銭は投げられた


夕方、呼び鈴が鳴った。それも何度も。

博士がガチャリとドアを開けた先にいたのは蘭だった。不安そうな表情で瞳からは今にも涙が溢れそうだ。

「どうしよう博士!!新一と天音、今日も学校に来てないのよ!」

途端に頭が真っ白になった。忘れていたとは言わない。もっと配慮すべきだった。何で一番大事なことを忘れてたんだ、私は。

「私やっぱり警察に知らせてくる!!」
「ま、まて!早まるな!」

警察という言葉でやっと我に返った。咄嗟に蘭のスカートを掴む。

「大丈夫だよ…蘭、ねえ」

不安そうな蘭にどうしても声をかけたくて。でも呼び捨てにはできなくて。もどかしい気持ちで最後に“姉”を苦し紛れに付け加えた。

「うふふ、ごめんねルオンくん。取り乱しちゃって…蘭姉って呼んでくれるの?うれしい!」
「う、うん、蘭姉よろしくね」

気恥ずかしくなってスカートから手を放す。頭をポンポンとされた。なんだかなあ。


蘭が帰った後。ドアを閉めて博士と二人でそろって溜息。

「どこまで隠しとおせるかのう……」
「明日の朝、蘭が学校行く前に公衆電話から電話しようと思う……」
「それしかないのう……」

▽▲▽


次の日の明け方。私は駅の公衆電話前にいた。時間帯が早いせいかほとんど人通りはない。博士は愛車の中で爆睡しているだろう。こんな時間に車を出してくれた事に感謝しなくては。

そろそろ蘭が起きてくる時間だ。目を閉じて覚悟を決めてから受話器を取る。ボタンをプッシュするとプルルルルと無機質な音が緊張を煽った。

「ハイ、毛利探偵事務所…」

まだ眠気眼な蘭が想像できるような声。ぐっと何かが込み上げてきた。変声機を構え直す。

「蘭…私だけど…」

声が震えた。しばらくの沈黙の後、聞こえて来たのは涙声。思わず耳を塞ぎたくなる。

「天音…天音なんだよね!?今どこにいるの!?何してるの!?わたし、すっごい心配したんだからね!」
「ごめんね、蘭。ごめん」

謝罪を皮切りに言葉が溢れた。胸のあたりが軋む様に痛む。ある程度の予想はしてたけどこんなに辛いとは思ってなかった。

「ちょっと今、ある企業に頼まれて少し手を貸してるんだ。それが結構厄介だから、しばらく帰れないと思う。ごめんね、心配かけて…もっと早くに連絡したかったんだけど」
「そっか…そうだったんだ…“また”どっかに行っちゃったのかと思った」

さりげない一言が心に突き刺さった。
彼女は私が幼稚園卒園と同時にNYに行ってしまった事を言っているのだろう。ズキズキと胸が痛む。

「だいじょーぶだって。蘭のピンチには絶対駆けつけるって」
「……天音がそう言うとなんだか心強いね」

少しの沈黙。彼女が何をこれから聞きたいのか言いたいのか容易に予想できる。

「新一はね、一緒じゃないんだ。元気にはしてるみたいだかど」
「……天音はやっぱり凄いなあ、なんで私の聞きたいこと分かったの?」
「そりゃあ…私のお姫様ですから」
「…ふふふっ天音ってばいつもそう言うよね、変なの」

多少なりとも笑い声が聞こえた。その事に心底安堵する。
緊張しっぱなしっで口の中がぱさぱさだ。後で博士に紅茶買ってもらおう。

「あっ!!いけない!!おとーさーん!!!起きてーー!!ごめん!天音!また今度!」
「はいはい」
「マメに連絡してよ!絶対ね?」
「はいはい」
「じゃ!行ってきます!」

通話の終了音が響く。意図せず乾いた笑いが漏れた。
慌ただしい朝だ、毛利家は。あの場に新一がいるのかと思うと尚笑えて来る。

よし次。気持ちを切り替えて小銭を公衆電話に投入した。次にかけようとしている相手は蘭とは別の意味で緊張する相手。呼び出し音の後、ガチャリと受話器の音がした。心臓が大きく脈打つ。

「もしもし」

こんなしわがれた声だっけ。息をのんで腹をくくった。

「久しぶりです、お祖父さん。天音です」
「久しいな。もう日本には慣れたのか?」
「おかげ様で」

重圧感のある声。この人は人の上に立つ人間だという事を改めて感じさせられる。前に話したのは高校入学と同時にアメリカから日本に来る手筈を彼が整えてくれた時だ。

「こんな早朝に天音から連絡があるとは…今日は雪が降るんじゃないか?」
「まさか」
「して、何の用だ?」
「実は折り入って警視副総監であるお祖父様にお願いがありまして」

受話器の向こう側の空気が変わった。

「実は日本が持つスパイ、犯罪者、テロリストの一覧名簿のデータが欲しいのです」
「………何故だ」
「両親の事故と叔父夫婦の事故、かつ叔父夫婦の子供たちの事故には共通の影が潜んでいることに気づいたのです。ですが日本警察はお祖父さんを前に言いづらいですがこの影に気づく事すら出来なかった。だから自らの手で調べたいのです」
「……その情報とやらはどっから聞いた」
「アメリカにいた頃世話になったFBIの方からです」

予め考えていた嘘とは言え、ここまで滞りなく口が回る自分に拍手を送りたい。でも事故があった事、それで皆亡くなってしまった事、アメリカのFBIに知り合いがいる事は本当。真実の中に嘘を混ぜ込むのは嘘をつく時の鉄則だ。

何とか説得し、犯罪者とテロリストのデータを貰えることになった。それでも十分だ。

確かな収穫に小さくガッツポーズした。


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