拗ねる姿が可愛いと思うようになったり――。 綾人のことを考えるときりがないほどの、『たとえば』が果てしなく思い浮かぶ……。 しかし本人は、それを恋だとは思いもしなかった。 それというのも、凌雅は昔から色恋沙汰にあまり興味が湧かなかったからだ。なにせ中学や高校でも毎日のように異性から告白されることはあっても、告白をする方ではなく、想いを寄せる相手がいなかった。凌雅は大学生になった今の今まで、恋人のいる生活を考えたことは一度たりとも考えたことはない。況(ま)してや、同性の相手に好意を持つことなんてそれこそ皆無だ。だから気づかなかった。――いや、気づけなかったという方が正しいのかもしれない。 それでも、綾人と一緒にいると不可解な気持ちを抱くことはたびたびあった。 それは彼を目にした誰も彼もがため息をこぼし、熱っぽい視線を常に感じるようになていたことだ。そのたびに、連中の目に触れないよう、綾人を隠したくなるような気分になった。だがそれは弟を心配する兄のような感覚だと、本人は思い込んでいた。それが間違いだと気づかずに――……。 凌雅が綾人に対するその感情が恋だということを知ったのは、ついさっき。 いつの間にか芽吹いた恋に気がついたきっかけは昨夜のことだ。大学の五限目が終わり、日が沈みかけている頃。凌雅は自分の勉強にもなるからと、ここ一週間前から新しくはじめた家庭教師のアルバイトの帰り道で、綾人の後ろ姿を見つけた。 見知らぬ男と一緒だったから、てっきり人違いかとも思ったのだが、その日大学で見た彼の服装はまったく同じだった。同一人物であることは疑いようもない。 「…………」 それにしても、相手はいったい誰だろう。スーツ姿の男は雰囲気からして社会人で、どう見ても大学生には見えない。年の頃なら三十前後の背の高い男だ。 たしか綾人は一人っ子だと聞いている。だから一緒にいる相手は兄ではない。だとすると、馴れ馴れしく綾人の肩に手を回すあの男はいったい何者なのか。 凌雅は綾人が気になり二人を付けていくと、彼らが高級そうなホテルに入っていくのを見た。 ――恋人の肩を抱くようにして綾人を引き寄せていた男。 ――何の躊躇(ためら)いもなくホテルに入っていった二人。 その理由は一目瞭然だ。 同性同士でも恋愛が成り立つのは知っている。そういう性癖を持った人間は少なからずたくさんいるだろうし、偏見だってなかったつもりだ。しかし、どうしてそれが綾人なのか。凌雅は動揺を隠せなかった。 そして次に感じたのは深い憤りだ。 なぜ綾人はそういう性癖があるということを自分に打ち明けなかったのか。なぜ、相手があの三十路の男なのか。 綾人に対する言い知れない怒りが込み上げてくる。 その気持ちは翌日になっても消えることはなく、それどころか増す一方だった。そして極め付きは、一緒にいた相手が綾人の恋人かと尋ねた時だ。彼はすぐに否定した。 ならば綾人にとって、相手は誰でも良かったということなのか。それならどうして自分を相手に選ばなかったのか。 綾人への苛立ちが頂点に達した時、凌雅は気がつけば綾人を組み敷き、抱いた。 まだ慣らしていない後孔に自らの熱い楔を突っ込み、痛がっていたにもかかわらず、抱いてしまった罪悪感が凌雅を襲う。 涙を溜め、悲壮感漂う表情をした綾人が頭から離れない。 無理矢理綾人を抱いたことと、もっとずっと早くに自分の恋に気がついていればこんなことにならなかったのかもしれないという自己嫌悪が凌雅に付きまとう。 自分と綾人はこれで終わってしまうのか。 このまま自分ではない男に綾人を取られてしまうのか。 それ以前に、自分はもう、綾人に嫌われてしまったかもしれない。 そして綾人は今夜もまた、滑らかな肌を晒し、名も知らない男に抱かれるのか。はしばみ色の目を潤ませ、喘ぐのだろうか。 時計を見れば、時刻は午後六時過ぎ――。昨夜、綾人が見知らぬ男といたちょうど同じ時間になる。 「くそっ!!」 凌雅はベッドの上で淫らに喘いでいる綾人のことを考えると居ても立ってもいられなくなった。彼はひとつ舌打ちをすると、無造作に机の上に置いている長財布を手にし、そのまま家を飛び出した。