◆ 「先生、ごめんなさい。今日、日誌を届けるの忘れてました」 いつもの電話をしながら、僕は先生に謝る。 ――知ってしまった先生の想いをひたすら隠して......。 だって、知られたらきっと気持ち悪がられる。 同性なのにおかしいって思われる。 僕っていう人物を先生は受け入れてくれた。 こうして夜遅い時間になっても話をしてくれる。 好きな人に軽蔑されたくない。 『そっか、じゃあ、担任の先生には明日の朝それとなく言っておくよ』 新先生は優しい。 もっと厳しい人だったら、きっとこんな感情を抱くことなんてなかったのに……。 ――ああ、でも。 もしそうだったなら、僕の睡眠不足も解消されなかっただろうな。 そう思えば、ものすごく複雑な気分だ。 その日、僕が新先生に対する想いが発覚した時から、新先生の声を聞いても僕の睡眠はまったく改善されなくなった。 一時間どころか、ずっと眠れない日が続いた。 そのことは先生には言ってない。 だって、言ったらきっと眠れない理由を訊かれる。 そうしたら、僕はこの想いを新先生に告げるしかなくなる。 だから言えない。 それに、先生は多忙だ。 教育実習もあるけれど、大学の課題とかもあると思う。 だから僕から眠れなくなったことを言わなければ新先生には気づかれることもない。 そう思っていた。 ――でも、それは間違いだったんだ。 先生はものすごく優しくて、ものすごく親切だったのを、僕は忘れてしまっていた。 眠れなくなって三日目が過ぎたその日は、終礼というショートホームルームが終わった。 新先生は突然僕の目の前までやってきた。 「顔色が悪いよ? 帰れる?」 以前、目の前で倒れたことがあった僕のことを気にしてくれていたんだ。 だけど僕は好きっていう感情があるから素直にうなずくことができず、「平気です」って言って立ち上がった。 ――それなのに……。 あれ? 僕の視界がまた黒のモザイクで覆われる。 倒れるっ!! そう思った時、だけど僕の体に衝撃はやって来なかった。 先生が……僕を支えていてくれたんだ。 「家まで送ろう」 新先生は担任の先生に一声かけたあと、僕を背中におんぶして、僕のカバンを脇に抱えて教室を出て行った。 なんたって新先生は教育実習生だけど、今は担任の先生――副担任の副担任ような立場でもある。 だから僕の家も当然知っているわけで――……。 何も言わなくても学校の正門を出て一本径を通った先にあるっていうことは知っている。 大好きな人におんぶされて僕の心臓はドキドキを繰り返し、それでも暖かい背中の体温に触れて揺れるリズムが心地よかった。 新先生への恋心が発覚して、あんなに眠れなかったのに不思議だ――。 ……少しずつ、まぶたが落ちていく。 「海里くん、鍵はある?」 どうやら新先生はもう家に着いたらしい。 そりゃ、学校から徒歩十分くらいにあるからすぐ着く。 でも、僕としてはもう少し新先生にくっついていたいっていうか……。 もうちょっと側にいてほしいっていうか。 そんな感じだった。 だけど新先生にとっては義務的なことなのかも。 だって、僕は先生にとって生徒で、しかも同じ男同士だ。恋愛感情が生まれるわけがない。 ――しかも、先生には好きな女性(ひと)がいるみたいだし……? 僕と同じ気持ちを抱くハズがないんだ。 ズキン。 そう思うと、胸がギリギリ痛み出す。 鍵がないかと先生が訊いたのは、僕の両親が共働きで家にいないことを少し前に電話で話したのを覚えていてくれたからだ。 僕は苦しい気持ちになりながらも、半分眠っている状態でカバンの内ポケットの中にあることをぼんやりと話した。 意識があったのはそこまでで、僕は先生にすべてを委ねた。 中にふんわりしたベッドの感触がした。 だから僕は無事、自分の部屋に戻ったんだってことがわかる。 そのまま目を閉ざしていると、誰かが僕の頭を撫でてくれていた。 ――気持ちいい。 このままずっと、こうして撫でていてほしい。 僕は頭を撫でてくれている人が母さんじゃなくて新先生であるようにと願望を抱いたまま、体をすり寄せ、その人に甘えた。 ふわふわ、ふわふわ。 僕の頭を撫でてくれるあたたかい手――。 これが夢の中だっていうことは知っている。 きっと多忙な新先生は学校に戻って教員についてのアレコレを先生からいろいろ教わっていると思うから――……。 これが夢でもいい。 僕の勝手な願望でもいい。 それでも、こうしてずっと頭を撫でてほしい。 僕の側にいてほしい。 ――好き。 大好き。 すごく好き。 アラタさんよりもずっと新先生のことが好き。 新先生への好きがいっぱいになりすぎたんだ。 僕の胸からあふれ出した想いはとうとう口からすべり出た。 「新せんせ……好き……」 そう言ってみると、胸の奥で何かがストンと落ちた。 ――と思ったら、今度は撫でてくれた手が止まった。 そして――……。 「――え?」 大好きなその人の声が妙にリアルに僕の耳に届いた。 びっくりして、目を開けると、そこには大きく目を見開いている新先生がいた。 まさか……。 ――夢じゃなかった? 先生は僕に寄り添ってずっと頭を撫でてくれていたの? そんな……。 じゃあ、僕は先生に告白したっていうこと? 僕の心臓がドキンと大きく鳴ったかと思ったら、体が凍りついたみたいに動けなくなってしまった。 ――バカ。 僕はバカだ。 この想いを秘めていれば、新先生とずっと通話できていたかもしれないのに......。 気持ち悪いって思われた。 いや、でも恋愛感情の『好き』っていうんじゃないと言えばきっと元どおりに過ごせる。 だけど、僕は限界だった。 あふれてくる先生への想いを隠し通せる自信はもうない。 「ご、ごめんなさい。ごめんなさいっ!」 謝ったところで言葉は撤回できない。 今さらどうにかなるわけでもない。 気持ち悪がられることは決定している。 できることなら、さっきの時間をなかったことにしてほしい。 そういう思いで、僕は先生の胸板を押した。 そして、これ以上僕を否定されないように自分を守るしかなかった。 帰ってもらおうと一生懸命、新先生の分厚い胸板を押す。 「海里くん……それ、ほんとう?」 なのに、先生はいったいどうしたんだろう。 先生の声、震えている? 僕は、そこではじめて先生を見上げた。 先生はどこか切羽詰ったような、そんな顔をしていた。 「せんせ……?」 「これ、なんだと思う?」 そう言って、僕の手を胸元から外すと、ズボンのポケットから取り出したのは一枚の紙。 真っ青な空に雲の写真がプリントしてあるその紙は――......。 その模様には見覚えがあった。 だってそれは、僕が、『アラタさん』に出したファンレターだったから――。 だけど、どうして新先生がそれを持っているんだろう? マジマジと見上げれば、先生は苦笑をもらしながら口をひらく。 「親友がラジオパーソナリティーをやっていてね、風邪で声が出なくなったと言ってきたんだ。 代わりがいないからと無理矢理頼まれて、アルバイトのような感覚でパーソナリティーをした」 ……それは、どこかで聞いたことがある内容。 僕はポカンと口を開けたまま、新先生の言葉に耳を傾ける。 そんな僕の頭には、『まさか』っていう思いが敷き詰められていた。 「――そんな時だったっけ……。俺の声で眠れるようになったっていう子から手紙がきたんだ。こんな形で引き受けた臨時パーソナリティーだったけど、それでも誰かの役に立つんだとわかったことが嬉しかった」 まさか……。 やっぱり、それって……それって……。 『アラタさん』は、『新先生』だったっていうこと? 驚きで口いっぱいに広がる唾をゴクンと飲み込むと、新先生はまた話を続けた。 「その子とはもう会えないと思っていたんだけれど、まさか教育実習で自分が行くことになった学校で出会えるなんて思いもしなかった。君に出会って話をした時、俺がどんなに驚いたかわかる? 話してみると、とても可愛いし、素直でスレてなくて――俺の理想の子どストライクなんだもん。もう離れたくないって思ったら、つい自分の電話番号まで教えてしまって、こじつけみたいに教えて引かれたかな、とか思ったり……」 それって、それって……。 パクパク、パクパク。 僕の口が開閉を繰り返す中――。 「つまり、こういうこと」 先生はそう言うと、僕の腰を引き寄せた。 そうして、僕の唇に柔らかい何かが触れたんだ。 僕の口に触れたソレが離れる時、リップ音がした。 そこではじめて、僕は先生とキスしてたっていうことに気がついた。 顔が熱いから、真っ赤になっているのは自分でもよくわかる。 恥ずかしくて俯けば、だけど先生は逃してくれなかった。 人差し指で僕のあごがもう一度、持ち上げられて――……。 「ん……」 さっきよりもずっと長いキスをした。 信じられないけれど、これが僕の恋物語。 誰よりも引っ込み思案で、誰よりも他人と話すことが苦手な僕。 だけど、こんな僕でもこうして素敵な人が現れるんだもん。 世の中も捨てたもんじゃない。 心からそう実感した出来事だった。 それから、新先生は無事に3週間っていう教育実習の期間を終えて大学に戻ったけれど、僕はまったく寂しくない。 だって、僕には――。 『海里、起きてる? 今度の休日、君と一緒に出かけたいな』 耳元で囁く優しい声が僕の名前を添えて、デートに誘ってくれるその人がいるから……。 *END*