それをまだ知らない

「嫌いだよ、退くんのことなんて」

僕は退くんを縛り付けようとしたわけじゃない。ただ退くんのことを諦めきれなかっただけだ。
責任なんかでここにいてくれなくていい。
次は失敗しないから、ね。

「そんな嘘つくなよ」
「嘘じゃない」
「じゃあなんで俺の写真並べて死のうとしてんだよ。勝手に幸せを決めつけて離れようとしたんだろ」
「だって……」
「俺はなまえくんとじゃなきゃ幸せになれない」

揺らぐ気持ちに怖くなる。
どうして僕の行動をわかっちゃうの。
こんなにも欲しかった言葉をくれたのに、僕はあと少しが踏み出せない。

「なまえくんのことが好きだ。だから本当の気持ちを教えて」

退くんの言葉ならどんなことでも信じることができた。
例え嘘だとわかっても退くんがそうしたいなら僕はそれでもかまわなかった。
今ここで返事をすれば、きっとまたいつもの日常だ。僕の望んだままになる。
わかったよって言ってしまえばいい。ほら、早く。

「僕は、退くんのことを……信じられない」

どうしてこんな言葉がでてしまったんだろう。
なんて嫌な気持ちなんだろう。まさかこれが本当の僕だなんて。
僕のことを捨てたから?あの人といたから?信じてくれなかったから?どれも好きって言葉でごまかして我慢してたんだ。もうとっくに限界を迎えてたのに、どうして。

「どうして、死なせてくれなかったの」
「なまえくん…!」

無理やり点滴を外して、病室から飛び出す。
血が流れてるとか痛みなんてどうでもいい。
後悔したって遅い。あのまま死んでいればこんなことにならなかった。
鍵を外されてしまうならもうどこだっていい。
僕にはこれ以上耐えられない。
好きなのに退くんのことを信じられないなんておかしいよ。
こんな僕なんかいらない!早く消してくれ!

退くんからも自分からも逃げて、ひたすらに廊下を走る。
何にも見えなくなってた僕は誰かとぶつかって、目を開くと見覚えのある黒い隊服があった。
鋭く光った鬼の目が僕を捉えて、まずいと思った時には遅かった。逃がさないように掴まれた手に力が込められる。

「おい、何してんだ」
「離して!」
「離さねぇよ」
「離せ!離せってば!」
「っ、大人しくしろ……!」

胸元を叩くその手からは血が溢れて、隊服へと飛んだ。
早くここから逃げたくて手を大きく振り上げる。するとそれは目的に向かうことなく、後ろから自由を奪われる。

「やんちゃしてんじゃねーよ。公務執行妨害で現行犯逮捕しやーす」

鈍い音と共に手首が重くなる。
僕に手錠をかけたのは総悟くんだった。
後ろから聞こえる退くんの声がますます僕を追い詰めて逃げられない。それは僕を絶望に落とすだけだった。


***

「痛かったろうに」

近藤さんは優しい声で話しかける。
部屋のなかにはふたりっきり。部屋の外にはもう一人いるけど。

「俺だけじゃない。みんな心配していたんだ」
「……」
「君は優しいから言えないことも多いんだろう。でも何も死ぬことはない」

生きててよかった、と涙まで流してくれたのに返す言葉がなくて僕は俯いた。
自分の気持ちなんて言えるはずがない。
それを察したのかため息をついて、伸ばされた手が頭をゆっくりと撫でる。
それがあまりにもあたたかくて、ぽろぽろと涙をこぼす。ごめんなさい。それでも僕はこんな自分をいらないって思うんです。

「どうかここで養生してくれ」

そして手荒に連れてきてしまって悪かった、と。
その言葉通り僕は今、真選組屯所にいる。

「総悟」
「へい」

部屋の外にいた総悟くんがなかへ入ってくる。

「なまえくんの面倒頼んだぞ」
「へいよ。俺が立派なメス豚に調教してやりまさァ」
「程々にな。あとこれももういいだろう。なまえくんも何かあったらすぐに言うんだよ」

外された手錠は赤い跡だけが残ってむず痒いまま。
近藤さんの言葉に頷くこともできず、総悟くんに手を引かれて着いていく。
これからどうなるんだろう。
ここで過ごすことがあんなにも嬉しかったのに、今は怖い。退くんに会ってしまうことが怖いなんてやっぱり変だよ。早くひとりになりたい。

「当分は俺と一緒だぜ、喜びな」

総悟くんは振り向いてもいないのに、そう言った。
僕がどうしたいかなんて全部バレてるんだろうな。

「着いたぞ」

俯いたまま入ろうとしない僕を、無理やり引っ張る。
襖を閉める音に鍵をかけられた気持ちになって、多分逃げることはできないんだろうって思った。
話しかける総悟くんの声はすり抜けて、どこかへ飛んでいく。返事なんてできないよ。

「本当にしゃべりやしねぇな。ちゃんと聞こえてんのか?」
「………」
「まだだんまりかよ。単に話したくねーのか、それともあいつ以外とは話したくないってか」
「…………」
「なら山崎に言っといてやるよ。お前がまだ未練がましくしてるって」
「み、未練なんてない!」

それ以上聞きたくなくて遮るように言葉をかぶせた。

「別に悪いようにはしねぇよ。お前がいつも通りケツ振るようになりゃそれで終わる話だ」
「もう元通りになんてならないよ」
「それだと元通りにしてくれって風に聞こえるけどな。山崎のことになると途端に表情を変えやがって」

総悟くんは僕よりも何枚も上手で、僕のなかから答えを導き出してしまう。
退くんに言えないことも簡単に。

「お前はどうしたいんだ」
「…………僕は、」

ぽつりとこぼしたのは、どうしてだろう。
こんなこと総悟くんに言ったってどうしようもないのに、ただ抱えきれない分があふれてしまった。少しだけ夢を見てしまった。
きっと、それだけだよね。

 
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はじめ