はんぶんの気持ち

いつだったか隊士の人から聞いた退くんのお話は、本人からはあんまり教えてもらえなかった恋愛のことだった。
どんなに拗ねてもどんなにおねだりをしてもいつもはぐらかされてしまっていた。
なんとなく感じた怪しさと、僕を傷つけないように話してくれないのかなって気持ちが半々。
過去の話で悔しい思いをすることになっても退くんのことなら絶対に全部知りたいのが僕なのに。
だからこそせっかく隊士の人とお話できるようになったのだから有効活用しなくてはと意気込んでつかんだ情報。

―今までチェリーボーイだったし、そこは安心していいと思うぞ
―惚れちまって見合いの席をもうけたんでさ、まぁ笑いもんでしたけどねィ
―女の作った肉じゃが食って腹壊したりもあったな

縁も運もなくて騙されんのならなれっこになった、とは聞かされていたんだけど実は退くんって惚れっぽいのかなというのが僕の感想だ。
気持ちがすこしでも他所を向いていた時期があるなんて嫌だけど、それでも最終的には僕と付き合う運命だったわけだし!今は僕だけを見てくれているんだから!
お見合いまでした人がいたことがちょっと気になるけど、こんなこと急に聞いたらどこで知ったんだって怒られちゃいそう。
他の人から聞いちゃダメなんていわれたらそれこそ情報源がなくなってしまうから、僕が知っていることはまだ退くんに内緒にしておいてほしいな。


***

だからあの人に微笑む退くんを見るまで、僕はちゃんと信じていたんだよ。
今は僕だけを見ててくれているんだって。

あの光景を見てしまった僕の手をとって総悟くんが走り出した。まるで時間が止まったようだった。
手を引かれるまま走って、なんで走ってるのかもわからなくて、頭の中に退くんの嬉しそうな顔だけが残っている。
体が重くなって息苦しさが増してから、これが今起きていることなのだと気づく。
途端に足が言うことを聞かなくなってどうしようもできずに立ち尽くしていると、総悟くんが僕のことを庇うように抱きしめる。
その瞬間、触れたあたたかさにやっと現実を理解した頭が悲しいという感情をいっぱい流してくる。

だって退くんは今日、おやすみだなんて言ってなかったよ。
女の人と会ってるなんて知らない。ましてやあんな顔をするなんて知らない。
僕だけの退くんじゃなかったの?どうして僕じゃない人といるの?

処理しきれない感情に震える体は指先まで冷たくなって、すべてを拒むかのように呼吸は荒く涙があふれていく。
それでも総悟くんは僕から離れないで、頭を、背中を、何度も撫でてくれる。
そこから感じる体温が僕の冷たくなった体に少しずつ染みていくから、もっと温めて欲しくなって背中に手を回した。
総悟くんが手を取ってくれなかったらどうしてたかわかんないや。


「ちっとは落ち着いたか」
「ごめんね。隊服汚しちゃった」
「かまわねーよ。それよりお前、平気か」
「…お見合いまでしたのってあのひと?」

返事はない。答えるべきか悩んでるのかな。
頭を上げて総悟くんを見つめると隠してもしょうがないと悟ったのか、やっと頷いた。

「退くんは僕のこと好きじゃなかったのかな」
「何を一瞬見ただけで決めつけてんだィ」
「だって嬉しそうだったよ。だから昔の話は内緒にしてたのかな。きっともう僕なんか…」
「もしあいつに捨てられたら俺が面倒みてやる」

総悟くんの言葉にきょとんとして、真っ直ぐな瞳と目が合う。
面倒ってどういうことだろう。退くんに一緒にお話してくれるとか?いつも充分すぎるほど助けてもらっているのに。
こんな僕にもやさしくしてくれる総悟くんは、いつも隊内であったことを教えてくれるだけじゃなく、昔の退くんの写真なんかもくれたりしていた。
退くんから聞く総悟くんとはなんだか別人みたいだったけど(とはいえたまにいじわるもされるよ)お友達だからってお互い名前で呼ぶことになったり、退くんが隊内でお仕事の日は僕の手が空くからたまに甘味を食べに行ったり。
ひとりぼっちだったのに、退くんがいてくれるようになって、さらにお友達までできて、それは僕の世界が一気に広がったような感覚だった。

「ありがとう。僕、総悟くんがいてくれて良かったよ」
「お前意味わかってねぇだろ。…まぁ、ついでにお前を立派な雌豚に調教してやらァ」

いつの間にか泣き止んでけらけらと笑いながら、前に向かって歩き出す。
でも今の僕、うまく笑えてるのかな。
退くんに捨てられたらなんて考えるだけで死にそうだよ。


***

「……………つかれた」

家に帰ってきて思わず出た言葉に、僕が退くんのことで疲れちゃうことなんてあるんだなって笑えた。
あのあと総悟くんはお家まで送ってくれて、もう大丈夫だよって言ってるのにずっと心配してくれてたみたい。

電気もつけっぱなしのままお布団に倒れて目を閉じる。
まだ混乱してる頭のなかでぐるぐると言葉が駆け巡っては、感情を揺さぶりかけるあの光景がフラッシュバックする。
あれだけ泣いたのにまだ止まることのない涙は、拭うことすら面倒なほどに流れ続けていく。

今日がお休みだったってことも、ましてやあの人をまだ好きってことも、全然知らなかった。
今すぐ問い詰めて僕だけだって言って欲しいに決まってる。
でもあんなふうに嬉しそうに笑う姿を見てしまったら、本当のことを知るのが怖くてしょうがない。
僕はいつから臆病になってしまったんだろう。退くんのことなら全部知りたかったはずなのに。
この関係が壊れたら一緒にいることすらできなくなっちゃうんだから、しらんぷりして何も無かったことにすればまだ傍にいてもらえるかな。
こんな僕じゃ好かれるわけがなかったんだよ、ばかだなぁ。

 
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はじめ