彗星蘭はお互いだった
杏寿郎に告白されてから、深月はとても悩んでいた。
こんなに悩んだのはいつ以来だっただろう、と思うくらい悩んでいた。
もしかしたら、修行時代に伸び悩んだ時以来かもしれない。
煉󠄁獄家に足が向かないまま、一週間が経ち、二週間が経ち……ついに、痺れを切らした杏寿郎が雨宮家にやって来た。
遠慮無く開かれた障子の向こうで、珍しく和服を身に纏っている杏寿郎が、太陽のような笑顔を浮かべている。
「深月!出掛けよう!」
「え?」
急に何かを言われるのには慣れているが、思わず聞き返してしまう深月。
杏寿郎は気にせず続ける。
「仕度が終わったら呼んでくれ!」
「え、ちょっと待って、杏寿郎」
言いたいことだけ言って、さっさと出ていってしまう杏寿郎。
状況をいまいち理解できないまま、深月は箪笥の奥からよそ行き用の着物を引っ張り出した。
*****
(あれ、こんな気まずいままで、杏寿郎と出掛けて大丈夫なのかな)
仕度を終え、杏寿郎が待つ部屋の前で気付いた深月。
引き返そうにも、断ろうにも、考えている間に障子が開いた。
「早かったな!うむ、似合っているぞ!」
「あ、ありがとう……」
先日の告白で吹っ切れたのか、杏寿郎が恥ずかしげもなく誉めてくるので、深月は目線を逸らしてしまう。
待たせるまいと急いだものの、一人で出掛けるときより、気合いを入れて準備してしまった。普段は着けないような髪飾りまで着けている。これらは無意識にやったことなので、深月は今さら恥ずかしくなる。
その恥ずかしさを誤魔化すように、深月は杏寿郎に尋ねる。
「どこに行くの?」
「食事にでも行こう!」
行き先というか、目的を聞いて、深月は首を傾げる。
「なんで食事?しかも食事なら、隊服でよかったよね?」
杏寿郎が和服を着ているものだから、ついつい深月も和服にしてしまった。
男性用の和服や隊服と違い、女性用の和服は刀を隠し持つには不向きである。
きっと、杏寿郎は背中に日輪刀を隠し持っているだろうが。
「意中の女性と出掛けるのに、理由はいらないだろう!それに、隊服姿以外の深月も見たかったからな!さあ、行こうか」
杏寿郎は深月の手を取って、にっこりと笑う。
その言葉と笑顔のせいで、深月の顔に熱が集中する。
「ごめん!やっぱり、今日は家にいる!」
「何を言っている!」
深月は部屋に戻ろうとしたが、杏寿郎が手を離してくれるわけもなく、中途半端に振り返ったせいで後頭部の髪飾りが杏寿郎の視界に入り、杏寿郎は満足そうに笑う。
「俺のために
粧し込んでくれたのだろう?髪飾りは初めて見たな。よく似合っているぞ!」
「違う!」
「違ったのか?」
反射的に否定しまう深月。それを聞いて、少し眉を下げる杏寿郎。
深月はしばらく黙っていたが、杏寿郎の残念そうな表情に耐えられず口を開く。
「ち、違わない……一人で出掛けるときは、こんな格好しないもの」
「そうか!それは嬉しいな!では、今度こそ行こう!何か食べたいものはあるか?」
あ、だめだ、逃げられない、と深月は諦めた。
*****
深月にとって、隊服以外で杏寿郎と並んで歩くのは、鬼殺隊に入って以来、初めてだった。
しかも、数週間に告白されたばかりで、先ほども「意中の女性」と言われたため、妙に緊張していた。
反対に、杏寿郎は少し前までの様子が嘘だったかのように、いつも通りの態度に戻っていた。
話ながら歩いているが、杏寿郎は何度も深月の方を見て様子を確認していた。
歩きにくい道では、深月を気遣って、しかし恩着せがましいことは何も言わずに手を差し伸べた。少し歩きにくい程度で転ぶような鍛え方はしていなかったが、深月は素直に杏寿郎の手を取った。
こういったことは、初めてではない。ずっとこうだった。しかも、杏寿郎の気遣いはこれで極一部だ。普段から、もっといろいろ気を遣ってくれている。それが、杏寿郎のいつも通りの態度だった。
深月は今まで、杏寿郎のこれらの気遣いを、彼の面倒見が良い故だと思っていた。
しかし、告白された今になって思えば、これらの気遣いは、深月に好意がある故だったのだ。
(そういえば、他の娘に同じ事してるの見たことない……)
とんでもないことに気付いてしまい、深月は一人で頭を抱える。
杏寿郎がそれを不思議そうに見てきたが、気にしないように伝えた。
杏寿郎や店主には悪いが、話の内容や食事の味は、深月の記憶にほとんど残らなかった。
*****
帰り道、杏寿郎から「家まで送る」と言われ、深月は首を振った。
まだ昼間だし、そんじょそこらの人間に負けるほど弱くもない。お互い夜には任務があるので、少しでも休んだ方がいいと思ったからだ。
それを説明したところ、杏寿郎の答えはこうだった。
「確かに、一般人に襲われたところで、君は何ともないだろう!だが、深月は女性だ。俺にとって、とても大切な人だ。万が一のことがあっては困る!」
率直な物言いに、深月は耳まで赤くする。
そして、恥ずかしく思うだけでなく、嬉しくも思う自分に気付く。
もう、幼馴染みのことを真っ直ぐ見れない気がして、これは杏寿郎のことを言えなくなってきた、と深月は自分の頬を両手で覆った。
*****
結局、家まで送ってもらい、深月は自宅の門の前で杏寿郎に軽く頭を下げた。
「送ってくれてありがとう」
「どういたしまして!」
杏寿郎は嬉しそうに笑う。
深月は顔を上げ、彼の顔を一瞬だけ見て、すぐ目線を横にずらしてしまった。
深月の記憶の中の杏寿郎も、基本的に笑っていた。初めて会ったときから、笑顔が多い人だった。だが、深月は、今日の杏寿郎の笑顔は何かが違うと感じていた。
十数年見てきた笑顔に、顔を赤くし、心臓を高鳴らせる日が来るとは思っていなかった。
「じゃあ……お互い、任務頑張ろうね」
深月は精一杯頑張って、杏寿郎の目を見て、笑顔で言った。お互い命を賭けた任務に出向くのに、顔を見ないで言うわけにはいかない言葉だと思ったのだ。
その精一杯の笑顔に、杏寿郎の心臓もうるさくなる。
昔から可愛らしいと思っていたが、可愛らしいだけでなく、女性らしさが増してきた深月の笑顔を、久々に真っ直ぐ見つめた。
気付けば、杏寿郎は深月の頬に手を添えていた。
見上げてくる深月の唇が僅かに震えるのが、杏寿郎の瞳に映る。
杏寿郎が、深月にゆっくりと顔を近付ける。
深月は逃げなかった。
二人とも自然と目を閉じ、お互いの唇が重なる。
数秒後、杏寿郎は名残惜しそうに離れ、それでも幸せそうに笑っていて、その頬は少し赤くなっていた。
「深月、今日はありがとう」
「こちらこそ。あのね、杏寿郎」
「うん?」
杏寿郎が首を傾げると、深月は少し悩むような仕草を見せてから、未だ震える唇で告げる。
「私も、好き」
そして、杏寿郎以上に赤くなった顔で、小さく微笑んだ。
その様子があまりにも可愛らしく、杏寿郎は再び深月に口付けた。それは、先ほどよりも随分と長いものだった。
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