やわらかく見えた世界
なまえくんは俺のことを覚えていない。
そして今世でも俺のことを好きだとは限らない、ということをすっかり忘れていた。いや無理やりでも好きにさせるけど。
なので今日はなまえくんとハッピーエンドを迎えるためには、どういったプランが良いのか検討していきたいと思う。

そのいち、お隣さんという立場を利用してガンガンいく。
本来ならこのプランで行くつもりだった。しかし挨拶をしただけでビクッと大袈裟に体を震わせるのを見て、雲行きの怪しさを感じる。あながちそれは間違いではなく、駅まで一緒に歩こうとすれば気まずそうにして少しづつ歩幅が合わなくなった。
会話も一方的にならないよう極力気を付けたが、なかなか盛り上がらない。なんなら目もあわない。なまえくんが好きそうな話題をふっても緊張の方が勝ってしまうようで、困った顔はとても新鮮だった。これはこれでかわいい。
その小動物のような姿を見ては、一気に距離を詰めるのは得策ではないと思い却下に至る。

そのに、いっそ影からそっと見守る、のは無理だ。
俺は早くなまえくんと付き合いたいし、32年間守り続けた童貞を捧げたい。なんなら結婚したい。指輪だって買いたい。一緒に入る墓も考えている。そのために貯金だってしてきた。これ以上へたに焦らされてしまうと思いが爆発して監禁しかねない勢いだ。今までのなまえくんだったらそれでも喜んでいただろう。しかし今は素人のなまえくんを相手にするのだから焦るのは良くない。徐々に距離を縮めていくしか…………ハッ!

そのさん、なまえくんから気になるように仕向ける。これだ!これしかない!

朝、家を出る時間を同じくらいにする。もちろん帰りもだ。
同じタイミングだと焦らせてしまうから、なまえくんよりほんのちょっぴり早いくらい。早歩きすれば追い付いちゃうくらいでセーブする。
ただ、時間帯が被らないように調節されるかもしれない。
だから最寄り駅とか寄り道するコンビニでも、うまく時間帯が被るように数を打ちたい。ここで気をつける点としてはなまえくんの後ろは歩かず声もかけない。気付かないふりをして、どきどきした心臓が勘違いを起こすように、まずは意識させることだけに集中する。あくまでも偶然であるように。

これだけだと嫌悪感を与えてしまう可能性が高いだろう。そこに俺たちの共通点を投下する。
自分とおなじ好きなお菓子を手に取っていた、帰り道猫をみていた、スーパーの袋から長ネギが飛び出てたとか。そんな程度のもんでいい。
生活の中に少しずつ俺の存在を混ぜていけば、嫌悪感は少しずつプラスに作用するだろう。なまえくんからしたら情報は言い訳の材料に使えるかもしれないし。恐怖心を和らげながら、俺という存在が懐へ入り込むのだ。

早速共通点をつくるために、なまえくんの調査に入ろうと思う。

なまえくんがコンビニで手にした限定スイーツから、SNSのアカウントを簡単にみつけられたのはラッキーだった。
美味しかったって感想とピースサインの写真が載っけられていて、久しぶりに見たその手に涙が出てきた。
それだけで泣けてしまうほど、寂しい時間を32年もひとりで過ごしていた。
いつだってどこかで会えることを期待していたんだからね。

しかし、この時代はすぐに重大な情報が手に入ってしまって怖いくらいだ。屋根裏とか床下で張ってた頃を思い出して、頑張ってたなぁと少しだけ感傷に浸る。今じゃちくわを吸うこともない。
こんなに簡単に誕生日も、今日食べたご飯も、好きな音楽も、友達だって特定出来てしまう。便利すぎる世の中になったものだ。慣れた手つきでスクロールすれば「僕も恋人ほしい」って投稿を見つけた。
その投稿についた返信、恐らく友達であろう「SSS様」とやらから童貞であることを笑われていた。SSS様情報提供ありがとうございます。
まさかなまえくんが未だに未使用のままだなんて、きっと俺のことを待っていてくれたに違いない。ますます運命感じてしまう。今だってなまえくんは3秒前にSNSに投稿してる。僕も自炊できるようになりたい、ってさ。

毎日の時間調整や、SNSから情報を得るだけではなく、もちろん隣の部屋ということを最大限利用した。壁に耳を当てればおはようからおやすみまでおおよそ把握することができたが、ゆくゆくはカメラを取り付けたい。
あとは夜中にゴミを捨てに行ってたから、そのまま俺の部屋の中に持ち帰ってみた。
時間守らないとだめだよ、俺が回収するはめになるんだからね。きっちり分別してあげるから安心してね。
袋の中からは菓子パンばっかりで、相変わらず食は細そうだ。あとは怪しげなティッシュはあるものの、ゴムとかそういう系統のゴミはなかったから後ろの開発はまだかもしれない。さすが新品未使用……グッとくる。
ポストは毎日先にチェックした。チラシ、チラシ、明細。ふうん、コンビニ払いなんだ。この金額ですら生きてるって感じがして興奮する。この明細、早く1枚にまとめられるように俺も頑張らなきゃね。

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はじめ