◆ 夕食を食べて、お風呂に入る。 そうやって毎日の日課を済ませる僕の頭では、今日新先生が手渡してくれた電話番号が離れない。 宿題とか、することをし終わった今の時間は夜十時。 何をするでもなく、ベッドの上で布団にくるまって、スマートフォンの画面とにらめっこをする。 その画面には、もちろん十一桁の数字が打ち込まれているのだけれど――。 『電話してくるといいよ』 新先生の優しい言葉が僕の頭にこだまする。 だけどそれは、先生と生徒っていう社交辞令みたいなもので、僕の悩みを訊いてしまったから、そう言っただけかもしれない。 本当は、『電話がかかってくるとめんどくさい』とか思われてるいないかもしれない。 でも、僕はアラタさんに似たあの安らぐしっとりした声を聴きたい。 もう一度聴いたら、きっとすぐに眠れる気がする……。 ――ああ、でも迷惑かもしれない。 新先生はいつでも電話していいって言ってたけれど、やっぱり授業とかも受け持ってるし、慣れない学校で苦戦しているかもだし……。 先生は気さくだし友達も多そうだから電話、使っているかもしれないし……。 ああ、どうしよう。 ……なんて思って布団の中でいろいろ考えていると――。 ……ポチ。 勢い余って通話ボタンをタップしてしまった。 うわっ、僕ってバカ!! 何してるんだよ!! 早く電話切らなきゃ!! 布団にくるまったまま、ひとりで焦っていると――。 『はい、新です』 しっとりとした、あの声がスマートフォンから聞こえてきた。 だけど僕は勢いで押してしまっただけ――。 新先生と何を話すか、まったく内容を考えていなかった。 だから当然、僕は画面を見ながら口をパクパクさせて、無言のままいるだけ――……。 『もしもし?』 そんな僕の姿も見えない新先生は、少し困っている口調になっている。 ああ、どうしよう。 イタズラ電話かと思われてしまうかも。 そうしたら、僕の電話番号を着信拒否されて……。 もう一生、アラタさんの声が聴けなくなってしまう!! 焦る僕は、だけどよけいに何も言えなくなってしまう。 『もしかして海里くん、かな?』 その言葉に――。 声に――。 びっくりした。 だって、僕。 何も言ってない。 それなのに、新先生は僕だってわかってくれた。 しかも、そう言った新先生の声が、アラタさんよりもずっとずっと優しくて、あたたかくて......。 「はい」 気がつけば、僕はスマートフォンを左耳にくっつけて、返事をしていたんだ。 『よかった、電話してきてくれたんだ。押し付けがましかったかなって思ってたんだ』 心から安心しているような声が聞こえて、また僕はびっくりする。 だって、僕の方が着信拒否されなくてよかったって思うところなんだよ? それなのに、新先生が『よかった』とか言うなんて、とってもびっくりだ。 新先生の優しい言葉と態度に、気がつけば僕の目からは涙があふれていた。 声をかけてくれた。 話しかけてくれた。 電話を切らずにいてくれた。 たったそれだけのこと――。 だけど、僕にとってはとても重要なことなんだ。 『眠れない?』 「はい……」 新先生の言葉にうなずく僕。 電話だからうなずいても見えない。 そうは思うんだけど、なんか新先生がものすごく近くにいてくれているようで、ついついうなずいてしまう。 『そっか……。ご飯は食べたのかな?』 「はい」 さっきから、僕は、『はい』ばっかりだ。 新先生はうなずくばかりで聞き飽きたって思うかもしれない。 面白くないって思われる。 ――いや、実際には面白くない奴なんだけどさ。 でも、僕から電話したんだし、アラタさんと同じ声の人にそう思われるのはなんだかすごくイヤだ。 だから僕は焦って、なんとか言葉を繋げようと必死になった。 「せっ、先生は? ご飯っ!!」 うわっ! 僕ってマヌケ。 声は裏返ってるしドモるとかものすごくバカっぽい! 他人とまともに話せないなんて、最悪だ。 自分の言葉に自己嫌悪たっぷりになっていると、新先生は何事もなかったかのように、ふつうに言葉を返してくれる。 『うん、食べたよ。っていっても、俺の方はインスタントラーメンなんだけどね』 フフって笑う新先生の声がすごく、くすぐったい。 あんなに自己嫌悪に陥っていたっていうのに、僕って単純なのかも。 気がつけば、僕も口元に笑みを浮かべていたんだ。 そうして、僕はその日から、夜十時頃になると新先生と通話をするのが日課になった。 もちろん、夜はぐっすり眠れている。 おかげで睡眠不足も解消されて、目の下のクマもだいぶん薄くなった。 新先生は僕にとって第二の救世主になったんだ。 そうやって話しているうち、新先生は一人暮らしをしていることとか、料理がすごく苦手なこととか、たくさんわかった。 学校では、新先生はカッコいいし社交的だから生徒に囲まれていて、僕はただその光景を見ているだけ――。 でも、夜になるとこうして話をして、僕と同じ時間を過ごしてくれている。 それってなんだかとっても特殊な関係だよね。 ものすごく優越感がある。 だって、新先生はものすごく人気なのに、僕とこうして通話してくれているんだもん。 とても嬉しい。 僕が新先生を特別だって思うように、新先生にとっても僕が特別だって思ってくれているみたいですごく嬉しいんだ。 僕にとって、先生は救世主だから――……。 だけど、僕のこの思いは、ただの独りよがりなんだって気づかされた。