こっち向いて
帰ったらご飯ができている。32歳独身にとってこれは当たり前の光景ではない。もはや夢のような出来事だ。

「おかえりなさい!」
「ただいま」

玄関までパタパタ走ってきたのは、将来を誓ったパートナー(予定)ことなまえくん。俺が帰ってきたのを嬉しそうに笑って「ご飯出来てるよ」って。ベタだけどそこはご飯でもお風呂でもなく、君を選ばせて欲しかった。リビングのテーブルにはオムライスと、彩りよくサラダとスープが並べられていて感激した。卵は少しかけているけどそんなの気にならない。人の手料理に飢えていた分嬉しさ倍増、なまえくんが作ったなら嬉しさ爆発でしかない。ケチャップを渡してねだれば、恥ずかしそうにハートを描いてくれる。なんと愛おしいことか。

とまぁ、なまえくんに合鍵をあげてから、夢のような日々が続いている。最初はいつ使えばいいのか悩んでる様子だったから、俺の方からきっかけを作ってみた。一緒に夜ご飯食べたいなって。ただ、自炊ふくめ家事自体そこまで得意ではないらしく、前世とは違ったドジっ子具合にこれまた心をくすぐられる。

そしてなまえくんの家の合鍵ももらった。今日は俺が夕飯用意しとくよ、なんて言いながら密かになまえくんを感じるためだけの時間を作っている。玄関に入ってからはずっと深呼吸をして体内になまえくんの空気を取り入れて俺の空気と交換っこ。洗う前の洗濯物を回収していろんな意味で堪能したら、歯ブラシを新品と入れ替えて俺専用使用済み歯ブラシを確保。部屋からトイレまで毛やら回収しつつ掃除して、日用品をバレない程度に買い足しておくのも忘れずに。ゴミから生活を観察して、足りない栄養素を補うメニューを考える。
おっとなまえくんから電話だ。

「もしもし、どうしたの?」
「あ、退さんごめんなさい!また友達に無理やり居酒屋連れてこられて、一緒に夕飯食べれないです…」
「了解。なんか最近多いね。遅くなりそうなら迎えに行こうか?」
「ううん、今日は早く帰る!もしかしてもう夕飯用意してた?」
「これからだったから大丈夫だよ。気にしないで」
「よかったぁ…今日やたらしつこくて断れな「しつこいとはなんでィ」

遠くから「総悟くん!」と怒る声がする。それこそがここ最近なまえくんを俺から奪う犯人だ。朝まで返さねぇと宣戦布告された俺は、その勝負に挑むことにした。



まずは鞄にしかけた盗聴器。会話を聞きながらGPSで居酒屋の場所を探る。乗り気じゃないなまえくんのご機嫌をとるなんて、付き合いが長い沖田さんには楽勝だった。アツアツの唐揚げに大喜びした声に、俺はため息を吐きながら靴を履く。

「口開けろ」
「んんん……っんむ、おいし!」
「だろ?ほら、こっちも来たから食え」
「んんー!こっちもおいしいねぇ。なんか今日の総悟くん優しい?」
「俺はいつも優しいだろーが」
「いつもそうならいいのに」

なまえくん、君は無理やり連れてこられたの忘れたのか?!酒が進むにつれて上機嫌になっていく様子に不安を覚えた頃だ。

「あのねぇ、退さんってほんっとーにかっこいいんだよぉ」
「また山崎の話かよ」
「好きなゲームとか食べ物とかすっごい気が合うし、お酒飲む練習付き合ってくれるし、優しいお兄さんって感じで本当に優しいの!今日も夕飯作ってくれるって優しいねぇ…」
「後半優しいしか言ってねぇじゃねえか」
「んぶ」

口に無理やりご飯を突っ込まれて黙っている。でも食べ終わればすぐ俺のことをのろけてくれて、その話を聞いてニヤケながら歩く。近くの店で時間つぶして、二人が出てきた頃を見計らって迎えに行こう。

「こないだ合鍵貰ったんだけど…」
「は?合鍵?」
「うん。それでね、部屋入ったら退さんのにおいがして安心感っていうのかなぁ…なんかふわふわってした!」
「ンなもん気のせいだ。加齢臭のはじまりでィ」

まだしてないから!枕からオッサンのにおいしないから!

「だいいちオメーがいない間、何してるか分かんねえぞ。間違いなくシコってんだろうな。パンツ減ってねえか?」
「な……!」
「オカズにされまくってるなまえちゃん」
「僕もオカズにし返したらいい…?」
「なら俺も使ってやろうか、お前のこと」

頭がついてこないのかなまえくんは返事をしない。そのうち「え」とか「う」とか音だけを発して戸惑っている。まずい。

「山崎なんかじゃなく、俺にしろよ」

その声に気づけば走っていた。息を切らしながら居酒屋に入って待ち合わせと告げる。店内で二人を見つければ、二重に聞こえる音声と、嫌そうに細めた目。お互い久しぶりの再会よりもどちらがなまえくんを取るかで必死だった。

「あれ、退さん!なんでここにいるの?」
「なまえくんが心配で迎えに来ちゃった」
「なんでここが分かったんだ?」
「まぁ話きいてたんで。いつも飲み行く店があるって」
「ふふ、二人とも仲良くなれそうだねぇ!」

初対面(ではないが)なのにやたらトゲトゲしい雰囲気だが、なまえくんはお酒を飲んで酔っているのでなんにもわかってない。形だけの自己紹介をして、二人分のお会計をテーブルにおく。

「飲み過ぎだよ。今日はもう一緒に帰ろ」
「朝まで付き合えよ。じゃねぇともう口聞かねーから」

なまえくんに手を伸ばすと同時に、反対から掴む手。その言い訳はあまりにも乱暴だが、彼は友達が少ない。ましてやここまで気を許している相手に嫌われたら困るだろう。選択肢を迫られたなまえくんは目を泳がせている。俺は選ばれる自信があった。でも沖田さんは今の俺よりもなまえくんとの付き合いが長い。まだ君の心の奥まで入り込めていなかったことを見せつけられた。

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はじめ