お母さんが亡くなった。
それは小学校二年生になった冬の事だった。その日は雪がひどく、スリップした車が買い物に出かけていたお母さんにぶつかってしまったらしい。
直接的にそう誰かから何かを聞いたわけではないものの、大人同士の会話を盗み聞き答えを出すことが出来た。
私に話すのは憚られたのか、どの人も私を見るたびに息を詰まらせ、泣くばかり。祖父母が一番酷かった。「少し向こうに行っててちょうだい」とまで言われた。
私はもう世間では小学二年生になり、もう少しで三年生になるのだからちゃんと何があったのか説明してくれてもいいのではないか。そんなに私が可哀想に見えるのだろうか。
不思議に思い、お手洗いのついでに鏡を見ると納得した。お母さんと私は髪色や毛質は異なるものの、顔立ちはよく似ている。面影を残した私を見るのがみんな辛いのだろう。
お通夜にもお葬式にも沢山の人が訪れ、一部の地域ではニュースにもなった。さすが元アナウンサー兼現役野球選手の妻。
もちろんテツ君やめいちゃん達も来てくれた。めいちゃんは私よりも大声を上げて泣いていて、なんだか心が苦しくなった。マサ君は何がなんだか分からないらしく、ただ私に会えたことを喜んでくれた。テツ君は親戚から離れて座る私としばらく一緒にいてくれた。
一番ショックを受けていたのはお父さんだった。お葬式が終わってから何日も経つというのに行く日も行く日も家で泣いている。お母さんが生前の頃はあれほど家にいなかったというのに。
お母さん、貴女はこの人を残して行っちゃダメだ。なんで残して逝っちゃったんだ。この人を、お父さんを私が立ち直らせる事なんてできる気がしない。荷が重すぎる。
家事が滞りそうになるといつも助けてくれたのはめいちゃんのお母さんだった。めいちゃんのお母さんはお父さんの姉だと言うことを最近知った。
家事をして行くついでに弟に喝を入れて行くものの響いている様子はない。
お父さんの仕事が心配になり、お父さんの携帯から勝手に球団の人に連絡するとこのまま休まれると退団を余儀なくされる事が分かった。一大事である。
お金のため、それだけじゃない。お母さんのためにもお父さんを立ち直らせなければならない。ようやくそう決心したのは桜が咲き始めた頃だった。
仏壇がある部屋の前で深呼吸する。この人を立ち直らせるには、前を向いてもらうにはこれしか思いつかない。私は手に持っていたグローブを握りしめ、扉を開けた。
「お父さん、私野球やりたい」
虚ろな目をしたお父さんの後ろで、お母さんの写真がキラリと輝いた気がした。