◆ 一年B組がある教室までの階段を上りきると、視界は左右に広がる。 向かって右側から二番目の教室がB組だ。 廊下から伝わってくる冬のひんやりとした空気を感じながら、ガラガラと後ろのドアを開けて教室の中に入ると、俺を出迎えてくれるのは健太ではない。 学年一チャラ男で有名なクラスメイトの金髪池田(いけだ)だ。 奴は一番後ろの席で何やらはしゃいでいる。椅子の背から身を乗り出した。 「今月入ってからもう五人目だぜ? 咲輝、お前のモテ度ハンパねぇなぁ……。あの子と付き合うのか?」 「いや、断った」 池田に羨望(せんぼう)の眼差しを向けられ、訊ねられた言葉に、俺は首を左右に振った。 なにせ俺には他人には言えない健太への想いを抱いている。その状態で他の誰かと付き合えるほど、器用な人間ではない。 「ええ? もったいない。キープでもしときゃいいのに」 さすがは池田。やはりチャラ男だけのことはある。 自分の気持ちが相手にないのに、告白されたっていうだけで受入れるようだ。 「俺はそんな器用じゃない」 もう一度首を振る俺に、彼はまだ、『俺が付き合いたい』とか、『もったいない』などと大きなひとりごとを言っている。 だが、惜しがるのもすぐに終わる。池田の標的は女子に呼び出された俺から、俺を待ちきれずに黙々と弁当を食っている健太へと変わった。 「だけどまあ、健太くん、良かったな。大切な咲輝が取られなくて」 「はあ? なんでそうなんねん。別に咲輝が誰と付き合おうと関係ないやん」 どうして池田は健太にそんなことを言うのだろう。 せっかくこの想いに蓋をしようと決意したばかりなのに、これではあんまりだ。 俺が誰と付き合おうが健太には関係ない。そう言った健太の言葉が胸に突き刺さる。 たしかに俺のことを親友としてしか見ていない健太にとって関係ないと言えるだろう。 だけど俺は健太との関係を壊したくなくて、必死に恋心を隠しているというのに、その言葉は今だけは聞きたくなかった。 ……なんか、ものすごくイラつく。 わかっている。このイライラも、ムカつきもすべて俺だけのことだと――。 だからなんとかこの嫌な感覚を遠ざけようと自分を宥(なだ)める。 それなのに……俺の想いを知らない健太は最後のトドメを刺した。 「あ〜あ、モテる奴はええなぁ〜。オレも彼女がほしいわ」 それは健太の他愛ないひとこと。 だがそのひとことで、俺の中にある何かがキレた。 「彼女が欲しいなら、俺と一緒にいない方がいいんじゃないか? 登下校も野郎と一緒だと女子に話しかけられもしないしな?」 俺の口は自分の意思とは関係なく、勝手に動いて言葉を放つ。 「なんでそんな言い方すんねん、意味わからへんし!!」 「意味? 彼女が欲しいなら意味わかるだろう? だからガキなんだよお前――」 ダメだ。 もう話すな。 この関係を失いたくないとそう決めたのは俺だろう? これ以上しゃべるのはマズい。これでは今まで築いてきた樋口との関係が壊れてしまう。 そう思うのに、それなのに俺の口は勝手に動いていく――……。 「ああ、だがその前にその低い身長を伸ばすことを考えないとな?」 ヤメロ。 もう止めろ。 止まれ。 必死に落ち着けようとするのに、勝手な口は俺の意思を無視して健太に最後のトドメを刺した。 「もしかしたらいつまでも低い身長なのは、本当に健太が女の子だからじゃないか?」 「っ!!」 バッチンッ!! のどかな午後に突如鳴り響いた大きな音で、教室内にいたクラスの奴らが俺と健太に注目した。 教室内に冷たい沈黙が生まれる。 頬がヒリヒリするのはなぜだろう。 俺は痛みがする方へ手を伸ばした。 そこで気がついたのは、健太が俺を叩いたということだ。 『痛い』 そう言おうと、健太を見下ろせば、彼は唇を噛みしめ、大きな目を潤ませて睨んでいる。 「ちょっ、喧嘩(けんか)はやめようぜ? 喧嘩は、な?」 元はといえば池田の発言が火種となったのに、中立的な立場になった彼はそう言って肩の高さまで上げた両手のひらを俺たちに向ける。 俺がもう限界だったのかもしれない。 健太への想いが大きくなりすぎて、どうしようもできなくなっていたんだ。 「…………」 謝罪ができない。 唇を閉ざしたまま、沈黙を守る。 健太は何も言わず、そんな俺の前から走り去った……。