練習中、一人の後ろ姿を眺める。彼が努力家で毎日並々ならぬ努力をしているのを知っている。そして夏は一年生で唯一ベンチに入れたのは努力と才能の賜物だという事も知っている。
寒さでかじかむ手に息を吹きかけた。
言うべきか、言わぬべきか。自問自答を繰り返しつつ倉庫の扉を開ける。
そろそろ東先輩がボックスを所望する頃だ。あの人何箱打つ気なんだか。だからこその本塁打を量産できるのだろう。ただあの腹回りは心配。毎度余計なお世話だと一蹴されてしまうけれど。
ボックスを抱えて倉庫を出る。丁度クリス君が先輩の投球をキャッチングした所だった。
ミットが流れないし、それでいて被せすぎてないし音も綺麗に出ている。キャッチングの手本みたいな捕り方をする人だ。いつか私も受けてもらいたい、そう思わせられるほど魅力的なキャッチャーである。
じゃなくて。今はそれどころじゃない。
春の頃に見ていた構えと少しのズレ。違和感を感じ始めたのは冬合宿前の頃だった。最初は少し崩れているなと思う程度。それからだんだんと違和感は大きくなり一つの結論にたどり着いた。
他の人も気づいていて言わないだけなのかと投手陣に探りを入れたが、誰一人として気づいていない。
ただ故障だとしても彼は分かっていて隠しているのだからそれを暴くのは如何なものか。けれど彼の選手生命に関わってくるかもしれないためただ黙っているわけにもいかない。
見て見ぬ振りをする?それはできない。監督に告げ口をする?それもできない。彼の気持ちを尊重すべきだ。ならばそれ以外に何か彼の力になれないものか。
昼休み、貴子と昼食を食べた後、彼のクラスを訪れた。
「クリス君」
最近見続けた後ろ姿に声をかける。振り返る彼はいつもの様に柔く微笑んだ。
「何か用か?」
「ちょっと良い?」
彼を騒がしい教室から連れ出し、静かな空き教室に入る。暖房が効いてないせいで少し寒い。
目の前の彼は私が切り出すまで静かに待ってくれている。本当に心優しい子だ。
「あのさ、クリス君、捕球の構え変えた?」
「いや、変えたつもりはないが」
「そっか」
これで唯一の可能性は消えた。ならば。
「いつから右肩痛めてるの?」
彼の喉が音を立てる。目を見れば明らかに動揺していた。一気に現実が押し寄せる。
「…何故」
「春の頃に比べて重心とか諸々変わってたから。でも構えは変えてないんでしょ?ならそれしかないかなって」
「……だから最近見られていたのか」
彼は形の良い眉を下げた。私の視線ってそんなに分かりやすいだろうか。東先輩にも似た様な事を言われた気がする。
「うん、不躾に見てごめん。でもそのお陰で右肩を庇ってるのに気がついて」
「……#name4#は性格が悪い。捕手に向いてるだろうな」
昔、御幸君に同じ事を言われたのを思い出した。その時は投手一筋だったけど、今は違う。
「残念ながらマネージャー、一筋でやらせてもらってます」
クリス君はここに来てから初めて笑顔を見せた。
詳しく話を聞くと、痛み始めたのは夏大終わりでキッカケは不明とのこと。ただ彼なりにストレッチをしたり、ケアは行なっているらしい。
さすが元プロ野球選手の息子。嫌でもそういう野球や体の情報は入ってくるものだ。私も然り。
「練習終わり、こっそり氷渡そうか。今の時期堪えるだろうけど」
「……頼めるか」
「…意外、断られるかと思った」
「断ったら脅されそうだからな」
「失礼な」
そんな悪どい事しないとは言い切れないけれど。クリス君の少しヤンチャな表情を見上げる。軽口を叩く元気があるようで何より。
クリス君の口から言わない限り、私も口出しをしないという約束をして空き教室を出た。そろそろ昼休みも終わる頃だろう。五時間目は何だったっけ。
「じゃあお大事にね」
「ああ……悪いな」
その謝罪は秘密を強要した事に対してか、気にかけた事についてか、それとも氷を渡す事に関してか。
「えー?何のこと?」
「……ありがとう」
私は笑って答える。
「どーいたしましてっ」
貴方達が笑顔で野球ができるなら何だってしますよ。