◆ その昼から、健太とは一切、話しもしなくなった。 当然、帰宅も家が近所なのに別々だ。 あれほど仲が良かった俺と健太。 それなのに、俺のひとことで彼は簡単に俺を避ける。 それは健太にとって、俺がそれだけの存在だったという証拠だ。 あんなに必死になって守ろうとしていた健太との絆は、俺が思っていた以上に脆(もろ)い。 あらぬ恋心を抱いているのは俺だ。そうなのるが当然か……。 つい、自嘲気味(じちょうぎみ)に笑ってしまう。 ――現在(いま)の時刻は深夜を過ぎていた。 俺は寒空の下、いつものようにベランダに立っている。 なにせ今日は健太と初めて喧嘩した当日だ。今日はもう、顔を出さないだろう。 そう思いながら、心のどこかでは健太が声をかけてくるのを待っている。 『ごめんな、オレがヘンなこと言ったせいや』 『咲輝がおらへんかったら寒うて寝られへんねん』 そう言ってくれるのを……。 けれどその日、俺のベランダに続く隣の窓は開くこともなかった。 本来ならば、健太の隣は俺だった。 だが今は違う。 ――あんなに寝起きが悪かった健太。 ――寒い寒いと言い張っていた健太。 それが俺から離れることで、寝坊グセも治ったらしい。 翌朝、俺よりも早くに登校していた。 ――ああ、本当に俺はお払い箱になったんだ……。 自分はもういらないのだとそう、思い知らされた。 ……いつかはこういう日が来ると知っていた。 覚悟していたつもりが、こんなに早くこの日が来るなんて自分でも思いもしなかった。 それも俺が馬鹿(ばか)な発言をしなければ……。 健太の地雷を踏まなければ――……。 この関係は、もう少しは長く続いただろう。 ああ、本当に俺は馬鹿だ。 ――その次の日も、そのまた次の日も。 やはり健太は俺と接点を持つことはなかった。 あんなことを言わなければよかった。自己嫌悪する日が続いている。 そうして健太と話さなくなってから三日が過ぎた放課後のことだった――。 「咲輝、ちょっと……」 午後のホームルームも終わり、帰ろうと思って腰を上げた直後、もう聞けないと思っていたその声が……以前は聞くのが当たり前だったその声が、椅子にもたれていた俺の頭上から聞こえて驚いた。 茶色い天然パーマと大きなどんぐりのような目をした彼――健太が話しかけてくれたんだ。 それが嬉しくて、勢いよく顔を上げれば、しかし健太の表情は曇っていた。その表情はどう見ても『仲直り』といったふうではない。健太がまとった雰囲気もどことなく固い。 健太の意図を汲み取れないまま、三階のB組とは正反対の場所――滅多に人が通らない隅っこにある非常出口の前で、健太と向かい合った。 「二年の中山 栞(なかやま しおり)先輩やっけ? お前と付き合いたいんやて――」 ――はあ? 意味がわからずぽかんと口を開けた。 中山 栞。 彼女は、モデル並みのすらりとした体型に、ショートボブの髪型が大きな目を引き立たせた松林高校のマドンナ的存在で、男なら誰しもが彼女と付き合いたいっていうほど美人で有名だ。 まあ、健太が好きな俺は置いておいてだが……。 なるほど、健太は先輩の伝言役に選ばれたのか。 なにせ俺と健太はこれまでずっと仲が良かったし、ほとんどの奴らはよく知っていることだろうから。 ――これで健太が俺に声をかけた理由はわかった。 だがこれはあんまりだ。なぜそれを健太の口から聞かなければならないのだろうか。 俺は健太を好きなのに、どうして好きな相手から他人の告白を聞かなければならないのだろう。 思わぬメンタルダメージくらって黙っている俺を無視して、健太は話を続けた。 「もし、オッケーやったら今日の放課後、五時三十分に松林公園まで来てって言うてた……」 「それで?」 「それだけ……」 長々と聞きたくもない情報を告げた健太の唇は、ようやく閉じた。 あんなに可愛いと思っていた桃色の小さな唇が、今はとても憎たらしい。 どうして健太がそんな残酷なことを言うんだろう……。 健太にとって、本当に俺が誰と付き合おうと気にしないんだろうな。 いくら恋をしているのは俺だけだとしても、これはあんまりだ。 「……なんでお前はそんなことをいちいち俺に言いに来たんだ?」 「オレだって迷惑してるんや。仲がいいってだけでこんなお遣いみたいなんさせられて……」 「仲が……いい……か」 ここ数日、健太とは一緒にいない今でも仲良く見えるのか。 他の人間には、健太と話さなくなって三日程度でも、俺からすればずいぶんと経ったようにも思える。 「ほんま、もうオレと咲輝は関係ないのにな……」 しゃべった健太の言葉が俺の胸を貫いた。 関係ない? 健太と俺が? 俺がこんなに想っているのも知らないクセに!! こんなに好きなのに!! 「ふざけんなっ!!」 あまりの健太の発言にイラついた俺は、樋口の体を非常通路の口の壁に押し付けた。そしてそのまま、自分の口で健太の唇を塞ぐ。 「……んむぅ!!」 はじめ、俺に何をされているのかわかっていないようだった健太も、俺がキスしていることをようやく理解したらしい。 ただ開閉させていただけのどんぐりの大きな目は見開き、両腕に力を入れて抵抗しはじめた。 ――これでもう、修復不可能だ。 健太とは、もう視線さえも合わせてもらえない。 絶望がやってくる中、腕の中で暴れはじめる健太を開放してやる。 「そうだよな、俺がお前を好きでいても、お前は『関係ない』もんな、そうだよな……」 「っ、咲輝……?」 はあはあと、大きく呼吸しながら俺の名前を呼ぶ健太。 今後はもう、俺の名すら呼ばれることもないだろう。 健太が今どういう顔をしているのかさえも、怖くて見ることができない。 「……さようなら」 密かに育んできた恋が終わる。 痛む胸を無視して健太から背を向けた。